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・自転車
 ロードレーサに「Tyler Hamilton」という人がいた! 惜しい!
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・コメント返信
>しも
 俺はひぐらしを全く観ていないが、ひどすぎると思う。難癖をつけて潰そうとしているようにしか見えん。ドラマは潰さないくせに。絶望した!


・マスコミと大衆
 前田が勝手に考えていることを書いてみる。メディアリテラシィとかないし、論理的に飛躍がある部分もあると思うが……。

 上のような報道を見ると、マスコミはアニメ、というよりも、ネット上に存在しているオタクを敵対視しているような気がしてならない。
 実際、新聞の売上はネットの普及によってかなり落ちたと聞く(ソースは失念)。メディアリテラシィも簡単にできるようになった(=社で世論をでっち上げるのが難しくなる)。新聞、テレビが第一の情報源であるような時代は既に終わっている可能性がある。連中はその流れに逆らおうとしているような気がする。
 流れに逆らうというのは具体的にいうと、マスコミ自身の罪を報道しないということ。メディアリテラシィが働いていない証拠だと思う。
 何だかんだで、やはり報道のメディアで今一番発達しているのは新聞、テレビだと思う。大衆は新聞、テレビから情報を得ているだろうから、そこで自分たちの罪を報道しないのは、それだけで罪だ。何故か? マスコミも恣意的な報道をするものだと、強く大衆に訴えないからだ。
(論理はかなり飛ぶと思うが)恣意的な報道をすると大衆が理解すれば、大衆はマスコミを疑いを持って見る可能性が高まる。つまり、考えるようになる可能性が出てくる。考えるということは、行動する上で最も重要なことだ。
 前田が思う、マスコミの最も嫌いな点は「考えない大衆」を作り出そうとしているように見えることだ。大衆は国を動かすことができる。その大衆が考えないで、国が良くなるとは思えない。
 コメントにあった「ひぐらし潰し」はまさにその例、つまり、考えない大衆を作るという、その一つに見える。作品を歪曲して伝え、とにかく危険だとばかり言い、大衆に「アニメは危険だ」ということを植付けようとしているように思えるのだ。 


・問題
 ○○では毎日、凶悪犯罪が題材に挙がる。
 日本の犯罪者の殆どは○○を日常的に観ている。
 刑務所では服役者が自由に○○を観れないようになっている。
 つまり、○○が犯罪者を生み出している要因であると考えられ、従って、○○は規制されるべきである。


・答え
 ○○=テレビ
 マスコミは○○=アニメとか、○○=マンガにするけど。
 実際には、○○に入るものは、テレビでもアニメでもマンガでもない。


・謝
 何か色々ネガティブなこと書いてすんません。けど記事にする。


・KEK
 明後日から筑波に行ってきます。飛行機使って二泊三日、五千円。物理の研究所見学。
・購入録
「ALONE TOGETHER/本多孝好」購入。
 んで、これだけにするつもりだったのだが、「コミック怪」のvol.1を発見してしまう。表紙が「魍魎の匣」。マンガ。畜生。買うしかなかった。1029円という予想外の出費。

 まあ、本当に畜生と思ったのは読んだ後だったが。ギギギ。
・初音ミク
 Desk Top Musicのカラオケが誕生か。まあ、ツールとしてのこのソフトに対する言及はいいや。何度かこのblogで言っていることの繰り返しにしかならないし。
 それより気になるのはこのソフトのメカニズム。どうやって自然な音声にしているのだろう? 五十音(+α?)のサンプリングだけして、あとは信号処理で抑揚とか高低とかをつけるんだろうか?


