忍者ブログ
[30] [31] [32] [33] [34] [35] [36] [37] [38] [39] [40]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

・コメント返信
>kisaさん
 イカよりも前田はスルメの方が好きなので、スルメで。

>Rufuさん
 うお! それっぽい! これはまさか、極妻を観よという思し召しですか?


・購入記録
「生物と無生物のあいだ/福岡伸一」
「風景学入門/中村良夫」
「日本文学の発生 序説/折口信夫」
「物語の構造分析/ロラン・バルト」
「どきどきフェノメノン/森 博嗣」


・秋葉原と神保町
 電気街と古書店街にそれぞれ行ってきた。
 並んでいるものは違うけど、印象は似ていた。どちらも一部の趣味人のための町で、そのために、他の町では異常なことが許容されている雰囲気。神保町はそれほどその印象を受けたわけではないけど、秋葉原の方は強かった。これはオタク文化の方が本よりも表に出にくいからだろうか。本はそこらへんの町でも見かけるが、デカいアニメの広告を見る機会はそうそうない(比較対象にスケールの差を感じるが、ご愛嬌である)。


・こういうのをエログロというのか?
 そんな中、神保町のとある古書店にて佐伯俊男なる絵師を知る。
リンク>佐伯俊男オフィシャルサイト
 異様に怖くて不気味にエロい。前田にとっては、長いこと観ていると心底怖くなってくる絵だ。特に、直接女性の裸体が描かれていない作品が好きである。
 古書店で観たのは「私はあなたのヒロインであることをやめました」という絵である。描かれていたのはセーラ服の少女と人形であった。少女はきちんと服を着ている。べつに煽情的なことをしているわけでもない。けどエロかった。そして怖かった。
「少女」「艶美」「恐怖」を同時に持つような作品は、前田の好む創作でもあるので、目標というか、そのような位置に据えたいと感じたのであった。

 あと、同古書店で三島由紀夫の直筆原稿が売られていた。130万。


・読書
「ジョン・レノン対火星人/高橋源一郎」読了。
 なんじゃこれ。
 ほんと、な ん じ ゃ こ れ 。
 はっきしいって、まともに感想が浮かばない。全体にわけの分からない可笑しさがあって、笑ってしまいそうな(というか、笑う)言葉も散りばめられてて、けど、これは結局、なんなんだ? ナンセンス? ナンセンスなのか? けど、そんな言葉ひとつに押し込めてどうにかなるもんじゃない。
 けど、解説には「難解な小説ではないし、テーマも方法論的な意識もはっきりしている」とあった。文学ってすげえ……。

「言葉・狂気・エロス/丸山圭三郎」を一応最後まで。途中、分からないことが多くて飛ばした。言葉に関する哲学から、人間の心理とかに踏み込むというような論……だと思う。
 前田にはとても難解だったが、少しだけ創作に意識的になれることもあった。伝統芸能である能に関する話とか。あと「読むことは書くことであり、書くことは読むことである」という言葉。読むということは、それは創造的な行為となり得る、というようなニュアンスで前田は受け取っている。逆説的に、何かを読んだなら、ちゃんと何かを創造していなければ、読んだとはいえない。読書というか、日常生活に於ける戒めのようなものである。

 現在は「どきどきフェノメノン/森 博嗣」を読んでいる。
 問題がある。完全に主観だが、面白すぎるのだ。 凹む。
・コメント返信
>emptyさん
 コピペ向きとな? コピペ文章は大抵変と思われるので、そのような評価は嬉しいものです。

「前田の文章はイカれている」と思った。単語という言葉使いはともかくとして、その内容は平常正しいはずのないもので、人間生活からかけ離れているといえないだろうか。その「かけ離れている」ということを「イカれている」と言わないだろうか。
 だとすれば、前田はイカれている。

 こうですか? 分かりません!


・購入記録
「白痴/坂口安吾」購入。新潮文庫版。文学研究科の講義用テキストその二。


・演劇鑑賞(広義のネタバレ含む)
「贋作 桜の森の満開の下」をDVDで観た。野田秀樹率いる「夢の遊眠社」による演劇。読みは「がんさく」ではなく「にせさく」らしい。坂口安吾の「桜の森の満開の下」と「夜長姫と耳男」を原作としている。前田は「夜長~」が未読であった。
 感想。テンポ速い。
 夢の遊眠社のウリは言葉遊びとスポーツのような身体の動きらしい。この点に関してはなるほどと思った。特に身体の動きが面白い。役者がガンガン動き回るし、アクロバットな動きも多い。恐らく、この辺りが前田の感想である「テンポが速い」に利いているのだと思う。話の進行も速いのだが、それを手伝うように役者が動く。演出が速い、という印象。
 この「速さ」は果たしてプラス評価かマイナス評価か?
 この劇では原作の片方の「桜の森の~」とは打って変わって、コミカルなシーンも結構多い。「夜長姫~」は未読なので分からないが、原作至上主義で観てしまうと、コミカルであるということはマイナスになってしまうだろう。で、そのコミカルさと上述の速さが、妙に合っていると思った。この点ではプラス評価になるだろう。
 しかし速いというのはそれだけ物語についていくのが大変ということで、前田の頭が弱いからかどうかは不明だが、少なくとも前田はついていけなかった。途中からよく分からなくなってしまったのである。それでも面白く観れてしまうのが恐ろしいが。

 あと、ちょっとした事項。
 残酷さは少なくとも三つに分類できる。「こども」「妖艶」「悪漢」である。少なくとも前者ふたつの残酷さは相性がいい。後者ふたつの組み合わせはどうだろう?
・コメント返信
>OECさん
 了解っす。またメッセででも。


・懊悩
 坂口安吾と四元マクスウェル方程式に同時に悩まされている。珍しいと思うが如何か。
・コメント返信
>しも
 しかし残念ながら、鰹節は家になく、そして俺は納豆が嫌いなのだ。

>無為さん
 桃山はなかなか楽しめましたよ。
 文庫化は良いものです。がんがん買うと吉かもしれない。


・音楽
「全ての音楽はイカれている」と思った。歌詞という言葉はともかくとして、その他の音は普段聞くはずのないもので、日常生活からかけ離れているといえないだろうか。その「かけ離れている」ということを「イカれている」と言わないだろうか。
 だとすれば、音楽はイカれている。
 イカれているものを目の当たりにするとき、人は退屈か否か?
 否だとすれば、イカれているということは小説にとって重要な要素になりえるんじゃないのか? 退屈な小説はつまらないと、前田は思うからだ。


・読書
「八月の路上に捨てる/伊藤たかみ」読了。135回芥川賞受賞作。そういや、芥川取った作品を読むのは初めて? かもしれない。
 面白かった。タイトルもばっちし合っている。しかし何故かがさっぱり分からん。再読か。
忍者ブログ [PR]