・日記
今日も今日とて、図書館にて森博嗣作品(「すべてがFになる」と「今はもうない」と「君の夢 僕の思考」)をつまみ読みしつつ、小説をちまちまと。執筆速度が上がるわけでは全然ないが、こうやって森作品を読んだりしながら書く方が精神的に良い。モチベーションが下がらないと感じる。
問題としては、現在書いている作品を「森のコピィだな」と言われてもしょうがないということ。意識しているのは間違いないし、そもそもトリックからしてそうだ。
精神的苦痛が創作に対して良い影響を与えるかどうか。文豪と呼ばれた先人たちの多くが自殺という決断をしていることを考えると、一見して、そのくらいの苦痛を抱えていないと歴史的な作品を創ることはできない、と思わされてしまう。
しかし自分は純文学を書こうとしているわけでも私小説を書こうとしているわけでもない。そもそも、苦痛を背負えば良い作品ができるというものでもない。
結局落ち着くのは、苦痛を背負うのは深い思考の結果であって、それほどの思考がなければ苦痛は創作にとって無意味だという結論。
集中力を鍛えるためにコイン立てでもしようか。硬貨全種類あったっけな?
・読書
と、まあ、「すべてがFになる」と「今はもうない」と「君の夢 僕の思考」をほんの一部だけ読んだ(過去に全て完読している)。量としては「今はもうない」が最多。幕間のみを読了したので。
昔の森作品は、校閲のためか、末尾の長音のルールが間違っていて変な気分である。
森作品を読むと、どうも気分が詩的になる。別に詩を書こうという気分になるわけではない。身も蓋もない言い方をするならば、カッコつけた文章を考えたくなるわけである。今日は「やはり小説を書こうと自分を説得できるような作品を書きたい」とか考えた。
前田だって、漫画を書いてみたいとか、演劇を創ってみたいとか、そんな気持ちだってあることにはあるのである。浮気性。
今日も今日とて、図書館にて森博嗣作品(「すべてがFになる」と「今はもうない」と「君の夢 僕の思考」)をつまみ読みしつつ、小説をちまちまと。執筆速度が上がるわけでは全然ないが、こうやって森作品を読んだりしながら書く方が精神的に良い。モチベーションが下がらないと感じる。
問題としては、現在書いている作品を「森のコピィだな」と言われてもしょうがないということ。意識しているのは間違いないし、そもそもトリックからしてそうだ。
精神的苦痛が創作に対して良い影響を与えるかどうか。文豪と呼ばれた先人たちの多くが自殺という決断をしていることを考えると、一見して、そのくらいの苦痛を抱えていないと歴史的な作品を創ることはできない、と思わされてしまう。
しかし自分は純文学を書こうとしているわけでも私小説を書こうとしているわけでもない。そもそも、苦痛を背負えば良い作品ができるというものでもない。
結局落ち着くのは、苦痛を背負うのは深い思考の結果であって、それほどの思考がなければ苦痛は創作にとって無意味だという結論。
集中力を鍛えるためにコイン立てでもしようか。硬貨全種類あったっけな?
