・バトン
続編であるがこちらが前半という不思議。
以下、バトンへの回答。
1.身長は?
登場人物について身長を表記するべきかという問題。以後の問題に共通することだが、それが伏線になるのならば当然のことながら、表記すればいいし、するべきである。また、文体の兼ね合いにもよるだろう。例えば、かなり客観的な文体(喩えるならば、冷たい印象を持つ文体)の場合、数字を明確に記すのは良い手段なのではないかと、前田は考えている(数字というのは客観的なデータで、データそのものに人間の感情は入り込まない)。
では、伏線、文体という要素を除いた場合、人物の身長を「○○センチ」と表記するべきか?
前田は否だと考える。理由は、小説は「印象」から成立する媒体だと思うからだ。
マンガの場合、絵を使うことができる。描写の対象が視覚的な情報になっているから、読者はその情報をそのまま受け取れる。しかし小説の場合は文字だ。だから描写の対象は、視覚ではない情報で、読者に渡される。
視覚ではない情報とは何か? その一つとして、印象というものが含まれるはずだ。
身長には個人差があるから、例えば170センチという値を低いと思う人もいれば高いと思う人もいるだろう。となると、身長を書くだけでは印象を伝えられない。「ぼくは彼を見上げるようにして、話をした」だとか「思い出の中の彼女はいつも上目遣いなのだけど、実際にそんな仕草を取ったことはあっただろうか」だとか、そういった印象を優先して書いた方が良いと前田は思う。
これ以降の問題に対しても、伏線、文体については考えないものとする。
2.髪型は?
登場人物の髪型を書くべきかという問題。問題1と同じく「印象云々~」という回答が可能かと思いきや、案外、それ以外に思う余地があることに気づいた。
身長と髪型の違いとは何だろうか? 答えの一つとして「差異を認識するために要求される分解能」があると思う。
小難しい言葉を使って表現したが、例えば「170cmと180cmの違いよりも、ロングヘアーとショートヘアーの違いの方が分かり易い」ということである。言い換えるならば、人物を身長で書き分けるよりも、髪型で書き分けた方が有効である、ということ。
無論、劇作に於いて外見のみで人物描写をするのは良くない手段である。だが、人物描写のおまけとして外見に差異を付けるのは問題ないはずだ。その外見描写で差異を付けるならば、身長よりも髪型がいいだろう、という話。
本格ミステリのパズラと呼ばれるジャンルでは人物の記号化がなされるという話を聞いたことがあるが、もしかしたらその辺りと関連するかもしれない。
3.好きな髪型は?
登場人物の外観を作者の好みに合わせるのはどうなのか、という問題。
前田は良いと思う。登場人物に愛着を持てて、それで創作に対する意欲が上がるならば、これはプラスの効果だろう。
キャラに対する愛着がありすぎて暴走するのは論外だけど。
要はメリットがデメリットよりも大きいならば良い。当たり前な話か。
4.目について語って?
目をどうやって描写するかという問題。
これは後半の問題8で答えた「howではなくwhatを工夫せよ」に同じ。目から読み取られる感情云々についてならば、次の質問で答える。
5.顔についてどう思う?
顔の表情をどうやって描写するかという問題。前述の目の感情についてもここで記す……が、この問題が一番難しい気がしている。つまり、前田が普段、あまり考えてこなかった問題ということだ。
つーことで、保留。考えます。
・坪内逍遥と二葉亭四迷
現在書いている作品について何やかんやと言われて、その中に「写実主義ってどんなんだろう」みたいな発言があった。そういえば前田自身もその辺りについて勉強していなかったなと思い、ひとまずネットで検索したみた。
結果の一部へのリンク……文学の研究室>日本文学>二葉亭四迷 小説総論
パッと読んだ限りだが「形ではなく意を重視する」という言葉の意味は、前田の思考の結果と同じように思えて、なかなか嬉しかった。以上、自慢である。
・購入録
「本格ミステリー宣言/島田荘司」購入。一週間以上の前のことである。
買ったのは文庫本だが、単行本は1989年に出版されている。この本には島田荘司の考える「本格の精神」が書かれている。そしてその内容は、今の島田氏が考えている「本格の精神」と同じようだ。二十年近くたって変化しないとは、それほど確固たる思考なのだろう。島田氏が現在の日本ミステリー界のトップにいるというのがその証拠の一つであろう。
ちなみに前田は氏のサイン入り「ネジ式ザゼツキー」文庫本を持っており、ちょっとした自慢である。また自慢か。
・今朝
寝坊した。これは自慢ではない。
・読書
「The Book/乙一」を後輩から借りた。JOJOの小説版である。ちょっとだけ読んだが、どうしてもイメージが荒木絵になってしまう。ベネ!
