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・今まさに
「もののけ姫」を観ている。
 自然と人間の戦いを描いている(一見して、そう観察される)もののけ姫でも、やはり動物は植物より上になっている。「シシ神‘の’森」と言っているし(シシ神が動物だとしてだが)。
 動物<植物、または動物=植物の力関係になっている作品て、何があるだろう? 自然現象>動物なら、割とありそうな気もするけど。
 あ、あと、鉄って、人間の象徴みたいに扱われるが多い気もする。人間というか、人工物か。鉄も自然なのに。
 およそ二時間経過。上記のことに反するように「もうお終いだ。森が死んだ」とも言ってるな。アレ?


・読書
「太陽の塔/森見登美彦」読了。ああ……、読むつもりじゃなかったのに。
 しかし何と頭が悪い作品だ(褒め言葉である)。傍から見て、圧倒的におかしなことを言っている(やっている)が、本人は気づいていない。むしろ肯定しているという滑稽さ。この辺りの面白さは「夜は短し~」の「私」の部分と同種だろうか。
 ただ、珍妙な世界観の見せ場が比較的少ない。この点で、前田は「夜は短し~」の方が好きだ。最大の珍妙物体である太陽の塔は、岡本太郎の作品であることだし(その形容は、無論、森見登美彦によるものだが)。
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・ちょっとした注意
 前回と今回のリアリティ云々の記事で用いている「リアル」「リアリティ」といった言葉は、一般に使われているものと用法が違うのである。


・続き
 サークルの先輩と少々話をしたので、前回の時点から前田の考えが多少変わっているかもしれない。その話からも時間が経っているので、やはり変わっているかもしれない。

 リアリティを、この場では、次のように定義する。ただし厳密なものではなく(前田はまだ厳密な定義ができない)、幾らか揺らぐ。
「リアリティ=読者が作品世界をどのようなものとして受け取るか」
 例えば手記形式。これは「作品が誰かによって残された手記である」というリアリティを持たなければならない。前田は手記形式を殆ど読んだことがないが、この系統の作品のキモは「書かれていることは、全て、本当に誰かが体験したことである」ということ(=リアリティ)から来る恐怖感なのではないかと思う。これは小説というメディアと相性がいい。読者は「読む」ことで内容を理解するからだ。

 このリアリティとリアルの関係について、少々言及しておこう。前田は、リアリティを出すためにリアルが必要になる、と考える。社会派ミステリには「本当に何処かで起きていそうな事件」というリアリティが要求される。従って、そのようなリアリティを出すならば、高いリアルが必要となるのは明らかだろう。警察機構がリアルじゃないのに「何処かで起きていそう!」と思う人は、多分、いない。ファンタジィでも同様のことがいえる。「そのような幻想世界が存在する」というリアリティを出すならば、現実の人間の社会に関するリアルが絶対に必要になる。

 さて、作者が考えなければならないリアリティについての問題とは何か? 前田は次の二つを挙げる。
1.如何にしてリアリティを出すか
2.どのようなリアリティを選択するか
 前田は後者が特に重要であると、現在考えている。
 個人的な話になってしまうが、以前の前田は、究極の小説を次のように考えていた。
「読者が、自分は作品内に存在していると錯覚するような小説」
 つまり、作品内の世界は本当にあって、読者はその世界を体験しているというリアリティである。前田は、これは正しいと、今でも思っている。そのような小説は、まず間違いなく面白いはずだ。
 しかしそのような小説を書くことはできない。技術の問題ではなく、原理的に不可能だ。当たり前である。読者は小説内の世界にいない。殺人を目撃したり、素敵な恋人と巡り逢ったり、金銀財宝を探しているわけではない。「作品にのめり込む」という言葉はあるが、それは読書に集中しているだけである。「読者が、自分は作品内に存在していると錯覚するような」リアリティは、突き詰めようとしても、原理的な限界が存在するはずだ。
 ではどうするか?
 上記の問題を「如何にリアリティを出すか」ではなく「最高のリアリティを発揮できるのは、どのようなリアリティの場合か」と解釈し直す。これは「速く移動するには、何を使えばいいか」という問題に似ている。100mを9.74秒以内に移動するには、自動車を使えばいい。小説が作り物でしかなく、読者を錯覚させることができないなら、作り物としてのリアリティを求めればいい。
 これが、古川日出男のフィクション宣言の本質である(尤も、前田が勝手にそう感じただけだが)。
 そして「小説は作り物であるというリアリティ」以外にも、突き詰めることのできるリアリティがあるはずである。前田はそれがどのようなリアリティなのか、分からない。分からないが、それを探索することは、新しい小説の開拓に繋がることだと思っている。


・読書
 執筆中は読書量を減らすべきだという判断から、最近は小説を読んでいない。だって読むと影響されるしさー。場合によっちゃ凹んで、モチベーション減衰するしさー。
 ああ、しかし「ハル、ハル、ハル/古川日出男」読みたい。
・続き
 全然書いてねえ!


