・帰省
帰省完了。
・購入記録
「ソロモンの指環/コンラート・ローレンツ」
巨大な本屋は偉大だ。欲しい本が見つかる。
・演劇
昨日のことであるが、大学の演劇団の公演を観に行った。子供の頃は何度も行っていたが、創作活動を始めてからはこれが二回目。違う表現技法、特に、普段は触れることのないものに触れるというのはなかなか良いものである。ストーリィも想像が膨らむようなもので、面白かった(穿った見方をしているとは思うけど)。
思ったのが「娯楽って何だろう?」ということ。「観客をそのシーンごとで飽きさせないためには、何が必要なのだろう?」ということ。小説を書く際にも当然考えなければならないことだろうし、そして基本的なことにも感じる。未熟なり、前田。
・読書
「99%の誘拐/岡嶋二人」を電車中で読了。「我輩は猫である/夏目漱石」は持って帰るのを忘れてしまったので、しばし保留。
帰省完了。
・購入記録
「ソロモンの指環/コンラート・ローレンツ」
巨大な本屋は偉大だ。欲しい本が見つかる。
・演劇
昨日のことであるが、大学の演劇団の公演を観に行った。子供の頃は何度も行っていたが、創作活動を始めてからはこれが二回目。違う表現技法、特に、普段は触れることのないものに触れるというのはなかなか良いものである。ストーリィも想像が膨らむようなもので、面白かった(穿った見方をしているとは思うけど)。
思ったのが「娯楽って何だろう?」ということ。「観客をそのシーンごとで飽きさせないためには、何が必要なのだろう?」ということ。小説を書く際にも当然考えなければならないことだろうし、そして基本的なことにも感じる。未熟なり、前田。
・読書
「99%の誘拐/岡嶋二人」を電車中で読了。「我輩は猫である/夏目漱石」は持って帰るのを忘れてしまったので、しばし保留。
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・予定
明日か明後日か、帰省予定。
・筑波
物理の実験で筑波の研究所に行っていた。(不思議に思えるが)スタッフの人と小説の話をする機会があって、そのとき「どんな面白さが好きなんだ?」という質問を受けた。
この問は今の前田にとってなかなか重要な気がした。つまり、作品を読んだとき「何が面白いのか」ではなく「どのような面白さなのか」を問うということ。こちらの方が難易度が低そうで、読書方法に迷走している前田にとっては、ひとまず「どのような」を問うていくのが良いかもしれない。
・筑波大
一日休みを貰えたので、筑波大学に行って漫画研究会を訪問してきた。春休みにも関わらず、会員が二人、部室にいてくれて助かった(文学研究会は残念ながら不在)。それで、冊子を三冊もらった。感謝。
その冊子を読んだ最初の感想が「プロじゃないんだな」ということ。プロという言葉は単に「金を貰って作品を描いている」という意味。大学のサークルなのだからプロでないのは当然である。
自分が問題にしたいのは「パッとみてアマチュアだと分かる」という点。漫画という表現技法は、絵のレベルで「パッと見てアマチュアだと分かって」しまう(もちろん、そうではない作品も多々あるだろう)。
自分が今まで読んだことのある大学の漫研の冊子は三種しかないが、いずれも「パッとみてアマチュアだと分かる」ものだった。そして「パッとみてアマチュアだと分かる漫画」というのは、非常に「蔑みの対象になり易い」ものなのじゃないかと思う。プロに手が届く人材は殆どいない──少なくとも、前田はそう思ってしまう。
対して小説はどうだろうか? 漫画ほど「パッと見て」では判断できない気がする。「蔑みの対象に比較的なりにくい」。じゃあ、前田のような文芸サークル員にプロに手が届く人材が比較的多いのかといえば、全くそうではない。前田の書く小説のレベルが、パッと見てアマチュアだと判断できる漫画と同程度ではないという保証はないのである(文芸サークル員からの評価は思いのほか高いような気がするけれど)。
もしも自分が「パッと見てアマチュア」程度で、それで「新人賞に出す」とか考えているとしたら、何だか恐ろしくなる。この怖さがつまり、プロという集団のレベルの高さだ。
必要なのは、自分の作品も客観的に見ることのできる、そんな眼なんだろうとか思う。
・読書
「ドグラ・マグラ/夢野久作」の感想を少々。