続編であるがこちらが前半という不思議。
以下、バトンへの回答。
1.身長は?
登場人物について身長を表記するべきかという問題。以後の問題に共通することだが、それが伏線になるのならば当然のことながら、表記すればいいし、するべきである。また、文体の兼ね合いにもよるだろう。例えば、かなり客観的な文体(喩えるならば、冷たい印象を持つ文体)の場合、数字を明確に記すのは良い手段なのではないかと、前田は考えている(数字というのは客観的なデータで、データそのものに人間の感情は入り込まない)。
では、伏線、文体という要素を除いた場合、人物の身長を「○○センチ」と表記するべきか?
前田は否だと考える。理由は、小説は「印象」から成立する媒体だと思うからだ。
マンガの場合、絵を使うことができる。描写の対象が視覚的な情報になっているから、読者はその情報をそのまま受け取れる。しかし小説の場合は文字だ。だから描写の対象は、視覚ではない情報で、読者に渡される。
視覚ではない情報とは何か? その一つとして、印象というものが含まれるはずだ。
身長には個人差があるから、例えば170センチという値を低いと思う人もいれば高いと思う人もいるだろう。となると、身長を書くだけでは印象を伝えられない。「ぼくは彼を見上げるようにして、話をした」だとか「思い出の中の彼女はいつも上目遣いなのだけど、実際にそんな仕草を取ったことはあっただろうか」だとか、そういった印象を優先して書いた方が良いと前田は思う。
これ以降の問題に対しても、伏線、文体については考えないものとする。
2.髪型は?
登場人物の髪型を書くべきかという問題。問題1と同じく「印象云々~」という回答が可能かと思いきや、案外、それ以外に思う余地があることに気づいた。
身長と髪型の違いとは何だろうか? 答えの一つとして「差異を認識するために要求される分解能」があると思う。
小難しい言葉を使って表現したが、例えば「170cmと180cmの違いよりも、ロングヘアーとショートヘアーの違いの方が分かり易い」ということである。言い換えるならば、人物を身長で書き分けるよりも、髪型で書き分けた方が有効である、ということ。
無論、劇作に於いて外見のみで人物描写をするのは良くない手段である。だが、人物描写のおまけとして外見に差異を付けるのは問題ないはずだ。その外見描写で差異を付けるならば、身長よりも髪型がいいだろう、という話。
本格ミステリのパズラと呼ばれるジャンルでは人物の記号化がなされるという話を聞いたことがあるが、もしかしたらその辺りと関連するかもしれない。
3.好きな髪型は?
登場人物の外観を作者の好みに合わせるのはどうなのか、という問題。
前田は良いと思う。登場人物に愛着を持てて、それで創作に対する意欲が上がるならば、これはプラスの効果だろう。
キャラに対する愛着がありすぎて暴走するのは論外だけど。
要はメリットがデメリットよりも大きいならば良い。当たり前な話か。
4.目について語って?
目をどうやって描写するかという問題。
これは後半の問題8で答えた「howではなくwhatを工夫せよ」に同じ。目から読み取られる感情云々についてならば、次の質問で答える。
5.顔についてどう思う?
