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・追記
 昨日の記事の「ダヴィンチ」の項目についてだが、矢吹健太郎という名前を忘れてはならない気がした。
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・コメント返信
>saki
 結局奢られなかったという無念。


・ダヴィンチ
 偉人の方ではなく、雑誌の方である(何で本の雑誌の名前がダヴィンチなのだろう。謎だ)。今月号の特集は「古典文学に学べ」みたいな感じだった。
 重要だと思ったのが「狭い範囲の読書ではなく、広く読め」ということ。ライトノベルばかり読んでいる人は古典文学も、古典文学ばかりの人はライトノベルも、ということである。こうすることで、新しい面白さの出会いを増やせ、という主旨だ。「こういう面白さもあるよ」ということを知るのは、成る程、創作の役に立つと思われる。
 しかし、ここで一つの疑問が。
 今まで読んだものが狭い範囲だったとしても、果たしてそこに含まれている面白さをちゃんと了解できているのだろうか?
 前田にとっての創作活動の最大の目標は、消費者が面白いと思うことだ。ではどんなものが面白いと言えるのか? これが分からなければ、上記の目標を達成するのは難しい、或いは、達成したとしても偶然に過ぎないのではないかと思う(バガボンドで似たようなことが書かれていた。勝つべくして勝つということ)。
 そんな考えのもと、面白さの引出しを増やすのではなく、面白さの確認を画策中。ひとまず、今まで自分が触れた作品の中で、特に面白かった作品をリストアップし、何が面白いのかを抽出していこうかと思っている。そして作品というのは小説に限る必要はない。音楽であってもいい。むしろ、小説でない作品から面白さを抽出し、小説に還元した方が新しいものを創れる予感である。


・読書記録
「ゴッドスター/古川日出男」と「ALONE TOGETHER/本多孝好」を読了。「The Book/乙一」と合わせて、感想の出力は保留。あと、面白かったマンガとしては「DEATH SWEEPER 1/きたがわ翔」を読了。この設定で話の展開をどうやるか、これを上手く考えるのはなかなか難しい気がする。勉強になるか?
 しかし、卒論締め切り前という状況につき、感想についてはこのまま出力できずに終わってしまう気もする。
・ノスタルジィ
 ねるねるねーるね食べたい。


・帰省
 28日に帰省予定。それ以後は(も?)更新が止まるやも。


・やってないこと。
「The Book/乙一」の感想、まだ書いてないな……。
・コメント返信
>kisaさん
 恋愛にも色々な形がある模様ですな。


・頭の良さ
リンク>MLA 2007年12月15日 本当に考えたの?
 上の記事を受けて。
 頭の良さという性質について、これを三つの要素にできるのではないか、と思った。
 一つは「回転」。頭の回転が速いとよく言うが、それのこと。
 もう一つは「方向性」。何について考えるかを選択する、その的確さ。質問力はここに含まれる。
 最後に「持続」。これが上の記事で述べられていること。つまり、考えまくって案を捻り出し続ける能力。
 それでこの三つに、それぞれ程度を表す形容詞を付けたいのだ。
 回転は、速い遅いで良いだろう。方向性は良い悪いか。
 じゃあ持続はなんだろう? 熱いヌルい? 高い低い? 長い短い? 硬い柔らかい……は別の話か。持続だから、しつこい、というのはどうだろう。
「お前、頭しつこいな!」
 これは褒め言葉です。


・タイトル
 最近、記事のタイトルが長くなっているような気がするが、それは気のせいではない。
・コメント返信
>Rufuさん
 情報感謝であります。
 wikiによるとマクルーハンは本業が英文学のようで。媒体云々については文明批評家としての仕事でしょうか。


・?
 hatenaというやつである。これについての知識を前田は全くといっていいほど持ち合わせていないのだが、最近「はてな匿名ダイアリー」というものを見た。その名の通り、匿名で日記を書けるようである。そして書かれている日記に対して自分の匿名日記へリンクを張れるようである(トラックバックのようだ)。それで、前田はそのリンクを使って日記をサーフィンしていた(この表現は正しいのだろうか?)。
 感想は「みんな口が悪いなぁ」であった。
 元の日記をバカにするような日記、根拠も示さずに否定している日記が多数あるように見受けられた、ということである。
「はてな匿名ダイアリー」に限らず、そして匿名に限らず、上記のような発言というのはネット上に多量にある。根拠を示してはいるが、口調が悪いものなのどもある。議論すればいいのにと思うところを、否定し合い(否定試合?)にしているところもあるであろう(お互いに根拠を示しながら相手を否定し、口が悪いというパターンだ)。
 どうして反対意見を出すのではなく、否定するのだろう?
 前田が思いついた一つの答えは「相手に認知してもらいたいから」「相手に干渉したいから」。
 というのも、否定という行為は、相手に印象を残すものだと前田は思うからだ。人間というのはバカにされたら頭にくるものだと思う。そして何に怒るかといえば、相手に対してだ(根拠がないなら尚更だろう)。怒るという行為は相手を認知しなければできない。つまり「バカにする」という行為は自分を認知させる行為、とも考えられるわけである。
 では「否定」するというのはどういうことか?
 相手の従来の考えを「ノー」というわけである。「お前の現状の考えはダメだ」ということだ。つまり「今の考えを捨てろ」とも取れる。これは相手への干渉だろう。
 ところで「相手に認知してもらいたい」「相手に干渉したい」という関係というのは、何だろうか? 答えの一つとして「恋人関係」というのがあるのではないかと前田は思う。
 以上の話を要約すると「ネット上の人々は互いに恋人関係になりたがっている」という結論に達する。そして「はてな匿名ダイアリー」に代表されるように「ネット上の人々」というのは匿名が多い。彼らは「誰か」という存在、つまり人間そのものと恋人になりたがっているのだ。人類愛というやつだ。


・好き嫌い
 前田は上のような「小さなものごとを無駄にデカい概念と結びつける」という論理が好きである。飛躍とか必要条件・十分条件とかの問題はあるが、そこらへんは、まあ、いいや。


・創作文芸に関する幾つかの質問(残り)
 幾つか前の記事で書いた「表情を如何にして書くか?」という質問に対する回答を。
 表情を以って感情を表すということを考えてみる。この場合、表情だけでは不足だ。キャラの感情を書くならば、表情だけでなく他の動作なども必要になるというのが小説の定石である。「彼は笑顔を見せた」だけでは分からないと、そういうことだ。
 その上で「表情のみを使って感情を表現するにはどうするか?」ということを考えてみる。これを目指す方法論の一つとして「表情の描写を強調する」というのが挙げられるのではないかと思う。具体的に言うならば「表情を写真に写したように描写するのではなく、顔の変化を書く」ということ。「彼は笑顔を見せた」だけではダメな理由というのは「複雑さの不足」と「印象に残らない」の二つがあるのではないだろうか、という予想から導いた方法論である。であるから、顔の動き・変化というものを書けば、その二つの理由を補えるのではないかと考えたわけだ。「彼女は涙を流した」と「彼女の眼に涙が溜まっていき、やがて、つぅ、と頬を流れた」の違いである。
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