訳が分からん、ということはなかったけど、謎が残ってる。答えは明文化されているわけでもないから、解くには分析の類が必須だろう。しかし……やるにしても骨の折れる作業だ。
本作は「虚無への供物/中井英夫」「黒死館殺人事件/小栗虫太郎」と並んで「日本三大ミステリ」「アンチ・ミステリ」などと呼ばれている。「アンチ・ミステリ」への考察についてはアレクセイ氏のものが面白かった(というか、これしか知らない。リンク>アンチミステリーとは何か)
「迷宮性」という言葉がリンク先にあるが、この単語は、何となく「ドグラ・マグラ」に合っている気がした(前田はアレクセイ氏がどのような意味で迷宮性という言葉を使っているかは知らないから、印象のみである)。そして「迷宮性」という言葉と「謎が残っている」ということは、何となく、符号するような気もしたのである。
「迷宮性=謎が残っている」ということを「過剰」にしていくとどうなるだろう。「作中の謎が全て謎のまま終わる作品」? このようなミステリを成立させることは可能か否か?
明日か明後日か、帰省予定。
・筑波
物理の実験で筑波の研究所に行っていた。(不思議に思えるが)スタッフの人と小説の話をする機会があって、そのとき「どんな面白さが好きなんだ?」という質問を受けた。
この問は今の前田にとってなかなか重要な気がした。つまり、作品を読んだとき「何が面白いのか」ではなく「どのような面白さなのか」を問うということ。こちらの方が難易度が低そうで、読書方法に迷走している前田にとっては、ひとまず「どのような」を問うていくのが良いかもしれない。
・筑波大
一日休みを貰えたので、筑波大学に行って漫画研究会を訪問してきた。春休みにも関わらず、会員が二人、部室にいてくれて助かった(文学研究会は残念ながら不在)。それで、冊子を三冊もらった。感謝。
その冊子を読んだ最初の感想が「プロじゃないんだな」ということ。プロという言葉は単に「金を貰って作品を描いている」という意味。大学のサークルなのだからプロでないのは当然である。
自分が問題にしたいのは「パッとみてアマチュアだと分かる」という点。漫画という表現技法は、絵のレベルで「パッと見てアマチュアだと分かって」しまう(もちろん、そうではない作品も多々あるだろう)。
自分が今まで読んだことのある大学の漫研の冊子は三種しかないが、いずれも「パッとみてアマチュアだと分かる」ものだった。そして「パッとみてアマチュアだと分かる漫画」というのは、非常に「蔑みの対象になり易い」ものなのじゃないかと思う。プロに手が届く人材は殆どいない──少なくとも、前田はそう思ってしまう。
対して小説はどうだろうか? 漫画ほど「パッと見て」では判断できない気がする。「蔑みの対象に比較的なりにくい」。じゃあ、前田のような文芸サークル員にプロに手が届く人材が比較的多いのかといえば、全くそうではない。前田の書く小説のレベルが、パッと見てアマチュアだと判断できる漫画と同程度ではないという保証はないのである(文芸サークル員からの評価は思いのほか高いような気がするけれど)。
もしも自分が「パッと見てアマチュア」程度で、それで「新人賞に出す」とか考えているとしたら、何だか恐ろしくなる。この怖さがつまり、プロという集団のレベルの高さだ。
必要なのは、自分の作品も客観的に見ることのできる、そんな眼なんだろうとか思う。
・読書
「ドグラ・マグラ/夢野久作」の感想を少々。
訳が分からん、ということはなかったけど、謎が残ってる。答えは明文化されているわけでもないから、解くには分析の類が必須だろう。しかし……やるにしても骨の折れる作業だ。
本作は「虚無への供物/中井英夫」「黒死館殺人事件/小栗虫太郎」と並んで「日本三大ミステリ」「アンチ・ミステリ」などと呼ばれている。「アンチ・ミステリ」への考察についてはアレクセイ氏のものが面白かった(というか、これしか知らない。リンク>アンチミステリーとは何か)
「迷宮性」という言葉がリンク先にあるが、この単語は、何となく「ドグラ・マグラ」に合っている気がした(前田はアレクセイ氏がどのような意味で迷宮性という言葉を使っているかは知らないから、印象のみである)。そして「迷宮性」という言葉と「謎が残っている」ということは、何となく、符号するような気もしたのである。
「迷宮性=謎が残っている」ということを「過剰」にしていくとどうなるだろう。「作中の謎が全て謎のまま終わる作品」? このようなミステリを成立させることは可能か否か?
