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・穴
 そんなわけで研究室の合宿のため、愛媛に行ってきた。物理の教官と漢字について議論したりするという不思議。ラジオ体操の偉大さとかも知った。
 移動は車だった。全ての日程を消化し、大学に帰る途中、「羅漢穴」なる場所を偶然見つけ、学生六人で行ってみた。鍾乳洞であった。入るのは初めてである。光源が携帯のライトのみというのは、実に心もとない。電池切れたら帰れなかっただろう。それほど暗かった。試しにライトを消してみると、視界が完全になくなってしまった。


・デッサン
 そんなわけで、羅漢穴のほかにも色んなトコに行き、風景とかも楽しんだわけである。
 しかし、果たして「風景をそのまま描写すること」、つまり「小説に於けるデッサン」はエンタテイメントになるのだろうか?
 文学としてなら確実に成立する(またはしていた)だろう。自然主義派というのがこれに該当するはずだ。
 前田は、エンタテイメントにならないと予想する。


・カレー
 土産で鯨カレーを買った。もちろん、前田が食う。


・読書
「文鳥・夢十夜/夏目漱石」を読んでいる。新潮文庫のやつ。
「文鳥」と「夢十夜」の第一夜が気に入っている。どちらも悲愴がべたべた付きそうな話なのだが、漱石の文章はそうなっていない。距離を置いた視点というか、客観的な視点というか、そのような印象がある。だが客観的といってもデッサンではなく、ちゃんと視点保持者の心理が垣間見られるようにもなっている。だからなのか、読んでいる人間は無感情にならない。少なくとも前田はそうであった。
 このとても客観的な視点というのは、この本の作品全体に見られ、漱石の持ち味なのだろうか、と思った。
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・拍手レス
>しも
 未完の作品に手を出してしまうとショックだよな。トリブラとか。


・合宿
 明日から研究室の合宿に行ってくるので、更新停滞。まあ、もともと頻度は低いのだけど。


・絶望した!
「さよなら絶望先生/久米田康治」のアニメのOP.についての考察。
リンク>「さよなら絶望先生」OPにみる、少女解体とオブジェ観
 前田としては「少女性の精製」という言葉がしっくりくる。「少女性とは何か」ということを問うて、その核だけを強調し、他の要素(人間としての要素)を排除する、という。
 面白いのは、この「精製」は「雪国/川端康成」に通じる点があるということ。新潮文庫の解説にあったのだが「雪国」では「一瞬の美に焦点を当て、それを徹底的に掘り下げるが、その他のことは島村(主人公)にとってまるで無であるかのように通り過ぎる」。
 どちらも「焦点を決めている」という言葉に還元されると思うのだけど、そんな単純なことも、意識しなければできないことである。更に「どのように焦点を当てるか」ということも重要なポイントだろう。絶望先生ならば「不要な人間の身体性は、ひどく客観的に見る(オブジェ化する)」で、雪国ならば「風景と心理を混ぜ合わせて表現する」だと思う(雪国についての考察が甘いけれど)。
 必要なのは、焦点についてのルールか。


・トラバ
 そういや、トラックバック機能を使ってないな。


・読書
「雪国/川端康成」読了。他の作品も読みたい作家だ。同じエロオヤジでも、前田は谷崎より川端の方が好みである。
 次は「文鳥・夢十夜/夏目漱石」を読む予定。最近の前田には、古典文学ブームが到来している。
・反省
 昨日のタイトルは「電磁気力ピエロ」にすればよかった。無重力じゃありきたりだ。「強い力ピエロ」や「弱い力ピエロ」は音が悪い。「カシミール力ピエロ」は何か違う。


・解の無い方程式
 放置宣言を敢行。こっちは更新続けるつもりだけど、頻度は低い。


・夏休み
 長期休暇ではない辺りが大学の研究室っぽい。帰省の予定は今月11日あたり。夏休み前に研究室の合宿があり、夏休み後に院試がある。


・文芸賞
 便利そうなblog発見。
 リンク>新人賞ととって作家になる!
 いつ作品ができるかもわかんないのに、群像か文藝賞に送ろう、とか妄想中。


・読書
「雪国/川端康成」を読んでいる。「向こう側とこちら側」という形から発生するような表現が多いと感じている。
 やっぱり物語の面白さはよく分からず、文章ばかりを読んでいる。前田は谷崎の艶よりも川端の艶の方が好きだと気付いた。
 かなり前に分析したことなのだが、川端の文章は伏線が凄い。エピソードに対してではなく、表現に対して表現で伏線を張っているように見える。それも、徹底的に。この技法は恐らく、イメージの重ね合わせとでも名付けられそうな強調表現だと思う。
 気になる点としては、葉子の声の表現に「悲しいほど美しい」としか書かないところだ。同一の文章を何度も使うのはマイナスに思えるが、果たして。
・コメント返信
>kisaさん
 らしいね。まともに生き残るんだろうか?
 メフィスト賞は別に黒じゃないと思うけどねぇ。良い作家を何人も出しているし、誇ればいいと思うのだけど。

>えふやさん
 そんなことを言うと叱られてしまいます。


・イニD
 あれの番外編と本編との面白さの差が凄いと思う。


・読書
「重力ピエロ/伊坂幸太郎」読了。
 これは矛盾の物語だと思った。主人公の一家という優しい人たちは、周囲の悪意と戦っている。けれど、その悪意こそが、主人公の一家を作ったという矛盾。悪意の中にある優しさに視点を持たせているということが、この小説を読んでいるときに感じた居心地の良さに繋がっている、気がした。
 この矛盾に限らず、敵じゃない登場人物は、大抵、矛盾を抱えている。その矛盾は全て春のためで、春も矛盾している。矛盾だらけという一貫性。

 次は「ハル、ハル、ハル/古川日出男」を読もうと思ったけど、ハードカバーという事実に躊躇い、購入していないので読めない。
・コメント返信
>oecさん
 キャベツ太郎、見参!


・東方
 某stgである。web体験版が配布された。
 曲の一つに「稲田姫様に叱られるから」というのがあったが、この名前は見事だと思う。前後が気になるからだ。


・飲酒運転
 フィギュアスケート選手の織田某が飲酒運転したとして報道されていた。前田はこの手の報道が嫌いである。織田を貶めようとするような意思が見える、と感じてしまうからだ。
 そもそもマスコミが織田を取り上げ始めたのはフィギュアスケートの功績からだ。彼はその点でのみ、報道に値する人間だったはずだ。しかし今、彼の私生活にカメラが当たっている。ここに矛盾を感じるのである。
 犯罪は確かに犯罪であるが、彼のフィギュアの功績とは何の関係もないし、まして、罪のためにその功績が下がるわけでもない。しかしマスコミはこの無関係であるはずの二つを繋げようとしているように、前田は感じるのである。


・読書
「羅生門・鼻・芋粥/芥川龍之介」読了。
 巻末の解説では色んな褒め言葉が書かれていたが、何故そのような評価が与えられるのか、分からなかった。これはこの作品が面白くなかったというわけではなく、何を以ってそのように評価したのかが分からない、ということ。
 芥川は「小説の価値は物語ではない」というようなことを言っていたようだ。そして自分は物語ではなく、文章の密度の濃さ(これは単なる印象に過ぎない。読むのに時間がかかったが、苦痛ではなかった、ということ)に面白さを見出した。解説では当然のこと、文体などについても言及されていたが、前田はその解説に納得していない。
 理由の一つは恐らく、前田が自分の感じたことを明文化できていない、ということにあると思う。このような明文化できていないことは、果たして創作の役に立てることができるのだろうか? 前田は、否だと考えている。
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