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・ランチャ
 導入してみた。良い感じに設定することに成功。便利な予感。


・メモリクリーナ
 ついでに導入してみた。効果のほどは知らん。


・コンビーフ
 なかなか旨かったが、間違いなくカロリー高いよね。


・出版
 今更といえば今更な話かもしれない。「FLCL/ウエダハジメ」が講談社BOXで発売されていた。まさかノベライズ!?と思ったが、違った。マンガである。
 何だか、やりたい放題だなぁ……という感想。誰がって、太田編集長が。


・物理
 宇宙定数は時間に対して変化しないのではない。かつて、これがとても大きな時期があった。それはいつか? インフレーションの時である。フリードマン方程式を見れば解る。
 という話を研究室のセミナで少しした。観測と論理の浪漫。
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・おひさしぶりです
 小林賢太郎風に。


・PCいじり
 某サイトで紹介されていた、windowsの設定いじりをやってみた。高速化・安定化の方法である。現在、効果は体感していない。
 あと、ランチャとメモリクリーナを導入したくなった。けど多分、導入しても大して使わないだろうという予想がある。意味無し。実際に手に入れてしまったら、使用しなくなるというものは、案外多いのではないだろうか。積み本とか良い例だと思う。書店に居るときは金を出すほど欲しいのに、買ったあとは本棚へ。
 や。そのうち読むんだけど。


・絵文字
 PC、携帯電話の普及によって、随分と一般に浸透したようだ。そして、そのような電子書類以外の場所でも見かけるようになった。看板などに手書きの絵文字が書かれているのだ。
 文字というのは、書くのが容易であるという意味で、非常に優れたデザインだと思う(識字率100%である日本だから言える意見か?)。この文字の組み合わせで持って絵を書くのだから、絵文字もまた同様の意味で優れたデザインだろう。普及する原因の一つが、このデザイン性にあると思う。
 では、普及するとどうなるか?
 工夫のない消費が増えるのではないだろうか。つまり「絵文字を用いて表現する」ということにとらわれ、「何を表現するか」がおろそかになる。媒体を用いること自体が面白いと勘違いされて、面白くないものが多量に横行するわけだ。
 blogもこの例である。簡単にweb上に情報を発信できるようになったが、その情報の内容がつまらない。blogは単なる媒体であって、これを用いれば、面白くなるというわけではない。テレビもそうだ。画質を幾ら上げても、番組そのものが面白くなければ、観ようとは思わない。
 そして以上のような話は森博嗣が何度もしているということに気づき、自己矛盾。


・読書
「島田荘司読本/島田荘司責任編集」をちょこちょこと。
 島田荘司自身のものは冒頭の短編小説と、巻末の評論で、あとは、他の作家による作品解説とエッセィだった。創作の役に立つ……のか? 評論はなかなか面白かったが。
 あと先輩に借りた「シュルレアリスム宣言/アンドレ・ブルトン」を読み始めた。訳は巖谷国士。
 すごく単純に書けてしまうことを、無闇矢鱈に文章を長くして書いているような印象。この長さには何か意味があるのだろうか……。読みづらいというか、何だかもう、よく解りません!
・言い訳
 連休、ということ以外に何かあるだろうか? いや、ない。


・野菜炒め
 スプーンを使って食べるのが正解というようなものを作った。箸を使うのは不正解。


・購入録
 割と前に「島田荘司読本/島田荘司責任編集」を買った。文庫が出版されていることを知らず、ハードカバー購入。無念。


・日記
 更新する気にならない日は、大抵、ここに書くような思考を行っていないという証拠である。本日は講義とテンソルの計算と英訳と原稿読みで一日が終わっていく。
・コメント返信
>無為さん
 そうだといいんですがねぇ。まあ、合評会待ちです。


・鏡
 水銀だっけ? 調べてみたら全然違った。前田はどこから水銀なんていう知識をもってきたんだ。
 第一、考えてみたらあんな液体で鏡ができるとは到底思えん。


・日記
 某友人blogの記事に対して、少々思ったことをば(trackbackとかいう機能もあったな、そういえば)。自己と他者に関して。
 二律背反についてはしばしば言われることだが、「他者がいなければ、自己というものもない」。「完全な自由は自由ではない。何らかの制約があってこそ、自由たりえる」といったものと同じだ。
 では仮に、自分以外の生命がいなくなったとしよう。このとき、自己もなくなるのか? 自分はそのような状態を想像できない。茫然自失として発狂する可能性はあるだろうが、上記の言葉はそういうものではないだろう。
 では、他者という概念が消失したと考えよう。このとき、自己という概念は消失するのか? この場合、消失するのではなく、他者がないため自己というものを導入する必要がない、というだけな気がする。全て自己という可能性もあるわけだから、自己がなくなるとは言い切れない。
 そんなわけで自分が思ったのは「他者という概念がなければ、自己という概念に価値がない」という結論だ。自由に置き換えても同様のことがいえるだろう。「制約がなければ、自由に価値はない」


・読書
 本日より、サークルで作る冊子に載せるための原稿の下読み(この用語で合っているのか?)をしなくてはならない。大変だぁ!
・日記
 物語の目的とは、願望の充足にある。
 ヒーローを主人公に据えるとどうなるか? 共感が弱くなる。そこで共感を得るために、読者の抱えるような弱点を持たせたりすることになる。
 では、その弱点とは、何処から来るのだろうか?
 とってり早いのが、作者が感じる弱点だ。
 このように創ると、エンターテイメント小説もまた、私小説足りえる。


・執筆
 一応、終わった。
 出来? 駄作じゃね?


・メフィスト賞
 モルチナ・トルッコ、だっけ。
 島田荘司のアオリ文は卑怯だ。欲しくなるじゃないか。
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