・読書
と、まあ、「すべてがFになる」と「今はもうない」と「君の夢 僕の思考」をほんの一部だけ読んだ(過去に全て完読している)。量としては「今はもうない」が最多。幕間のみを読了したので。
昔の森作品は、校閲のためか、末尾の長音のルールが間違っていて変な気分である。
森作品を読むと、どうも気分が詩的になる。別に詩を書こうという気分になるわけではない。身も蓋もない言い方をするならば、カッコつけた文章を考えたくなるわけである。今日は「やはり小説を書こうと自分を説得できるような作品を書きたい」とか考えた。
前田だって、漫画を書いてみたいとか、演劇を創ってみたいとか、そんな気持ちだってあることにはあるのである。浮気性。
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・思考
微分方程式という発明は、一度に一カ所しか観察できないという人間の性質をよく表している。
上のような文章を書けるのもblogならでは、ではないだろうか。非常に簡単な思いつき、文章にすれば一文で済んでしまうこと。前後の繋がりなど考えず、唐突に、放り込める。
これが読者を意識した小説となると、そうはいかない。何らかの意図がなければやってはいけない。制限がかかる。
「自由」という言葉の論について常に出されることだが、制限というものは大切だ。全く自由きままな文章群を面白くするのは難しい。「何を書くか」という発想が最も重要になってくる。全く制限がないというなかから、面白い発想を出すのはなかなか難しいであろう。
対して、小説は制限がある。この制限があるからこそ、発想すること自体は難しいが、面白い発想を生み易い。
そもそも思考という行為は制限から生まれるものだ。何について考えるかを定めなければ思考することはできない。
・日記
今の自分の作風が嫌になってきたせいか、不意に森作品か京極作品を読みたくなった。原点回帰である。
そんなわけで「笑わない数学者/森 博嗣」と「虚空の逆マトリクス/森 博嗣」を図書館でつまみ読みした。少し鬱憤が晴れる。どうしてこんなに森作品は前田にあっているのだろう? お陰で自分の作品も少し進んだ。
「フィッシュストーリー/伊坂幸太郎」を少し読もうかと棚を見たら、伊坂作品が皆無だった。全部借りられているらしい。流石だ。
・読書
「ニューロマンサー/William Gibson」を読んでいる。訳は黒丸 尚。
まだまだ序盤であるが、早くもピンチ。ストーリィについていけていない。訳文が苦手なせいか、初めて読むジャンルだからか……。最初から読み直そうか。
しかし勉強という名目で小説を読むのが嫌になっている前田であった。
微分方程式という発明は、一度に一カ所しか観察できないという人間の性質をよく表している。
上のような文章を書けるのもblogならでは、ではないだろうか。非常に簡単な思いつき、文章にすれば一文で済んでしまうこと。前後の繋がりなど考えず、唐突に、放り込める。
これが読者を意識した小説となると、そうはいかない。何らかの意図がなければやってはいけない。制限がかかる。
「自由」という言葉の論について常に出されることだが、制限というものは大切だ。全く自由きままな文章群を面白くするのは難しい。「何を書くか」という発想が最も重要になってくる。全く制限がないというなかから、面白い発想を出すのはなかなか難しいであろう。
対して、小説は制限がある。この制限があるからこそ、発想すること自体は難しいが、面白い発想を生み易い。
そもそも思考という行為は制限から生まれるものだ。何について考えるかを定めなければ思考することはできない。
・日記
今の自分の作風が嫌になってきたせいか、不意に森作品か京極作品を読みたくなった。原点回帰である。
そんなわけで「笑わない数学者/森 博嗣」と「虚空の逆マトリクス/森 博嗣」を図書館でつまみ読みした。少し鬱憤が晴れる。どうしてこんなに森作品は前田にあっているのだろう? お陰で自分の作品も少し進んだ。
「フィッシュストーリー/伊坂幸太郎」を少し読もうかと棚を見たら、伊坂作品が皆無だった。全部借りられているらしい。流石だ。
・読書
「ニューロマンサー/William Gibson」を読んでいる。訳は黒丸 尚。