顔の表情をどうやって描写するかという問題。前述の目の感情についてもここで記す……が、この問題が一番難しい気がしている。つまり、前田が普段、あまり考えてこなかった問題ということだ。
つーことで、保留。考えます。
・坪内逍遥と二葉亭四迷
現在書いている作品について何やかんやと言われて、その中に「写実主義ってどんなんだろう」みたいな発言があった。そういえば前田自身もその辺りについて勉強していなかったなと思い、ひとまずネットで検索したみた。
結果の一部へのリンク……文学の研究室>日本文学>二葉亭四迷 小説総論
パッと読んだ限りだが「形ではなく意を重視する」という言葉の意味は、前田の思考の結果と同じように思えて、なかなか嬉しかった。以上、自慢である。
・購入録
「本格ミステリー宣言/島田荘司」購入。一週間以上の前のことである。
買ったのは文庫本だが、単行本は1989年に出版されている。この本には島田荘司の考える「本格の精神」が書かれている。そしてその内容は、今の島田氏が考えている「本格の精神」と同じようだ。二十年近くたって変化しないとは、それほど確固たる思考なのだろう。島田氏が現在の日本ミステリー界のトップにいるというのがその証拠の一つであろう。
ちなみに前田は氏のサイン入り「ネジ式ザゼツキー」文庫本を持っており、ちょっとした自慢である。また自慢か。
・今朝
寝坊した。これは自慢ではない。
・読書
「The Book/乙一」を後輩から借りた。JOJOの小説版である。ちょっとだけ読んだが、どうしてもイメージが荒木絵になってしまう。ベネ!
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・小ネタ
文芸質問の回答と卒論と執筆に手間取っている合間に、ちょっとした小ネタ。
「何で小説を書くのに語彙を増やす必要があるのさ!」
こういった基本的な事柄に関する思考って大事、かもしれない。
文芸質問の回答と卒論と執筆に手間取っている合間に、ちょっとした小ネタ。
「何で小説を書くのに語彙を増やす必要があるのさ!」
こういった基本的な事柄に関する思考って大事、かもしれない。
・バトン
飛んできた。本来はここに書くような記事ではないのだが、文芸に関した質問と解釈して書けばどうにかなるのでは?と思い立つ。
尚、送り主であるサキはmixiに生息しているので、リンクを貼れない。
長くなったので、前半と後半に分けることにした。先ずは後半の質問から。前田の作品に関する回答がメインので、あまり面白くないと思う。
以下、バトンへの回答。
6.誰に似てる?
あなたの作風は誰に似ているかという質問。
以前、京極夏彦の文章に近づいていると言われたことがある。まあ当たり前だけど、語彙の多さとか、雰囲気の出し方とか、圧倒的過ぎるくらい向こうの方が上。
7.一日で一番好きな時間は?
どういうシーンを書くのが好きかという質問。
自然の風景を好んで描きます(これはシーンではなく、オブジェだけど)。特に夜や月が好きだが、月の方は最近、自重している。
あと、女性の艶を出すシーン。この手のシーンには非常に分かりやすいエンタテイメント要素があるから。前田は「全年齢対象の官能小説を書く」という目標を現在のサークルで活動を始めてから持ち始めた。今でも持っている(最近はそういうシーンを書いてないけど)。
8.自分はどんな風に見えてると思う?
あなたの作品はどんな評価を受けていますかという質問。しかしこれだと「文章はいいよね」で終わってしまうので、質問を変えて「自分の作品に対する評価はという質問」にする。小説の三つの要素それぞれに対して回答。
文章:
悪くはない。自分が小説を書く際、最も力を入れているのはこの要素である。文章の上での信条は「howではなくwhatを工夫せよ」。対象を書くとき、その形容に苦心するのではなく対象のどの部分を書くかに苦心せよ。例えば雪。降っている雪の結晶ではなく、地面にちらつく雪の陰を書く、とか。
弱点としては、動き、動的なものを書くのが苦手。語彙が少ない。意味の取り辛い表現をしてしまう、など。
以前は「読者が小説と現実の区別を付けられなくなる」というリアリティを目指していたが、古川日出男の小説を読んだために考えが変わってきている。新しいリアリティを模索中。
物語:
弱点。特に改善が求めらるのが、伏線の張り方である。前田の過去の作品を見ると、伏線であるシーンは初読で「伏線だな」と分かる。伏線が伏線としての役目しか果たしていないということ。一つのシーンに「物語の流れ」としての効果と「伏線」としての効果を入れなければならない。シーンのダブルミーニング。
あと、物語の核を掴めない、作れない、というのがあると思う。核という概念は前田もよく分かっていないのだが、言うなれば、「物語を一言で表したときの、その面白さと魅力」といったところだろうか?