・小説
 二作品同時進行中。古川日出男の言う「相互作用」を試してみている。何か起こるのだろうか?
・小品
 前回からの続きの出力を保留し、代わりに小ネタ。

 駅を出ると「わたしの不幸を買っていただけませんか?」と声をかけられた。日も落ちた時間帯のことで、けれど派手な電飾や人のざわめき、交通機関の騒音が夜とは思えない環境だったから、私はてっきり、女が売ろうとしているのは春なのではないかと思ったが、「一つ千円です」と言われ、考えを改めた。
「不幸って?」
 女は右手に乗せた小さな包みを私に見せた。キャンディほどの大きさだった。これがどうやら女の不幸らしい。
「これ買うと、不幸になるの?」
「いえ、多分、ならないと思います」
 曖昧な表現だ。もっと詳しく話してくれと要求すると、女は緊張したようで、眼が私を外れ、左手を少し体に寄せた。握りたいのか指を開きたいのか、その仕草が女の躊躇いに見えた。
「その、わたしの不幸を買った後にあなたが不幸になっても、わたしの不幸とは関係が、ないです」
 それでは不幸を買ったことにならないではないか。女の論理は支離滅裂で、悪くなかった。私は財布から千円札を出し、女に渡した。
 女は「ありがとうございます」と言い、私が不幸の包みを貰うと、雑踏の中に早々と消えていった。
 駅から自宅までの道すがら、包みの中に何が入っているか気になり、開けてみた。琥珀色のそれは鼈甲飴としか思えず、試しに少し舐めてみると甘かった。
 次の日も駅前に女がいた。私のようなサラリーマンと話していて、やはり不幸を売ろうとしているようだった。やがてサラリーマンは遮るように手をかざして、女から離れていった。世の中、不幸を買うような人間ばかりではない。
・マゼッパ
 超絶技巧練習曲の四番である。今聞いているが、やはりLisztは恐ろしいな。


・混ぜてみた
「こんなとき、どういう顔をすればいいか分からないもの……」
「それは君の自由だ」


・男汁
 やばい。森見登美彦のblogが面白すぎる。
リンク>この門をくぐる者は一切の高望みを捨てよ
 纏めて読んだ結果、思考に影響を受けてしまい、小説の執筆が停滞した。恐ろしい。


・フィクション宣言
「FICTION ZERO/NARRATIVE ZERO」という文芸誌が発行されていた。古川日出男が執筆人のリーダっぽく扱われていたので気になり、少し読んでみた。
 巻頭にあったのが、古川日出男による「フィクション宣言」だった。その内容は、「小説だとか文学だとか、ライトだとかヘビィだとか、そんなくくりはどうだっていい。全部フィクションだ。フィクションというところから俺たちは一斉にスタートする。無差別級だ」みたいな感じだった。
 前田は古川日出男作品が好きだが、本質的に何が好きかといえば、恐らく、上記のフィクション宣言のような精神だと感じた。


・リアル
 さて、本題はここからである。恐らく、今後前田が小説を書く限りつき纏う問題だ。それが「リアリティとは?」。当blogでもたびたびこの題材を「読書」の項で取り上げている。岸部露伴は「リアリティこそが最高のエンタテイメントだ」といった。この言葉の意味を、作家は真剣に考えなければならないと、前田は感じている。
 まずは言葉を分解する。リアリティに似た音の単語に「リアル」がある。このリアルの意味を定義する。
「リアル=現実を再現すること」
 現実を定義しなければリアルの定義も成立しないので、ここでいう現実も定義しておく。
「現実=作品外の世界」
 ここでいう作品とは、その小説、その漫画、その映画、そのドラマ、ということ。通常は、現実とは、我々の世界である(なんとも抽象的だが、通じるだろうか? そもそも、現実という言葉は感覚的に捉えればいいと思うので、この定義にはあまり意味がないかもしれない)。
 つまり、リアルとは、どれだけ現実と同じかを表す形容詞として定義される。例えば、警察小説を書く際に警察機構のことを調べなければならないのは「リアルな警察」を書くためだ。資料漁りは、基本的に、このリアルを追求するために行われるものだと思う。
 このように定義すると、例えば次のようなことがいえるだろう。
「ファンタジィはリアルではない」「S.F.はリアルではない」「ホラーはリアルではない」
 このことから解るように、リアルさは、作品の面白さと直結しない。
(続く)
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