まだまだ序盤であるが、早くもピンチ。ストーリィについていけていない。訳文が苦手なせいか、初めて読むジャンルだからか……。最初から読み直そうか。
しかし勉強という名目で小説を読むのが嫌になっている前田であった。
・日記
映画「トム・ヤン・クン」を二日前に観た。「マッハ!!!!!!!」(感嘆符の数はテキトー)と同じ、トニー・ジャー主演。前田は「マッハ!!!!!!!」のアクションの方が好きであった。
ストーリーは中盤から終盤にかけてよく解らなかった。アルコールのせいにしておく。
3/10に書いた、文字と映像の違いについて。表現媒体の変換が困難なものほど、媒体の必然性が高く、良い作品になりえるのではないかと思った。そのように考えると、アクション映画というのは最高のジャンルの一つと考えられる。
もちろんアクション映画の中にもつまらない作品はあるし、他のジャンルがつまらないというわけではない。
・出版
どうやら「フリッカー式/佐藤友哉」が文庫化される模様。ようやく、である。これで新規読者を獲得できればいいのだが。
・読書
「アンノウン/古処誠二」読了。自衛隊という閉鎖・特殊環境でのミステリ。トリックにも当然のことながら、環境が反映されていた。
何も「アンノウン」に限らないが、この手の「一般には知られていない環境」のミステリというのは「オーデュボンの祈り/伊坂幸太郎」などのファンタジィ世界を舞台にしたミステリと非常に似ていることに気づいた。どちらの作品群も、その世界でしか通用しない条件が加わる。両者の違いは、舞台のリアルさ(リアリティではない)のみではないのだろうか? そしてこの舞台の違いが、二つの作品群の評価を決定しているのだろう。とか思う。
最近の江戸川乱歩賞は「特殊な職業の世界」というのを重視しているらしいが、ファンタジィ舞台のミステリがそのうち乱歩賞を取る気もする。それとも既にそういう作品が出ているのだろうか? 乱歩賞作品を読んだことがないので不明(候補作を二つほど読んだだけである)。読みたい作品はあるのだが。
映画「トム・ヤン・クン」を二日前に観た。「マッハ!!!!!!!」(感嘆符の数はテキトー)と同じ、トニー・ジャー主演。前田は「マッハ!!!!!!!」のアクションの方が好きであった。
ストーリーは中盤から終盤にかけてよく解らなかった。アルコールのせいにしておく。
3/10に書いた、文字と映像の違いについて。表現媒体の変換が困難なものほど、媒体の必然性が高く、良い作品になりえるのではないかと思った。そのように考えると、アクション映画というのは最高のジャンルの一つと考えられる。
もちろんアクション映画の中にもつまらない作品はあるし、他のジャンルがつまらないというわけではない。
・出版
どうやら「フリッカー式/佐藤友哉」が文庫化される模様。ようやく、である。これで新規読者を獲得できればいいのだが。
・読書
「アンノウン/古処誠二」読了。自衛隊という閉鎖・特殊環境でのミステリ。トリックにも当然のことながら、環境が反映されていた。
何も「アンノウン」に限らないが、この手の「一般には知られていない環境」のミステリというのは「オーデュボンの祈り/伊坂幸太郎」などのファンタジィ世界を舞台にしたミステリと非常に似ていることに気づいた。どちらの作品群も、その世界でしか通用しない条件が加わる。両者の違いは、舞台のリアルさ(リアリティではない)のみではないのだろうか? そしてこの舞台の違いが、二つの作品群の評価を決定しているのだろう。とか思う。
最近の江戸川乱歩賞は「特殊な職業の世界」というのを重視しているらしいが、ファンタジィ舞台のミステリがそのうち乱歩賞を取る気もする。それとも既にそういう作品が出ているのだろうか? 乱歩賞作品を読んだことがないので不明(候補作を二つほど読んだだけである)。読みたい作品はあるのだが。
・日記
小林賢太郎の一人舞台「POTSUNEN」を観た。maruの方。
演劇の内容よりも、小林賢太郎の演技や芸の方が凄いと思う。足音のパントマイムとか、どれだけ練習したんだ。
公演の内容としては、ラーメンズのライブやKKPの方が前田は好み。
・思考
「ダ・ヴィンチ」を読んでいて思ったのだが、作家のインタビューとかは前田にとってあんまり意味ない。その作家のファンであり、その作家について知りたいと思っているときは別であるが、そうでない場合の方が多いからだ。