・購入記録
「リトル・バイ・リトル/島本理生」
「4U/山田詠美」
「暗夜行路/志賀直哉」
「カンバセイション・ピース/保坂和志」
「美少女の現代史/ササキバラゴウ」
「夭都七事件/物集高音」
「道草・明暗/夏目漱石」
・読書
「ドグラ・マグラ/夢野久作」読了。
現在は「我輩は猫である/夏目漱石」を読んでいる。まさかこんなところに森見ギャグの元祖と「読者が犯人」トリックのヒントがあるとは……。
「リトル・バイ・リトル/島本理生」
「4U/山田詠美」
「暗夜行路/志賀直哉」
「カンバセイション・ピース/保坂和志」
「美少女の現代史/ササキバラゴウ」
「夭都七事件/物集高音」
「道草・明暗/夏目漱石」
・読書
「ドグラ・マグラ/夢野久作」読了。
現在は「我輩は猫である/夏目漱石」を読んでいる。まさかこんなところに森見ギャグの元祖と「読者が犯人」トリックのヒントがあるとは……。
・物理
三月頭から二週間ほど、実験のために他県に遠征するので、更新が途絶えます。3/3から3/15頃まで。
・購入本
「冲方式ストーリー創作塾/冲方丁」
「蟲師 9/漆原友紀」
・誇張型出版妄想言葉
「一瞬の風になれ/佐藤多佳子」がマンガ化されるという噂は聞いていた。大したことのないマンガ家がヘボい作品にしやがったらボコボコに叩いてやると意気込んでいた。
本日、書店に行ってみると、マンガ版が出版されていた。
「作者は誰だ!」と思い表紙を見ると、OverDriveの人だった。叩きようがねえ。
・感想
「あさき」という人の曲を聞いていると、表現はwhatだけじゃなくて、やっぱりhowも重要だなぁ、とか思う。
特に楽曲の魅力に感化されて小説を書く場合、この辺りに気をつけないと、ひどいできになる予感。っていうか、なったんだけどね。
・読書
「ドグラ・マグラ/夢野久作」を引き続き。
三月頭から二週間ほど、実験のために他県に遠征するので、更新が途絶えます。3/3から3/15頃まで。
・購入本
「冲方式ストーリー創作塾/冲方丁」
「蟲師 9/漆原友紀」
・誇張型出版妄想言葉
「一瞬の風になれ/佐藤多佳子」がマンガ化されるという噂は聞いていた。大したことのないマンガ家がヘボい作品にしやがったらボコボコに叩いてやると意気込んでいた。
本日、書店に行ってみると、マンガ版が出版されていた。
「作者は誰だ!」と思い表紙を見ると、OverDriveの人だった。叩きようがねえ。
・感想
「あさき」という人の曲を聞いていると、表現はwhatだけじゃなくて、やっぱりhowも重要だなぁ、とか思う。
特に楽曲の魅力に感化されて小説を書く場合、この辺りに気をつけないと、ひどいできになる予感。っていうか、なったんだけどね。
・読書
「ドグラ・マグラ/夢野久作」を引き続き。
・執筆
投稿用作品が完成。残すは文章推敲と矛盾潰し。
・コメントを返信
リンク>形式のひとつとしての小説
コメントに書こうと思ったのですが、字数制限に引っかかって無念をみたので、ここにて失礼。
まずはトラックバック有難うございました。特に「物語るという行為の原点に近い」という考えは前田になかったもので、参考になります。自分はこの件について今後も考えようと思っているので、何か思いついたら、また何か書くかもしれません。
誤解があるのは(といっても、前田の文章力が足りていないためですが)、自分の目標も「何ができないかを探すこと」ではなく「これならできる!という点を探すこと」です。その手段として「小説を否定する」という立場を出発点にしよう、というだけで。デメリットを超えるメリットを探そう、と。肯定する立場からだけでなく、否定側から見れば新しい発見があるのではないか、と思ったのでした。
