忍者ブログ
[53] [54] [55] [56] [57] [58] [59] [60] [61] [62] [63]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

・物理
 院試の問題を解こうとした。勉強の必要を再確認した。
 セミナで使う教材が確定した。英語に触れるのは久々。やはり勉強の必要がある。
 来週、Y大学の講演に行く。霧箱の実演含む。自分は実演側なので、放射線に関して多少の勉強が必要である。
 結局、勉強は必要だということ。当たり前の話だ。小説を書くにも勉強は必要で、詩を書くにも勉強は必要である。
 勉強とは「誰かに強いられてやること」というのが本来の意味だと聞いたことがある。高校以下の学校に於ける勉強は、まさにその通りではないだろうか(自分は普通高校を経験していないが)。そしてしばしば、大学でやるのは勉強ではなく、学問だと言われる。
 しかし残念ながら、学問をやるためには積み重ねが必要である。例えば物理ならば、数学だ。この数学は、勉強になるだろう。自分で自分に課す勉強である。「楽は苦の種、苦は楽の種」という言葉の典型。サボると、面白いところを理解できない。


・出版
 メフィストで古野まほろが書いていた。あと、初野晴も書いていた。初野は角川でデビューしたのだが、いつの間に講談社に? 売れているのだろうか。だとしたら嬉しい。
 森博嗣も舞城王太郎も書いているし、気になる雑誌なのだ。買おうか買うまいかと悩むが、積み本あるし、小説を読む時間も減っていくだろうし、断念する。それに今月は欲しい本が沢山出るのだ。
「後巷説百物語/京極夏彦」
「小生物語/乙一」
「Q&A/恩田陸」
「小林賢太郎戯曲集/小林賢太郎」
「イエスタデイをうたって/冬目 景」
 うう……。金が……。


・読書
「リーマン博士の大予想/Karl Sabbagh」を読んでいる。小説ではなく、一般向けの数学の本。随分前に買って、途中で読むのを止めた本。
 リーマン予想とは、或る数A以下にある素数の数を完璧に求める式。この予想がでてきてから二百年近くたつけど、未だに証明されていないのだとか(因みに、フェルマーの最終定理は二百八十年くらいで証明されたと思う)。この問題を巡る、色んな数学者たちの話。
 数学史は非常に面白いのだが、この本は少々面白くない。理由は簡単で、登場する数学者を俺が知らないということ(最近の人たちばかりなのだ)。あと、リーマン予想を証明する際の問題やらを多く紹介しているあたりも、面白くない。何でって、イマイチ理解できないから!
PR
・回線
 繋がった。光というのは良いものである。

・詩
 ポエムのことである。前田は詩の勉強をしたことがないので、ほぼ憶測で書く。詩に必要なものは何か、という話。
 何よりも必要なのは、独自の視点だと思う。観察の眼のつけどころ、というやつだ。当たり前のことを詩っぽく書いたところで面白くならないと思う。特に感情に関する詩は、この観察眼が重要ではないだろうか。それがなければ、中二病になる気がする。
 もう一つは、音だ。言葉の響きが良ければいいという考えである。内容は分からなくてもいい。

 なんでこんなことを書くのかというと、詩を作ってみたくなったからである。そしてそれはACIDMANの影響である。
・コメント返信
>kisaさん
 確かにwebサイトに載せるような文章でした。しまった!

 価値観の多様化は、基準レベルの引き下げに関係している、のかな?


・予言
 ネット回線が今月十五日に開通する予定。更新復活は早ければその日から。LANケーブル10mを購入するべし、俺。


・熱さまシート
 水に漬けておくとブクブクになることを確認した。将来的には、そのブクブク状態で電子レンジにかけるとどうなるかやってみたい。
・日記
 相変わらず友人宅の回線を使用させてもらっている。自宅のネットも申し込みはした。開通はいつになるのか。不明。

 小説全般について聞かれる意見の一つだが、最近の小説は昔に比べて面白くなくなっているという。何故だろうか。
 理由の一つとして、出版技術の向上が挙げられる気がする。正確には、出版が容易になったということ。
 昔と違い、現代は文章を簡単にデータで取り扱うことができ、印刷も簡単に行える。そのために出版に関する苦労が小さくなり、出版されるものも増えた。増えるということは、出版に値するとみなされる作品が増えたということ。
 この「出版に値する作品が増える」という現象の原因としては二つ考えられ、一つは作家全体のレベルか向上したというもの。もう一つは、出版できる基準のレベルが下がったというもの。小説が面白くなくなっている、という意見を汲むならば、原因は後者だろう。粗製乱造だ。
 とまあ、書いてみたが、前田は出版の歴史をとんと知らない。思いついたままに書いただけである。
 粗製乱造の原因には、出版市場が成長したため、というのもありそうである。


・本棚
 なかなか素晴らしい収納能力を持った本棚が部屋に設置された。スライド式で、奥の方にハードカバーが収まる。これだけでテンションが上がった。
 持っている本を全て並べてみると、思いのほか少ないことに気づく。総重量に騙されてはいけない。或いは、本は冊数の割に重いという結論になる。


・森 鴎外
「森鴎外良くね? チョーカッケーんだけど。ヤバくねぇ? 舞姫とかマジキテるし」
 そんな若者の会話を友人が想定している。この場合、日本の未来に期待しても良いのか? 不明。


・読書
「ニューロマンサー/William Gibson」に再挑戦。
・日記
 引越しを完了した。これはつまり、前田がstand aloneになったことを意味する(前田は電脳を搭載しているという意味ではない。complexもない。不便なだけだ)。従ってblogもwebサイトも更新が停滞するということだ。本日は、友人宅の回線を使用させてもらっている。

 残る作業は、住所変更の届け出と、ネット回線の申し込み。あと机と本棚の導入か。

 ニュースは色んな情報をごちゃ混ぜにして報道する。明るいニュースも暗いニュースも、同じ番組内だ。
 そんな中、訃報を流すのは不謹慎か否か。冥福を祈った直後、犬のかわいさに微笑むのである。
 不謹慎だというつもりはない。考える余地があると感じただけだ。しかし思考の基準、つまり不謹慎というのはどういうことかを明確に決めることができていないので、分からない。


・読書
「13階段/高野和明」読了。面白かった。タイムリミットの存在はあまり強く感じられなかったが、主人公達の動機、最後のどんでん返し、アナロジィによる予感などにより、存分に作中世界に入り込めた。ただし後味は最悪であった。初期条件に必然性があるのは良いのだけど、その必然性の内容が……。
 エピソードのダブルミーニングをきちんとこなすのは、良い小説の条件だろうか。或るエピソードの意味として「それまでの話の流れを受けてのもの」と「伏線」の二つがある、ということ。これによって「伏線を伏線として悟らせない」ことが可能になると思う。再読に耐えることのできる作品とは何か?という問いに対する、一つの答えかもしれない。
忍者ブログ [PR]