・コメント返信
>OECさん
情報感謝でありました。早速覗いてみると、コミュニティよりも、そこに張られていたリンクの方が面白かったとさ。
・絶望先生的会話
「あなたもリトルバスターズがお好きですか」
「君もLITTLE BUSTERSがお好きですか」
「「なんか意外です」」
・マミー
例の飲み物である。久々に飲んだが、やはり美味かった。
・はくち
坂口安吾である。残念ながら漢字変換されない。
原作ではなく映画を借りてきた。少女性の一側面として、果たして参考になるだろうか?
・試験前
研究室で試験勉強→HUNTER×HUNTERを読む→帰宅
という、恐るべきコンボ。
・読書
院試前で、読書量減衰。純文学は読むスピード遅いというのも原因。
「三毛猫ホームズの推理/赤川次郎」読了。実は初赤川。
恐るべきトリックだった。しかしそこしか憶えていない。読んでいる最中は何だかんだと考えたはずなんだが、忘れてしまった。
もう一冊「MISSING/本多孝好」読了。短編集。やはり初本多であった。
デビュー作「眠りの海」は佳作という印象。主人公の感情がべたべたしているし、ミステリとしての伏線も結構、あからさま。しかし、二作目以降、見事なまでに成長が見られた。上記の弱点が見事に改良されている。ミステリとしては特に「祈灯」が前田は好きだ。伏線のさりげなさ、哀しい犯人と動機。
最も好きな話は「瑠璃」。ヒロインの死が一つの結末になり、且つ、その死が唐突な場合、冒頭で結末を明かしてしまうのは、なるほど、一つの手段かもしれない。それよりも自分が好きなのは「変化」だ。時間の経過と共に、場所の意味が変わっていく、その変化が面白かった。風景描写の方法論も、前田の持論が支持されているようで、少し励まされたし。
総合して、かなりの当たり。第一印象としては、伊坂文章+乙一システム。伊坂ほど使わないが、「巧い」という表現が見られた。これからも読んでいきたい作家である。
>OECさん
情報感謝でありました。早速覗いてみると、コミュニティよりも、そこに張られていたリンクの方が面白かったとさ。
・絶望先生的会話
「あなたもリトルバスターズがお好きですか」
「君もLITTLE BUSTERSがお好きですか」
「「なんか意外です」」
・マミー
例の飲み物である。久々に飲んだが、やはり美味かった。
・はくち
坂口安吾である。残念ながら漢字変換されない。
原作ではなく映画を借りてきた。少女性の一側面として、果たして参考になるだろうか?
・試験前
研究室で試験勉強→HUNTER×HUNTERを読む→帰宅
という、恐るべきコンボ。
・読書
院試前で、読書量減衰。純文学は読むスピード遅いというのも原因。
「三毛猫ホームズの推理/赤川次郎」読了。実は初赤川。
恐るべきトリックだった。しかしそこしか憶えていない。読んでいる最中は何だかんだと考えたはずなんだが、忘れてしまった。
もう一冊「MISSING/本多孝好」読了。短編集。やはり初本多であった。
デビュー作「眠りの海」は佳作という印象。主人公の感情がべたべたしているし、ミステリとしての伏線も結構、あからさま。しかし、二作目以降、見事なまでに成長が見られた。上記の弱点が見事に改良されている。ミステリとしては特に「祈灯」が前田は好きだ。伏線のさりげなさ、哀しい犯人と動機。
最も好きな話は「瑠璃」。ヒロインの死が一つの結末になり、且つ、その死が唐突な場合、冒頭で結末を明かしてしまうのは、なるほど、一つの手段かもしれない。それよりも自分が好きなのは「変化」だ。時間の経過と共に、場所の意味が変わっていく、その変化が面白かった。風景描写の方法論も、前田の持論が支持されているようで、少し励まされたし。
総合して、かなりの当たり。第一印象としては、伊坂文章+乙一システム。伊坂ほど使わないが、「巧い」という表現が見られた。これからも読んでいきたい作家である。
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・論考