キャラクタ:
弱点。特に台詞。自分で読むと、まるで人物が台本を読んでいるかのようにみえる。
現在執筆中の作品では、改善の方法として、保坂和志の小説指南書にあった「わざと分かりにくくする」という手段と、「動作を伴わせる」という手段を意識的に使っている。
前田が人間に興味がない、というのはやはり弱点に繋がっているだろうか……。
9.送り主のこと好き?
10.送り主の印象は?
11.送り主との出会いは?
12.送り主のことどう思う?
13.送り主のことを動物に例えたら?
この五つの質問は送り主に関することなのでパス。
14.恋はしてますか?
作中での恋愛感情の取り扱いに関する問題。
これについては先日の「現実を厳密に描く小説は果たして面白いのか?」にて言及している。
15.その人はどんな人?
文芸質問として解釈できず、パス。
16.バトン返しあり。このバトンを受け取るレンジャー。指名された人強制。
赤レンジャー:前田
青レンジャー:前田
黄レンジャー:前田
桃レンジャー:前田
白レンジャー:前田
黒レンジャー:前田
緑レンジャ―:前田
金レンジャ―:前田
これによって、出力のないフィードバック機構が成立する。
もちろん、バトンの回答は自由です。文芸質問として使っても良いのです。
飛んできた。本来はここに書くような記事ではないのだが、文芸に関した質問と解釈して書けばどうにかなるのでは?と思い立つ。
尚、送り主であるサキはmixiに生息しているので、リンクを貼れない。
長くなったので、前半と後半に分けることにした。先ずは後半の質問から。前田の作品に関する回答がメインので、あまり面白くないと思う。
以下、バトンへの回答。
6.誰に似てる?
あなたの作風は誰に似ているかという質問。
以前、京極夏彦の文章に近づいていると言われたことがある。まあ当たり前だけど、語彙の多さとか、雰囲気の出し方とか、圧倒的過ぎるくらい向こうの方が上。
7.一日で一番好きな時間は?
どういうシーンを書くのが好きかという質問。
自然の風景を好んで描きます(これはシーンではなく、オブジェだけど)。特に夜や月が好きだが、月の方は最近、自重している。
あと、女性の艶を出すシーン。この手のシーンには非常に分かりやすいエンタテイメント要素があるから。前田は「全年齢対象の官能小説を書く」という目標を現在のサークルで活動を始めてから持ち始めた。今でも持っている(最近はそういうシーンを書いてないけど)。
8.自分はどんな風に見えてると思う?
あなたの作品はどんな評価を受けていますかという質問。しかしこれだと「文章はいいよね」で終わってしまうので、質問を変えて「自分の作品に対する評価はという質問」にする。小説の三つの要素それぞれに対して回答。
文章:
悪くはない。自分が小説を書く際、最も力を入れているのはこの要素である。文章の上での信条は「howではなくwhatを工夫せよ」。対象を書くとき、その形容に苦心するのではなく対象のどの部分を書くかに苦心せよ。例えば雪。降っている雪の結晶ではなく、地面にちらつく雪の陰を書く、とか。
弱点としては、動き、動的なものを書くのが苦手。語彙が少ない。意味の取り辛い表現をしてしまう、など。
以前は「読者が小説と現実の区別を付けられなくなる」というリアリティを目指していたが、古川日出男の小説を読んだために考えが変わってきている。新しいリアリティを模索中。
物語:
弱点。特に改善が求めらるのが、伏線の張り方である。前田の過去の作品を見ると、伏線であるシーンは初読で「伏線だな」と分かる。伏線が伏線としての役目しか果たしていないということ。一つのシーンに「物語の流れ」としての効果と「伏線」としての効果を入れなければならない。シーンのダブルミーニング。
あと、物語の核を掴めない、作れない、というのがあると思う。核という概念は前田もよく分かっていないのだが、言うなれば、「物語を一言で表したときの、その面白さと魅力」といったところだろうか?