作家の創作能力に関して言及されるときは、大抵、自分との力量差を突きつけられるだけだし、創作以外の話には益がない。その作家の私生活などの真似をすれば作家になれるというわけでもなし。
創作以外の話から創作のヒントを見つけろと言われればそれまでではあるのだが、そんなヒントはそれこそわざわざインタビューから拾うものでもないだろう。
逆に、作家志望の人間のインタビューとかどうだろうか。作家になるために何をしているかとか、そういったことを聞いたりするのである。一人だけじゃなくて沢山の人間にインタビューする。自分でやったことのない、考えたことのない方法論とか聞けて、なかなか面白いかもしれない。
ついでに、創作に関する悩みなんかも訊こう。作家の卵同士の交流もしよう。傷の舐め合いでもすれば最高である。舐め合っている人間は、ひとまず競争から外れてくれるはずだ。倍率を下げる画策。
・読書
「アンノウン/古処誠二」を引き続き読んでいる。
魅力の一つは、簡単に解ることではあるが、軍人らしからぬ自衛隊員か。上官に対する畏敬を持ち、近い階級の人間と接するときはゆるい若者。
小林賢太郎の一人舞台「POTSUNEN」を観た。maruの方。
演劇の内容よりも、小林賢太郎の演技や芸の方が凄いと思う。足音のパントマイムとか、どれだけ練習したんだ。
公演の内容としては、ラーメンズのライブやKKPの方が前田は好み。
・思考
「ダ・ヴィンチ」を読んでいて思ったのだが、作家のインタビューとかは前田にとってあんまり意味ない。その作家のファンであり、その作家について知りたいと思っているときは別であるが、そうでない場合の方が多いからだ。
作家の創作能力に関して言及されるときは、大抵、自分との力量差を突きつけられるだけだし、創作以外の話には益がない。その作家の私生活などの真似をすれば作家になれるというわけでもなし。
創作以外の話から創作のヒントを見つけろと言われればそれまでではあるのだが、そんなヒントはそれこそわざわざインタビューから拾うものでもないだろう。
逆に、作家志望の人間のインタビューとかどうだろうか。作家になるために何をしているかとか、そういったことを聞いたりするのである。一人だけじゃなくて沢山の人間にインタビューする。自分でやったことのない、考えたことのない方法論とか聞けて、なかなか面白いかもしれない。
ついでに、創作に関する悩みなんかも訊こう。作家の卵同士の交流もしよう。傷の舐め合いでもすれば最高である。舐め合っている人間は、ひとまず競争から外れてくれるはずだ。倍率を下げる画策。
・読書
「アンノウン/古処誠二」を引き続き読んでいる。
魅力の一つは、簡単に解ることではあるが、軍人らしからぬ自衛隊員か。上官に対する畏敬を持ち、近い階級の人間と接するときはゆるい若者。
・コメント返信
>無為さん
「完成度が高い」という言葉には「文章の良さ」も含んでいるつもりです。
説明に近い風景描写(何処に何があるかだけを記したような文章)なんかは、映像の方が恐らく適しているでしょうね。
・思考
やはりコメント返信の一部か。文章と映像の違いについて、思いついたこと(思いついた、では思考ではないのではないか?)。
違いの一つは「情報伝達の速さ」。
例として無為さんの挙げた林檎を出してみる。林檎一つを示すには、文章だと色や形や大きさや切れ込みが入っているのかとか、色々書かなければならず、正確な「その林檎」の情報を取得するのに時間がかかる。しかし映像なら「その林檎」を見るだけでいい。
もう一つの違いは「正確に伝達できる情報の種類」。
文章だと、正確に伝わる情報は「文字」であり「言葉」である。「赤い林檎があった」という文章が正確に伝えるのは「赤い林檎があった」という文字のみだ。そしてこの文字を解釈して得られる情報は個人差がある(全ての人がまったく同じ林檎を思い描くとは限らない)。
映像の場合は、正確に伝わる情報は「映像」だ。赤い林檎を見せたとき、全ての人は同じ像を見るわけだが、そこから受ける印象に個人差が生まれてくる。「旨そうだ」「ずいぶんと色が濃いな」「品種はジョナだろうか?」「何で宙に浮いている?」とか、色々。