オタク文化に関係した論考を上げているblogをよく見かける。単に前田が探していないだけなのか、或は筆者がいないからなのかは分からないが、一般文芸及びその周辺について論じているblogって、あんまりない気がする。書評サイトとか観ても、前田が観た範囲では、感想ばかりだった。アレクセイ氏のとこは、流石プロだけあって、凄いけれど。
実際には、ちゃんと探せば、前田の求めるような書評サイトだってあるはずだ。
・DVD
二日くらい前に「犬神家の一族」を観た。金田一役は石坂浩二だが、最近のやつじゃなくて昔の方である。ホラーな感じがしなかったのは、前田が最初から本格ミステリを決めてかかっているからか、それとも、演出などの問題か。
ラストのどんでん返しが結構面白く感じた。乙一のミステリと似ている。作品のカテゴリ(ジャンル)をひっくり返すという技法だ。どちらも最後で、物語を本格ミステリに移行させている。
ただし、その効能が違う気がする。乙一の場合、ミステリでない作品をミステリに移行させるのだが、この場合、驚きが先立つと思う。突然、ミステリとしての真相が突きつけられるというのが理由だ。読者はそれまでミステリとして読んでおらず、つまり、犯人探しなどを念頭に置いていないために、犯人を当てようがない(ラーメンズの手品コントも、乙一ミステリと同様である)。
犬神家の場合は、変格ミステリから本格ミステリへの移行だった。この場合、読者に与えるのは驚きではないだろう。多分、最後の推理の見事さが強調される。一旦提示したものを却下して、再度提示するというやり方は、イメージ書き換えの強調表現と同じだからだ。
・難度が高い
上記の文章を読んでいて、改めて気づいたのだが、前田は「物語の流れ」について論じるのが苦手なようだ。物語の一部分をとりあげて云々、ということばかり言っている。
流れとはなんだろう? 音楽性と訳する人もいるし、そこに何かのヒントがあるのだろうか。音楽について論ずるのは一つの勉強か?
・読書
「河童・或阿呆の一生/芥川龍之介」を読んでいる。新潮文庫。
実家にあったものなのだが、発行が昭和40年代。価格、なんと120円。
オタク文化に関係した論考を上げているblogをよく見かける。単に前田が探していないだけなのか、或は筆者がいないからなのかは分からないが、一般文芸及びその周辺について論じているblogって、あんまりない気がする。書評サイトとか観ても、前田が観た範囲では、感想ばかりだった。アレクセイ氏のとこは、流石プロだけあって、凄いけれど。
実際には、ちゃんと探せば、前田の求めるような書評サイトだってあるはずだ。
・DVD
二日くらい前に「犬神家の一族」を観た。金田一役は石坂浩二だが、最近のやつじゃなくて昔の方である。ホラーな感じがしなかったのは、前田が最初から本格ミステリを決めてかかっているからか、それとも、演出などの問題か。
ラストのどんでん返しが結構面白く感じた。乙一のミステリと似ている。作品のカテゴリ(ジャンル)をひっくり返すという技法だ。どちらも最後で、物語を本格ミステリに移行させている。
ただし、その効能が違う気がする。乙一の場合、ミステリでない作品をミステリに移行させるのだが、この場合、驚きが先立つと思う。突然、ミステリとしての真相が突きつけられるというのが理由だ。読者はそれまでミステリとして読んでおらず、つまり、犯人探しなどを念頭に置いていないために、犯人を当てようがない(ラーメンズの手品コントも、乙一ミステリと同様である)。
犬神家の場合は、変格ミステリから本格ミステリへの移行だった。この場合、読者に与えるのは驚きではないだろう。多分、最後の推理の見事さが強調される。一旦提示したものを却下して、再度提示するというやり方は、イメージ書き換えの強調表現と同じだからだ。
・難度が高い
上記の文章を読んでいて、改めて気づいたのだが、前田は「物語の流れ」について論じるのが苦手なようだ。物語の一部分をとりあげて云々、ということばかり言っている。
流れとはなんだろう? 音楽性と訳する人もいるし、そこに何かのヒントがあるのだろうか。音楽について論ずるのは一つの勉強か?
