・コメント返信
>kisaさん
この場合は、時間をお金に例えるというよりも、お金で時間を買うことができる、という風な意味合いでございます。
自分の場合は、車内で本が読めるし、俺の所持金はもともと親のもの、という理由から、鈍行を選択しました。
・思考
kisaさんのコメントに関連して、少々考えてみた。ここもコメント返信の一部? お金と時間、どちらに価値があるか、という話。
まず、現在の労働とは、労働者の時間を金銭に交換するというものである。時給、日給、月給という言葉に表れている。しかし、この給料というものは同じ時間だけ働いた労働者全員が同じ額ではない。何故かといえば、雇い主は労働者の時間だけを買っているわけではないからだろう。労働者の技能も買っている。高い技能を持つ方が、時間辺りの給料が上がるという、簡単な話。
このことはこう解釈できる。「技能が高まれば時間の価値が上がり、技能がなければ時間の価値は低い」。労働という観点については時間にこのような価値が付くと考えられる。対外的な時間の価値、とでも言おうか。
この「対外的な時間の価値」は時間の価値の一側面でしかない。時間の消費方法は労働だけではないからである。他に個人が趣味に使ったり何なりと、個人の持つ時間の価値が加わる。「対外的な時間の価値」がつまり金銭のことに相当するから「時間の価値=金銭の価値+個人的な時間の価値」となり、従って、時間の価値は金銭のそれよりも高いと考えられる。
ところで人間の生き方というのは、自分の時間の価値を向上させることに費やされるものなのではないか、と思った。対外的な時間の価値を向上させたり、個人的な時間の価値を向上させたり。殆どの人間が生きるために金銭を必要とすることを考えると、対外的な時間の価値を向上させればその分色んなことに使える時間が増えるので、個人的な時間の価値を向上させることに繋がると思う。
何だか、非常に当たり前のことを長々と書いただけな気がしてきた。しかし記事にする。
・創作
前回、本文にとりかかれると書いたが、止めた。プロットをもっと詰めようと思う。
理由は、現時点のプロットで面白くなるとは思えないから。本格ミステリの味を少なくとも出す必要があると思うのだ。そのための論理を構築しなければならない。しかしできる自信はない。
あと、眠すぎる中、論理を構築するもんじゃないと思った。
・読書
「バガボンド24/井上雄彦」読了。
話は全然進んでいないように思えたが、面白かった。絵は偉大である。小説でいうと文章に相当する部分。
漫画では、まず絵が合わないと読まれない。どんなにストーリィが良くても、まず絵で選別するわけである(ジョジョが良い例だと思う)。小説の文章は漫画の絵ほど瞬時に判別されないが、やはりある程度の水準にないと読んでもらえないだろう。文章だけで読ませるのは、実に難易度の高い技術。
ここまでバガボンドを読んできたが、やはり又八は「大多数の読者の姿」であると思う。自分は凄いと勘違いし、過去の栄光にすがり、いざというときに逃げ、強者の影に隠れる。武蔵から遥か遠い位置にいる人物。勝負していない人物。
恐らく、多数の人間は又八でしかない。
今回の巻で、読者と又八の位置は殆ど変わらないということが、今までの巻よりも直接的に示されていると思う。
こういうのをアフォリズムというのだろうか。
「ライン/村上 龍」も読了。
面白かったけど、何が面白いのか良く分からない(いつものことだが)。前回の記事で書いたこと以上を掴めていないと思う。
ただ、ユウコはやはり特殊な位置に置かれている。物語のつなぎとかではなく、多数の登場人物の中で、この人物だけが苦痛に大して超然としているように思えた。
ラストの章タイトルは上手いと思った。そら、最後ならそういうタイトルになるわな。
>kisaさん
この場合は、時間をお金に例えるというよりも、お金で時間を買うことができる、という風な意味合いでございます。
自分の場合は、車内で本が読めるし、俺の所持金はもともと親のもの、という理由から、鈍行を選択しました。
・思考
kisaさんのコメントに関連して、少々考えてみた。ここもコメント返信の一部? お金と時間、どちらに価値があるか、という話。
まず、現在の労働とは、労働者の時間を金銭に交換するというものである。時給、日給、月給という言葉に表れている。しかし、この給料というものは同じ時間だけ働いた労働者全員が同じ額ではない。何故かといえば、雇い主は労働者の時間だけを買っているわけではないからだろう。労働者の技能も買っている。高い技能を持つ方が、時間辺りの給料が上がるという、簡単な話。
このことはこう解釈できる。「技能が高まれば時間の価値が上がり、技能がなければ時間の価値は低い」。労働という観点については時間にこのような価値が付くと考えられる。対外的な時間の価値、とでも言おうか。
この「対外的な時間の価値」は時間の価値の一側面でしかない。時間の消費方法は労働だけではないからである。他に個人が趣味に使ったり何なりと、個人の持つ時間の価値が加わる。「対外的な時間の価値」がつまり金銭のことに相当するから「時間の価値=金銭の価値+個人的な時間の価値」となり、従って、時間の価値は金銭のそれよりも高いと考えられる。
ところで人間の生き方というのは、自分の時間の価値を向上させることに費やされるものなのではないか、と思った。対外的な時間の価値を向上させたり、個人的な時間の価値を向上させたり。殆どの人間が生きるために金銭を必要とすることを考えると、対外的な時間の価値を向上させればその分色んなことに使える時間が増えるので、個人的な時間の価値を向上させることに繋がると思う。
何だか、非常に当たり前のことを長々と書いただけな気がしてきた。しかし記事にする。
・創作
前回、本文にとりかかれると書いたが、止めた。プロットをもっと詰めようと思う。
理由は、現時点のプロットで面白くなるとは思えないから。本格ミステリの味を少なくとも出す必要があると思うのだ。そのための論理を構築しなければならない。しかしできる自信はない。
あと、眠すぎる中、論理を構築するもんじゃないと思った。
・読書
「バガボンド24/井上雄彦」読了。
話は全然進んでいないように思えたが、面白かった。絵は偉大である。小説でいうと文章に相当する部分。
漫画では、まず絵が合わないと読まれない。どんなにストーリィが良くても、まず絵で選別するわけである(ジョジョが良い例だと思う)。小説の文章は漫画の絵ほど瞬時に判別されないが、やはりある程度の水準にないと読んでもらえないだろう。文章だけで読ませるのは、実に難易度の高い技術。
ここまでバガボンドを読んできたが、やはり又八は「大多数の読者の姿」であると思う。自分は凄いと勘違いし、過去の栄光にすがり、いざというときに逃げ、強者の影に隠れる。武蔵から遥か遠い位置にいる人物。勝負していない人物。
恐らく、多数の人間は又八でしかない。
今回の巻で、読者と又八の位置は殆ど変わらないということが、今までの巻よりも直接的に示されていると思う。
こういうのをアフォリズムというのだろうか。
「ライン/村上 龍」も読了。
面白かったけど、何が面白いのか良く分からない(いつものことだが)。前回の記事で書いたこと以上を掴めていないと思う。
ただ、ユウコはやはり特殊な位置に置かれている。物語のつなぎとかではなく、多数の登場人物の中で、この人物だけが苦痛に大して超然としているように思えた。
ラストの章タイトルは上手いと思った。そら、最後ならそういうタイトルになるわな。
PR
この記事にコメントする