文章は「図形」が不正確で「印象」が正確。映像は「図形」が正確で「印象」が不正確というべきだろうか。「美人」を示すのが好例だろうか。文章だとみんな「美人だ」という印象を受けるが、浮かべる美人像は人それぞれ。映像だと「美人」を見せられるが、全ての人が「美人だ」と思うとは限らない。
文章と映像の変換が難しいのは、以上のような「速度」と「精度」に由来すると思う。
・購入録
「チーム・バチスタの栄光/海堂 尊」
父が買ってくれた。文庫化は相当先のことだろうから、感謝である。
・読書
「鉄道員/浅田次郎」読了。結構時間かかったな。
とりあえず、総じての感想は「静的な物語」であるということ。登場人物たちの心的・身的変化の原因となる出来事が小さい、という意味。ハリウッドとは真逆の性質と表現すると解り易いかもしれない。
この手の物語を読ませるには高い技術を必要とすると思う。特に人間を描くことが巧くないと駄目なのではないだろうか。
bump of chickenの「銀河鉄道」も、歌詞が静的な物語になっている。鉄道繋がり。けど「鉄道員」は静的ではないと思う。繋がってない。
にしても、昨日の俺の「うらぼんえ」に対する感想はひどいと思った。見たまんまのことを書いてどうするのだ。
現在は「アンノウン/古処誠二」を読んでいる。なんで文春文庫なのだろう? 講談社と喧嘩でもしたのだろうか。
風景描写をかなり省いていると感じている。一人称故のこと、か? 人物のやりとりを重点的に書いている印象。
>無為さん
「完成度が高い」という言葉には「文章の良さ」も含んでいるつもりです。
説明に近い風景描写(何処に何があるかだけを記したような文章)なんかは、映像の方が恐らく適しているでしょうね。
・思考
やはりコメント返信の一部か。文章と映像の違いについて、思いついたこと(思いついた、では思考ではないのではないか?)。
違いの一つは「情報伝達の速さ」。
例として無為さんの挙げた林檎を出してみる。林檎一つを示すには、文章だと色や形や大きさや切れ込みが入っているのかとか、色々書かなければならず、正確な「その林檎」の情報を取得するのに時間がかかる。しかし映像なら「その林檎」を見るだけでいい。
もう一つの違いは「正確に伝達できる情報の種類」。
文章だと、正確に伝わる情報は「文字」であり「言葉」である。「赤い林檎があった」という文章が正確に伝えるのは「赤い林檎があった」という文字のみだ。そしてこの文字を解釈して得られる情報は個人差がある(全ての人がまったく同じ林檎を思い描くとは限らない)。
映像の場合は、正確に伝わる情報は「映像」だ。赤い林檎を見せたとき、全ての人は同じ像を見るわけだが、そこから受ける印象に個人差が生まれてくる。「旨そうだ」「ずいぶんと色が濃いな」「品種はジョナだろうか?」「何で宙に浮いている?」とか、色々。
文章は「図形」が不正確で「印象」が正確。映像は「図形」が正確で「印象」が不正確というべきだろうか。「美人」を示すのが好例だろうか。文章だとみんな「美人だ」という印象を受けるが、浮かべる美人像は人それぞれ。映像だと「美人」を見せられるが、全ての人が「美人だ」と思うとは限らない。
文章と映像の変換が難しいのは、以上のような「速度」と「精度」に由来すると思う。
・購入録
「チーム・バチスタの栄光/海堂 尊」
父が買ってくれた。文庫化は相当先のことだろうから、感謝である。
・読書
「鉄道員/浅田次郎」読了。結構時間かかったな。
とりあえず、総じての感想は「静的な物語」であるということ。登場人物たちの心的・身的変化の原因となる出来事が小さい、という意味。ハリウッドとは真逆の性質と表現すると解り易いかもしれない。
この手の物語を読ませるには高い技術を必要とすると思う。特に人間を描くことが巧くないと駄目なのではないだろうか。
bump of chickenの「銀河鉄道」も、歌詞が静的な物語になっている。鉄道繋がり。けど「鉄道員」は静的ではないと思う。繋がってない。
にしても、昨日の俺の「うらぼんえ」に対する感想はひどいと思った。見たまんまのことを書いてどうするのだ。
現在は「アンノウン/古処誠二」を読んでいる。なんで文春文庫なのだろう? 講談社と喧嘩でもしたのだろうか。
風景描写をかなり省いていると感じている。一人称故のこと、か? 人物のやりとりを重点的に書いている印象。