・読書
「河童・或阿呆の一生/芥川龍之介」を読んでいる。新潮文庫。
実家にあったものなのだが、発行が昭和40年代。価格、なんと120円。
・電車
「鉄子の旅」というアニメを観た。原作は漫画。ほんとに電車に乗るだけの話で、ターゲットを狙い過ぎな気がする。しかし、これだけで漫画を成立させるのは凄い。話としては全然面白くない気がするが、こういう、マイナな題材の漫画は好きだ。
なお、前田は長時間の電車旅で主に読書か睡眠を行う。駅弁を買った記憶は、無い。こぼれ落ちたわけではないと思う。
・こんなところに直木賞
実家に帰ったら、処分する本として江國香織の「いつか記憶からこぼれおちるとしても」と「号泣する準備はできていた」があった。ソフトカバーとハードカバー。他にも芥川とか梶井基次郎とか阿刀田高とか。貰う。お陰で帰りの荷物が増えた。
・読書
「推理小説/秦建日子」読了。作者の名前が難読。はた たけひこ。男性。
漱石を読んでいたこともあってか、文章がとても速く読めた。悪くいえば脚本に近いが、良く言えば、情報伝達の速い文章。小説のエンタテイメント性は「物語」「キャラクタ」「文章」にあるようだが、欲張って全部使うのではなく、一つか二つを使う方が良いのかもしれない。
構成の印象は「ミステリ的群像劇」(群像劇の定義がよく分からんから、完全に前田語になっているが)。一つの事件を複数視点から追う、という形。このあたり、アンフェアじゃなくてフェアじゃないだろうか?
キャラクタ描写として、雪平の「無駄に美人」というのが面白いと思った。所謂、美の相対化というやつだと思う。雪平の美人描写は、対象をデッサンすることで「美人」を示すタイプだった。このようなやり方は鼻につきやすいと思うが、そこに「無駄」というマイナスを入れることで、その問題を(ある程度は)解消できている気がする。
もう一つ「夏と冬の奏鳴曲/麻耶雄嵩」読了。
文章の質が上の「推理小説」と真逆。「そんな細かい描写はいいから物語をすすめてくれ!」という感想がまっさきに浮かんでしまった。特に最初から何か事件が起きるわけではないため、余計にそう思う。「姑獲鳥の夏/京極夏彦」も序盤は一向に話が進まないが、こちらは面白く読めた。この差は一体何だろう? 文章の巧さだとか、描写・説明と蘊蓄の違いと言ってしまえばそれまでな気がするが……。
さて、肝心の物語である。wikipediaの要出典という、恐るべき信頼の無さを持つ情報であるが、何でもこの作品は五つ目の奇書の候補らしい。さらにアオリには「最後の一言が凄い」みたいな文句が(前田はこの手のアオリが好きである)。だから頑張って読んだのだが……解らなかった。謎が残りまくって、何が凄いのかもさっぱり解らなかった。webで解説を見つけて読んだのだが、何が凄いのかは解らないまま。お陰で感想は「ちくしょう」である。誰か前田にこの作品の凄さを教えてくれ。
「鉄子の旅」というアニメを観た。原作は漫画。ほんとに電車に乗るだけの話で、ターゲットを狙い過ぎな気がする。しかし、これだけで漫画を成立させるのは凄い。話としては全然面白くない気がするが、こういう、マイナな題材の漫画は好きだ。
なお、前田は長時間の電車旅で主に読書か睡眠を行う。駅弁を買った記憶は、無い。こぼれ落ちたわけではないと思う。
・こんなところに直木賞
実家に帰ったら、処分する本として江國香織の「いつか記憶からこぼれおちるとしても」と「号泣する準備はできていた」があった。ソフトカバーとハードカバー。他にも芥川とか梶井基次郎とか阿刀田高とか。貰う。お陰で帰りの荷物が増えた。
・読書
「推理小説/秦建日子」読了。作者の名前が難読。はた たけひこ。男性。
漱石を読んでいたこともあってか、文章がとても速く読めた。悪くいえば脚本に近いが、良く言えば、情報伝達の速い文章。小説のエンタテイメント性は「物語」「キャラクタ」「文章」にあるようだが、欲張って全部使うのではなく、一つか二つを使う方が良いのかもしれない。
構成の印象は「ミステリ的群像劇」(群像劇の定義がよく分からんから、完全に前田語になっているが)。一つの事件を複数視点から追う、という形。このあたり、アンフェアじゃなくてフェアじゃないだろうか?