ですから本気で「小説はダメな表現方法だ!」と思っているわけでも「小説という媒体は否定されるようなものだ」とも思っていません。もし考察の結果「小説ってやっぱりダメだな」という結論に達してしまったら、それは「前田の考察が甘い+見識が狭い」という結論と同義です。
また前田が小説について考えたりするのは全て作品を書くためでして、仰る通り「小説全体が凄いかどうか」を考えようというわけではないです(小説は凄くて、その凄さを作品に取り入れたい、というのが今回の思いつきの意図です)。
これは反論になってしまいますが(上で示した自分の目標とは別の考えとして)「ネックから着想を得る」ということは有意義だと思います。つまり「ネックによって成立困難であることを成立させるにはどうするか」を考えるということです。
例えば「読者が犯人」というトリック。これを小説で実現するには相当に難易度が高いと思います。だからこそ、実現できたら価値があるでしょう。実際に「ウルチモ・トルッコ/深水黎一郎」はそれをやってメフィスト賞を取りましたし(もちろん、そのトリックだけがウルチモ~の全てではありませんが)。
難易度が恐ろしく高いのは承知していますし「ただのワナビはそんなこと考えるよりも、スタンダードな面白さを書こうとしろよ」と言われればそれまでなのですが……。
ところで前田が中二病だというのは「参考文献:自分の脳内」だからでしょうか。そうだとしたら反省の余地多いにあり、ですね。
投稿用作品が完成。残すは文章推敲と矛盾潰し。
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リンク>形式のひとつとしての小説
コメントに書こうと思ったのですが、字数制限に引っかかって無念をみたので、ここにて失礼。
まずはトラックバック有難うございました。特に「物語るという行為の原点に近い」という考えは前田になかったもので、参考になります。自分はこの件について今後も考えようと思っているので、何か思いついたら、また何か書くかもしれません。
誤解があるのは(といっても、前田の文章力が足りていないためですが)、自分の目標も「何ができないかを探すこと」ではなく「これならできる!という点を探すこと」です。その手段として「小説を否定する」という立場を出発点にしよう、というだけで。デメリットを超えるメリットを探そう、と。肯定する立場からだけでなく、否定側から見れば新しい発見があるのではないか、と思ったのでした。
ですから本気で「小説はダメな表現方法だ!」と思っているわけでも「小説という媒体は否定されるようなものだ」とも思っていません。もし考察の結果「小説ってやっぱりダメだな」という結論に達してしまったら、それは「前田の考察が甘い+見識が狭い」という結論と同義です。
また前田が小説について考えたりするのは全て作品を書くためでして、仰る通り「小説全体が凄いかどうか」を考えようというわけではないです(小説は凄くて、その凄さを作品に取り入れたい、というのが今回の思いつきの意図です)。
これは反論になってしまいますが(上で示した自分の目標とは別の考えとして)「ネックから着想を得る」ということは有意義だと思います。つまり「ネックによって成立困難であることを成立させるにはどうするか」を考えるということです。
例えば「読者が犯人」というトリック。これを小説で実現するには相当に難易度が高いと思います。だからこそ、実現できたら価値があるでしょう。実際に「ウルチモ・トルッコ/深水黎一郎」はそれをやってメフィスト賞を取りましたし(もちろん、そのトリックだけがウルチモ~の全てではありませんが)。
難易度が恐ろしく高いのは承知していますし「ただのワナビはそんなこと考えるよりも、スタンダードな面白さを書こうとしろよ」と言われればそれまでなのですが……。
ところで前田が中二病だというのは「参考文献:自分の脳内」だからでしょうか。そうだとしたら反省の余地多いにあり、ですね。