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・ねぎ
リンク>ねぎ姉さん
 強烈な4コママンガ。


・喜怒哀楽V.S.粒子物理
 感情は果たして人間だけのものなのか?
 人間だけのものだとすると、そこらへんの石は何も感じておらず、神秘性がない。
 人間だけのものじゃないとするとどうだろう? 多分、この場合、感情というのは所詮、人間の脳内を運動する荷電粒子に過ぎないということになるだろう。そうなると、やっぱり神秘性がない。
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・コメント返信
>kisaさん
 天帝シリーズであります。
 早くもボーダーラインの三冊目ですな。


・購入録
「ハル、ハル、ハル/古川日出男」購入。
 執筆が進まなくて、むしゃくしゃして買った。財布の中が200円になるも、後悔する余地がない。


・読書
 んで、「ハル、ハル、ハル/古川日出男」の表題作のみ、読了。
「この物語は全ての物語の続編だ」という、アオリにもなっている文章からして、前田にとっては驚異的だった。たとえハッタリだとしても、そのような文句を発想し、小説の中にブチ込むのは容易ではないだろう。そして真に恐るべきは、その文章が全くのハッタリではなかったことだ。「全て」ではなかった。なかったが、この「ハル、ハル、ハル」という物語は、前田がかつて読んだ物語の続編に位置した。古川日出男作品の続編という意味ではなく、かつて読者が読んだ物語の続編、という意味だ。
 脅威にすら値する。完全に「フィクション」だと断言しながら、ここまで読者の「現実」に踏み込んでくる作品を、前田は寡聞にして知らない。ここまで圧倒的なリアリティを見たことはない。文学がテロだと言うのならば、一読した感想でしかないが、前田は賛同する。
 少々惜しくらむは、この作品が物語だとは感じなかったという点。エンタテイメントとの違いなのかもしれない。しかしそれ以上に、前田はこの作品は「物語と物語の間にあるもの」というように感じた。物語とは、もちろん、読者が読む物語のことだ。

 レビューで褒めすぎるのは良くないと思うが、それでも前田は褒めたがっている。今の古川文学は、本当に凄い。「面白い」ではない。「凄い」だ。
・出版メモ
 米澤穂信、新刊。
 古野まほろ、新刊。
 貴志祐介、硝子のハンマーが文庫落ち。


・筑波
 二泊三日の実験施設見学ツアーであって、宿舎にはパソコンもなく、前田はノートPCを持っておらず、結果、執筆は行わず、読書して、レーザの勉強とプロットを少し進めようとしただけであった。
 執筆の習慣が途切れたのはよろしくなかったと、今現在、思っている。


・読書(バレ含む)
「ナラタージュ/島本理生」読了。佐藤友哉の妻。初島本。正統な感じの恋愛物であった。
 最も印象に残ったのは、会話中の仕草。マフラーをなおすという、それだけの文章。心理説明・描写ではなく、ただ自然な仕草を会話の間に挟むというのが、これほど面白く感じれるとは。
 ストーリーは(恐らく)悲恋。前半は平和なのに、後半が悲しくなっている。この作品の悲しみに共通する要素を一言で表すなら「すれ違い」か?
 前半の平和さも良いのだが、やはり面白くなるのが、後半に入ってから。ストーリーに於けるネガティブは、やはり面白くするために必要な要素なのか。恋愛物の場合は、特に。
 しかし前田は、この物語にネガティブがあって欲しくなかった。勿論、あった方が面白いのは確かなのだが、個人的な好みとして、平和なままがよかったのだ。
 このような嗜好、つまり「平和なままがいい」という好みは、ある領域の作品(といっても、前田は数知っているわけでもないのだが)に反映されていると思う。何かといえば「あずまんが大王/あずまきよひこ」「よつばと/あずまきよひこ」「スケッチブック/小箱とたん」といった作品群だ(あずまが多いのは前田の知識の問題である)。笑いはあるが、それはゲラゲラ笑うようなものではなく日常の微笑ましさであるような、そんな作品群である。このような作品群が受け入れられるならば、平和なままのナラタージュも受け入れられるのではないだろうか?
 ところが、恋愛という要素を以って、上記の作品群とナラタージュは見事に分断されそうだ。
・自転車
 ロードレーサに「Tyler Hamilton」という人がいた! 惜しい!
・コメント返信
>しも
 俺はひぐらしを全く観ていないが、ひどすぎると思う。難癖をつけて潰そうとしているようにしか見えん。ドラマは潰さないくせに。絶望した!


・マスコミと大衆
 前田が勝手に考えていることを書いてみる。メディアリテラシィとかないし、論理的に飛躍がある部分もあると思うが……。

 上のような報道を見ると、マスコミはアニメ、というよりも、ネット上に存在しているオタクを敵対視しているような気がしてならない。
 実際、新聞の売上はネットの普及によってかなり落ちたと聞く(ソースは失念)。メディアリテラシィも簡単にできるようになった(=社で世論をでっち上げるのが難しくなる)。新聞、テレビが第一の情報源であるような時代は既に終わっている可能性がある。連中はその流れに逆らおうとしているような気がする。
 流れに逆らうというのは具体的にいうと、マスコミ自身の罪を報道しないということ。メディアリテラシィが働いていない証拠だと思う。
 何だかんだで、やはり報道のメディアで今一番発達しているのは新聞、テレビだと思う。大衆は新聞、テレビから情報を得ているだろうから、そこで自分たちの罪を報道しないのは、それだけで罪だ。何故か? マスコミも恣意的な報道をするものだと、強く大衆に訴えないからだ。
(論理はかなり飛ぶと思うが)恣意的な報道をすると大衆が理解すれば、大衆はマスコミを疑いを持って見る可能性が高まる。つまり、考えるようになる可能性が出てくる。考えるということは、行動する上で最も重要なことだ。
 前田が思う、マスコミの最も嫌いな点は「考えない大衆」を作り出そうとしているように見えることだ。大衆は国を動かすことができる。その大衆が考えないで、国が良くなるとは思えない。
 コメントにあった「ひぐらし潰し」はまさにその例、つまり、考えない大衆を作るという、その一つに見える。作品を歪曲して伝え、とにかく危険だとばかり言い、大衆に「アニメは危険だ」ということを植付けようとしているように思えるのだ。 


・問題
 ○○では毎日、凶悪犯罪が題材に挙がる。
 日本の犯罪者の殆どは○○を日常的に観ている。
 刑務所では服役者が自由に○○を観れないようになっている。
 つまり、○○が犯罪者を生み出している要因であると考えられ、従って、○○は規制されるべきである。


・答え
 ○○=テレビ
 マスコミは○○=アニメとか、○○=マンガにするけど。
 実際には、○○に入るものは、テレビでもアニメでもマンガでもない。


・謝
 何か色々ネガティブなこと書いてすんません。けど記事にする。


・KEK
 明後日から筑波に行ってきます。飛行機使って二泊三日、五千円。物理の研究所見学。
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