キャラクタ描写として、雪平の「無駄に美人」というのが面白いと思った。所謂、美の相対化というやつだと思う。雪平の美人描写は、対象をデッサンすることで「美人」を示すタイプだった。このようなやり方は鼻につきやすいと思うが、そこに「無駄」というマイナスを入れることで、その問題を(ある程度は)解消できている気がする。
もう一つ「夏と冬の奏鳴曲/麻耶雄嵩」読了。
文章の質が上の「推理小説」と真逆。「そんな細かい描写はいいから物語をすすめてくれ!」という感想がまっさきに浮かんでしまった。特に最初から何か事件が起きるわけではないため、余計にそう思う。「姑獲鳥の夏/京極夏彦」も序盤は一向に話が進まないが、こちらは面白く読めた。この差は一体何だろう? 文章の巧さだとか、描写・説明と蘊蓄の違いと言ってしまえばそれまでな気がするが……。
さて、肝心の物語である。wikipediaの要出典という、恐るべき信頼の無さを持つ情報であるが、何でもこの作品は五つ目の奇書の候補らしい。さらにアオリには「最後の一言が凄い」みたいな文句が(前田はこの手のアオリが好きである)。だから頑張って読んだのだが……解らなかった。謎が残りまくって、何が凄いのかもさっぱり解らなかった。webで解説を見つけて読んだのだが、何が凄いのかは解らないまま。お陰で感想は「ちくしょう」である。誰か前田にこの作品の凄さを教えてくれ。
・穴
そんなわけで研究室の合宿のため、愛媛に行ってきた。物理の教官と漢字について議論したりするという不思議。ラジオ体操の偉大さとかも知った。
移動は車だった。全ての日程を消化し、大学に帰る途中、「羅漢穴」なる場所を偶然見つけ、学生六人で行ってみた。鍾乳洞であった。入るのは初めてである。光源が携帯のライトのみというのは、実に心もとない。電池切れたら帰れなかっただろう。それほど暗かった。試しにライトを消してみると、視界が完全になくなってしまった。
・デッサン
そんなわけで、羅漢穴のほかにも色んなトコに行き、風景とかも楽しんだわけである。
しかし、果たして「風景をそのまま描写すること」、つまり「小説に於けるデッサン」はエンタテイメントになるのだろうか?
文学としてなら確実に成立する(またはしていた)だろう。自然主義派というのがこれに該当するはずだ。
前田は、エンタテイメントにならないと予想する。
・カレー
土産で鯨カレーを買った。もちろん、前田が食う。
・読書
「文鳥・夢十夜/夏目漱石」を読んでいる。新潮文庫のやつ。
「文鳥」と「夢十夜」の第一夜が気に入っている。どちらも悲愴がべたべた付きそうな話なのだが、漱石の文章はそうなっていない。距離を置いた視点というか、客観的な視点というか、そのような印象がある。だが客観的といってもデッサンではなく、ちゃんと視点保持者の心理が垣間見られるようにもなっている。だからなのか、読んでいる人間は無感情にならない。少なくとも前田はそうであった。
このとても客観的な視点というのは、この本の作品全体に見られ、漱石の持ち味なのだろうか、と思った。
そんなわけで研究室の合宿のため、愛媛に行ってきた。物理の教官と漢字について議論したりするという不思議。ラジオ体操の偉大さとかも知った。
移動は車だった。全ての日程を消化し、大学に帰る途中、「羅漢穴」なる場所を偶然見つけ、学生六人で行ってみた。鍾乳洞であった。入るのは初めてである。光源が携帯のライトのみというのは、実に心もとない。電池切れたら帰れなかっただろう。それほど暗かった。試しにライトを消してみると、視界が完全になくなってしまった。
・デッサン
そんなわけで、羅漢穴のほかにも色んなトコに行き、風景とかも楽しんだわけである。
しかし、果たして「風景をそのまま描写すること」、つまり「小説に於けるデッサン」はエンタテイメントになるのだろうか?