キャラクタ:
弱点。特に台詞。自分で読むと、まるで人物が台本を読んでいるかのようにみえる。
現在執筆中の作品では、改善の方法として、保坂和志の小説指南書にあった「わざと分かりにくくする」という手段と、「動作を伴わせる」という手段を意識的に使っている。
前田が人間に興味がない、というのはやはり弱点に繋がっているだろうか……。
9.送り主のこと好き?
10.送り主の印象は?
11.送り主との出会いは?
12.送り主のことどう思う?
13.送り主のことを動物に例えたら?
この五つの質問は送り主に関することなのでパス。
14.恋はしてますか?
作中での恋愛感情の取り扱いに関する問題。
これについては先日の「現実を厳密に描く小説は果たして面白いのか?」にて言及している。
15.その人はどんな人?
文芸質問として解釈できず、パス。
16.バトン返しあり。このバトンを受け取るレンジャー。指名された人強制。
赤レンジャー:前田
青レンジャー:前田
黄レンジャー:前田
桃レンジャー:前田
白レンジャー:前田
黒レンジャー:前田
緑レンジャ―:前田
金レンジャ―:前田
これによって、出力のないフィードバック機構が成立する。
もちろん、バトンの回答は自由です。文芸質問として使っても良いのです。
・電気マ人
誰もいない部屋を暖め続けるんじゃない!
・メモ
講談社学術文庫で「言葉・狂気・エロス」という本を発見。
集英社文庫から「gift/古川日出男」発売。最近の古川の文体じゃないため、未購入。気にはなる。
・現実の記述は困難であることに似る
物語を進行させている要因を、キャラクタの様々な感情に求めるのは難しいのではないかと、ふと思った。
実際の人間は色んな感情を持っている。興味、恐怖、悲哀、恋愛、畏怖、嬉々などなど。人生に於いてはこれらの感情に加えて外部の作用がある。また、外部の作用に対して感情を持つ。その結果として、人生という物語が進んでいく。
しかし作品内でそのような物語の進め方をしてしまうと、よろしくない気がする。何故かはよく分からない。作者の都合の良いように見えるから? 逆に、一つ二つ程度の感情によって物語を進めるのは良い。恋愛小説がいい例だ。こうなると、感情というよりも作中のルール、論理と表現した方が、前田としては、しっくりくる。
以上が、ノックスの十戒「恋愛興味を持ち込んではならない」に対する前田的解釈である。
誰もいない部屋を暖め続けるんじゃない!
・メモ
講談社学術文庫で「言葉・狂気・エロス」という本を発見。
集英社文庫から「gift/古川日出男」発売。最近の古川の文体じゃないため、未購入。気にはなる。
・現実の記述は困難であることに似る
物語を進行させている要因を、キャラクタの様々な感情に求めるのは難しいのではないかと、ふと思った。
実際の人間は色んな感情を持っている。興味、恐怖、悲哀、恋愛、畏怖、嬉々などなど。人生に於いてはこれらの感情に加えて外部の作用がある。また、外部の作用に対して感情を持つ。その結果として、人生という物語が進んでいく。
しかし作品内でそのような物語の進め方をしてしまうと、よろしくない気がする。何故かはよく分からない。作者の都合の良いように見えるから? 逆に、一つ二つ程度の感情によって物語を進めるのは良い。恋愛小説がいい例だ。こうなると、感情というよりも作中のルール、論理と表現した方が、前田としては、しっくりくる。
以上が、ノックスの十戒「恋愛興味を持ち込んではならない」に対する前田的解釈である。
・コメント返信
>しも
ずばりそれだ。平野耕太はアグレッシブじゃない表情も上手いのだなぁ、と思った次第。
散り際か。確かにみんなカッコよく、或いは凄まじく散るよなぁ。
ルークは(巻末マンガの中に)生きています!
・更新具合
とても滞っているぜ! しかも今は腹が減っている。
>しも
ずばりそれだ。平野耕太はアグレッシブじゃない表情も上手いのだなぁ、と思った次第。
散り際か。確かにみんなカッコよく、或いは凄まじく散るよなぁ。
ルークは(巻末マンガの中に)生きています!
・更新具合
とても滞っているぜ! しかも今は腹が減っている。