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・購入記録
「マザーグース1、3/谷川俊太郎訳」
「ONCE/谷川俊太郎」
「GO/金城一紀」
「限りなく透明に近いブルー/村上 龍」
「風の歌を聴け/村上春樹」
「FINE DAYS/本多孝好」
「十角館の殺人/綾辻行人」
「鏡の国のアリス/Lewis Carrol(岡田忠軒訳)」
「ロリータ/Vladimir Nabokov(大久保康雄訳)」
「マルドゥック・スクランブル/冲方 丁」


・読書
「つきのふね/森 絵都」読了。
 以前友人が「文学では、タイトルになっているものの周辺で起きていることを扱うのが多い気がする」といったようなことを言っていたが、まさにそのような作品だと思った。「つきのふねの話」ではなく「つきのふねの周辺の話」。
 モジュール形式のようにも思えた作品だった。主人公の抱える問題は複数あるけれど、それらを解決する出来事はひとつ。当たり前のことだけど、ここで気を付けなくてはいけないことは「ひとつの問題を解決すると、もうひとつの問題も解決に向かう」のではなく「ひとつの問題を解決する過程で、もうひとつの問題を解決する必要がある」ということ。言葉にすると似ているように見えるけど、別物。前者の極端な具体例は「壷を買ったら宝くじが当たるわ、出世するわ、彼女ができるわ、もう、ウハウハです」。「つきのふね」は、複数の問題の解決過程が全て最後に集約されているから、モジュール形式っぽく思えた……のかもしれない。

 また「サマータイム/佐藤多佳子」を読了。表紙に描かれている自転車の意味が良く分からない。何故にドロップハンドルなんだ?
 この本を読んでいる途中から、読み方を変えてみた。物語の持つ機能、つまり構造を考えるという読み方である。読書しながら、エピソードや登場人物を抽象化していく、という方法。これをやると物語の二次元的なチャート図を描けるので、なかなか面白い。そして頭が疲れる。
 んで、本作の感想はというと……、いまいち思い出せないのが困ったところ。構造にばっかり眼がいって、内容から何も学べていない気がする。構造分析自体も、正しくできているかどうか自身はないし。
 ただ、構造の面白さというのは、論理で詰められるような気はした。同じ構造を並べるとか、入れ子構造にするとか。

 あと「鏡の国のアリス/Lewis Carrol(岡田忠軒訳)」も読了。
「主人公がその場所の案内人と関わる→次の場所へ→案内人と~」というのが基本的な流れに思えた。この点で何となく「日蝕/平野啓一郎」に似ていると思い、面白さの基本が「珍妙な案内人とへんてこな世界」にあるあたり「キノの旅/時雨沢恵一」に近いのだろうか、とも思った。

 最後に「風の歌を聴け/村上春樹」を読了。
 村上春樹は「ノルウェイの森」に続いて二冊目。ノルウェイ~の方はストーリィがあるけど終わりが唐突。風の歌~はストーリィがないように見えるけど、終わり方は自然。そんな印象。構造を意識しても、風の歌~は、各機能の間に繋がりがないように思えた。色んな機能の集合がそれぞれ独立に配置されていて、さらに、機能の集合内で形成している繋がりはみんな似ている(と思う)。
 文体、文章が非常に前田好み。陳腐な言い方をすれば「波長が合う」。物事と距離を置いて覚めた眼で見ているような主人公が好きなのだと思う。特に、異性や死に対してそういった態度を取るのが好きだ。類似した作品として「ALONE TOGETHER/本多孝好」と「スカイ・クロラ/森 博嗣」が浮かんだ。そして前田が現在書こうとしている作品も類似している。先人がいるというのはそれだけでディスアドバンテージだけど、だからこそ、自分の味を出せれば……!というところ。前田に持ち味なんてもんがあればの話だけど。

 ところで「つきのふね」と「風の歌を聴け」から共通して感じたこととして「マジックリアリズム」があった(言葉の使い方が合っているかどうかは怪しい)。つまり「ファンタジィみたいなものが出てくるように見える」ということ。ちょっと意識しておくと良いことかもしれない。
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・執筆
 基礎的なことをやり直そうと物語作成の課題をやったりしつつ、次の作品のプロット作り。書くべきことが多いという状態は、集中力の足りていない前田にとって悪い状態ではないはずである。と信じたい。
 今年の十月までに長編二つを完成させる目処を立たせたいが、さて。


・文芸に関する最近の疑問
 小説以外の媒体、例えばマンガとかアニメとかで表現された物事について、表現を含めたその事物を小説で書くということを考えてきた。一言で言えば、ノベライズである。例えば文章だけで表現された風景で、写真の風景と同様の印象を与えることができれば凄い、という考えである。
 けど、そんな凄さを本当に目指すべきか?
 言ってしまえば、文章で表現する風景というのは、写真のそれにまず間違いなく敵わないのではないか?(情報が抜け落ちたりする、など)ならば、ノベライズしてもしょうがないのではないか?
 じゃあ、小説では、一体、何を書けばいいのか?
 答えの一つは舞城王太郎みたいな文体かなぁ、とか思う。保坂和志も「小説の言葉で書くのではなく、自分の普段の話し言葉で書け」といったことを言っていた気がする。