・絶望しそう!
「さよなら絶望先生/久米田康治」のキャラの眼が怖い。昔の方が良かったのだが、長期連載のマンガの絵が変わるのは宿命であるし、しょうがない。
 眼が怖いのは何らかの伏線である、という予想は流石にムチャだろうと自分で思う。


・出版
「妖怪の理 妖怪の檻/京極夏彦」が欲しいのは欲しいのだが、それよりも「交渉人 遠野麻衣子・最後の事件/五十嵐貴久」が気になる。前作「交渉人」はミステリとしてかなり面白かったし、何より犯罪交渉人の物語は前田が読みたいし、書きたいジャンルである。


・音楽
 一音一音、細かいところにまで耳を澄ますという聴き方が面白いような気がしている。観賞というより観察? それとも、そういう聴き方が一般的なのだろうか? 不明。


・読書(バレ含む)
「School Rumble 18/小林 尽」を先週購入して読んだ。この作品、シリーズで700万部いってるんだな。恐るべし。
 相変わらず、感情表現とか感情のエピソードとかが上手いなと、そんなことを思う。今回は特に二つ。沢近-播磨間の感情のやりとりと、周防→花井の感情の表現。
 まずは前者。ツンデレというキャラクタが典型的にどんなエピソードを持っているのかは知らないが、沢近がフラれてから病院のやりとりまで、前田には斬新に思えた。沢近の恋愛感情を保存しながら、本来のキャラクタ性である「勝気」も損なわず、更に成長さえ描く。正直、凄いと思う。
 話が逸れるが沢近繋がりということで。♯218の終わりが好きだ。この、物凄く普通な感じ。fin!という感じでは全くなく(そりゃSchool Rumbleは完結していないが)、すぐに流れそうな会話の一端という感じ。この段落は「感じ」という言葉を使いすぎだ。
 次に後者。周防→花井の感情。「気づき」。
 短いセンテンスではなく、長いページを割いて感情を表現するというのは、思いのほか難しいのではないだろうか? 特に「感じ取ったものを明文化する」という練習をしていると、一つの言葉や短い文章に押しこめようとするクセがついてしまい、余計に難しくなるかもしれない。保証なく、そんな気がしたというだけだが。
 あと、結城の伏目がちな表情も「気づき」に由来しているか。

 笑った表現としては、カレーを食った播磨。あれはどう見ても食事の演出じゃねえ。一体、どの次元に迷い込んだんだ?
・マスコミ
リンク>「テレビが作る“民意”って何?大衆が誘導される今の時代」「報道の偏り…、胸くそが悪い」星野仙一氏が語る
 前田は政治については大衆なので、星野氏の主張は置いておく。
 思ったのが、付いているレス。批判的なものに、星野氏に対する批判が幾つも混じっている。主に、ダブルスタンダードとか何とか。しかしこの批評は意味がないというか、的が外れている。氏が過去に何を言っていようが、今回語った内容とは、何の関係もない。注目されているのは、今回提示された考えだからだ。
 批評・批判・意見の類は、「星野氏」にではなく「星野氏の記事」に対して述べるべきだと思う。そうでなければ、世の人間は反省が許されないことになってしまう。


・キャラクタ化
 んで、上記の項目繋がり。
 発言の内容に対して、発言者の過去にまで批評が及ぶという問題。ここに前田は「人物をキャラクタ化しようとする」動きが見えると感じた。
 キャラクタ化とはどういうことか?
 これは「価値を持った側面の肥大」を指す。つまりこういうこと。ある分野に於ける功績を持った人物に注目する際、注目する価値はその分野(側面)だけに限られているにも関わらず、他の分野(側面)に注目することである。上の星野氏の例でいえば「注目する価値のある側面=blogの記事」で「注目する価値のない側面=過去の発言」である。まあ、それ以前に、星野氏はキャラクタ化されているが。
 この「キャラクタ化」という現象は芸能人、スポーツ選手などの有名人全般に起きている。以前ここでも紹介したフィギュアスケート選手の飲酒運転もその類である。どうしてそんな部分に注目する必要があるのか? これが前田の持つマスコミに対する疑念の一つである。
 まあ、一概にキャラクタ化が悪いとは言えない部分もある。「よく考える人」の意見というのは、専門以外の分野でも鋭いものがあったりするからだ。だがあくまで「あったりする」という、可能性である。
 逆に最もダメなのは、専門分野に対して大したことのない意見しか言えない人間である。
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