文学としてなら確実に成立する(またはしていた)だろう。自然主義派というのがこれに該当するはずだ。
前田は、エンタテイメントにならないと予想する。
・カレー
土産で鯨カレーを買った。もちろん、前田が食う。
・読書
「文鳥・夢十夜/夏目漱石」を読んでいる。新潮文庫のやつ。
「文鳥」と「夢十夜」の第一夜が気に入っている。どちらも悲愴がべたべた付きそうな話なのだが、漱石の文章はそうなっていない。距離を置いた視点というか、客観的な視点というか、そのような印象がある。だが客観的といってもデッサンではなく、ちゃんと視点保持者の心理が垣間見られるようにもなっている。だからなのか、読んでいる人間は無感情にならない。少なくとも前田はそうであった。
このとても客観的な視点というのは、この本の作品全体に見られ、漱石の持ち味なのだろうか、と思った。
・拍手レス
>しも
未完の作品に手を出してしまうとショックだよな。トリブラとか。
・合宿
明日から研究室の合宿に行ってくるので、更新停滞。まあ、もともと頻度は低いのだけど。
・絶望した!
「さよなら絶望先生/久米田康治」のアニメのOP.についての考察。
リンク>「さよなら絶望先生」OPにみる、少女解体とオブジェ観
前田としては「少女性の精製」という言葉がしっくりくる。「少女性とは何か」ということを問うて、その核だけを強調し、他の要素(人間としての要素)を排除する、という。
面白いのは、この「精製」は「雪国/川端康成」に通じる点があるということ。新潮文庫の解説にあったのだが「雪国」では「一瞬の美に焦点を当て、それを徹底的に掘り下げるが、その他のことは島村(主人公)にとってまるで無であるかのように通り過ぎる」。
どちらも「焦点を決めている」という言葉に還元されると思うのだけど、そんな単純なことも、意識しなければできないことである。更に「どのように焦点を当てるか」ということも重要なポイントだろう。絶望先生ならば「不要な人間の身体性は、ひどく客観的に見る(オブジェ化する)」で、雪国ならば「風景と心理を混ぜ合わせて表現する」だと思う(雪国についての考察が甘いけれど)。
必要なのは、焦点についてのルールか。
・トラバ
そういや、トラックバック機能を使ってないな。
・読書
「雪国/川端康成」読了。他の作品も読みたい作家だ。同じエロオヤジでも、前田は谷崎より川端の方が好みである。
次は「文鳥・夢十夜/夏目漱石」を読む予定。最近の前田には、古典文学ブームが到来している。
>しも
未完の作品に手を出してしまうとショックだよな。トリブラとか。
・合宿
明日から研究室の合宿に行ってくるので、更新停滞。まあ、もともと頻度は低いのだけど。
・絶望した!
「さよなら絶望先生/久米田康治」のアニメのOP.についての考察。
リンク>「さよなら絶望先生」OPにみる、少女解体とオブジェ観
前田としては「少女性の精製」という言葉がしっくりくる。「少女性とは何か」ということを問うて、その核だけを強調し、他の要素(人間としての要素)を排除する、という。
面白いのは、この「精製」は「雪国/川端康成」に通じる点があるということ。新潮文庫の解説にあったのだが「雪国」では「一瞬の美に焦点を当て、それを徹底的に掘り下げるが、その他のことは島村(主人公)にとってまるで無であるかのように通り過ぎる」。
どちらも「焦点を決めている」という言葉に還元されると思うのだけど、そんな単純なことも、意識しなければできないことである。更に「どのように焦点を当てるか」ということも重要なポイントだろう。絶望先生ならば「不要な人間の身体性は、ひどく客観的に見る(オブジェ化する)」で、雪国ならば「風景と心理を混ぜ合わせて表現する」だと思う(雪国についての考察が甘いけれど)。
必要なのは、焦点についてのルールか。
・トラバ
そういや、トラックバック機能を使ってないな。
・読書
「雪国/川端康成」読了。他の作品も読みたい作家だ。同じエロオヤジでも、前田は谷崎より川端の方が好みである。
次は「文鳥・夢十夜/夏目漱石」を読む予定。最近の前田には、古典文学ブームが到来している。