・読書
「ソロモンの指環/コンラート・ローレンツ」を読んでいる。著者はノーベル賞受賞者で、本作は動物行動学についてのノンフィクション。現在書こうとしている作品で犬を登場したくなったので、そのための資料本として購入。主に鳥と魚の興味深い行動について述べられていて、犬が少ないのが少々残念(しかし参考になった)。
 動物というのは人間とは違うもの、人間のような社会を形成したり意思を伝える表現技法を持たないもの、そういった印象を持ってしまいがちだと思うが(人間社会には獣性という言葉がある)、ここに描かれている動物たちは逆である。人間のようであったり、人間より鋭敏な情報の授受をやってのける。暫定の感想としては「コクマルガラスすげえええええ!!!」
 この本みたいな面白さって、正に知識欲の賜物で、フィクションをこの面白さだけで成立させるのは、殆ど無謀なんだろうなぁ、とか思う。あ、もしかして黒死館がそうか?
・帰省
 帰省完了。


・購入記録
「ソロモンの指環/コンラート・ローレンツ」
 巨大な本屋は偉大だ。欲しい本が見つかる。


・演劇
 昨日のことであるが、大学の演劇団の公演を観に行った。子供の頃は何度も行っていたが、創作活動を始めてからはこれが二回目。違う表現技法、特に、普段は触れることのないものに触れるというのはなかなか良いものである。ストーリィも想像が膨らむようなもので、面白かった(穿った見方をしているとは思うけど)。
 思ったのが「娯楽って何だろう?」ということ。「観客をそのシーンごとで飽きさせないためには、何が必要なのだろう?」ということ。小説を書く際にも当然考えなければならないことだろうし、そして基本的なことにも感じる。未熟なり、前田。


・読書
「99%の誘拐/岡嶋二人」を電車中で読了。「我輩は猫である/夏目漱石」は持って帰るのを忘れてしまったので、しばし保留。
・予定
 明日か明後日か、帰省予定。


・筑波
 物理の実験で筑波の研究所に行っていた。(不思議に思えるが)スタッフの人と小説の話をする機会があって、そのとき「どんな面白さが好きなんだ?」という質問を受けた。
 この問は今の前田にとってなかなか重要な気がした。つまり、作品を読んだとき「何が面白いのか」ではなく「どのような面白さなのか」を問うということ。こちらの方が難易度が低そうで、読書方法に迷走している前田にとっては、ひとまず「どのような」を問うていくのが良いかもしれない。


・筑波大
 一日休みを貰えたので、筑波大学に行って漫画研究会を訪問してきた。春休みにも関わらず、会員が二人、部室にいてくれて助かった(文学研究会は残念ながら不在)。それで、冊子を三冊もらった。感謝。
 その冊子を読んだ最初の感想が「プロじゃないんだな」ということ。プロという言葉は単に「金を貰って作品を描いている」という意味。大学のサークルなのだからプロでないのは当然である。
 自分が問題にしたいのは「パッとみてアマチュアだと分かる」という点。漫画という表現技法は、絵のレベルで「パッと見てアマチュアだと分かって」しまう(もちろん、そうではない作品も多々あるだろう)。
 自分が今まで読んだことのある大学の漫研の冊子は三種しかないが、いずれも「パッとみてアマチュアだと分かる」ものだった。そして「パッとみてアマチュアだと分かる漫画」というのは、非常に「蔑みの対象になり易い」ものなのじゃないかと思う。プロに手が届く人材は殆どいない──少なくとも、前田はそう思ってしまう。
 対して小説はどうだろうか? 漫画ほど「パッと見て」では判断できない気がする。「蔑みの対象に比較的なりにくい」。じゃあ、前田のような文芸サークル員にプロに手が届く人材が比較的多いのかといえば、全くそうではない。前田の書く小説のレベルが、パッと見てアマチュアだと判断できる漫画と同程度ではないという保証はないのである(文芸サークル員からの評価は思いのほか高いような気がするけれど)。
 もしも自分が「パッと見てアマチュア」程度で、それで「新人賞に出す」とか考えているとしたら、何だか恐ろしくなる。この怖さがつまり、プロという集団のレベルの高さだ。
 必要なのは、自分の作品も客観的に見ることのできる、そんな眼なんだろうとか思う。


・読書
「ドグラ・マグラ/夢野久作」の感想を少々。
 訳が分からん、ということはなかったけど、謎が残ってる。答えは明文化されているわけでもないから、解くには分析の類が必須だろう。しかし……やるにしても骨の折れる作業だ。
 本作は「虚無への供物/中井英夫」「黒死館殺人事件/小栗虫太郎」と並んで「日本三大ミステリ」「アンチ・ミステリ」などと呼ばれている。「アンチ・ミステリ」への考察についてはアレクセイ氏のものが面白かった(というか、これしか知らない。リンク>アンチミステリーとは何か
「迷宮性」という言葉がリンク先にあるが、この単語は、何となく「ドグラ・マグラ」に合っている気がした(前田はアレクセイ氏がどのような意味で迷宮性という言葉を使っているかは知らないから、印象のみである)。そして「迷宮性」という言葉と「謎が残っている」ということは、何となく、符号するような気もしたのである。
「迷宮性=謎が残っている」ということを「過剰」にしていくとどうなるだろう。「作中の謎が全て謎のまま終わる作品」? このようなミステリを成立させることは可能か否か?
・購入記録
「リトル・バイ・リトル/島本理生」
「4U/山田詠美」
「暗夜行路/志賀直哉」
「カンバセイション・ピース/保坂和志」
「美少女の現代史/ササキバラゴウ」
「夭都七事件/物集高音」
「道草・明暗/夏目漱石」


・読書
「ドグラ・マグラ/夢野久作」読了。
 現在は「我輩は猫である/夏目漱石」を読んでいる。まさかこんなところに森見ギャグの元祖と「読者が犯人」トリックのヒントがあるとは……。
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