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・コメント返信
>kisaさん
 確かにwebサイトに載せるような文章でした。しまった!

 価値観の多様化は、基準レベルの引き下げに関係している、のかな?


・予言
 ネット回線が今月十五日に開通する予定。更新復活は早ければその日から。LANケーブル10mを購入するべし、俺。


・熱さまシート
 水に漬けておくとブクブクになることを確認した。将来的には、そのブクブク状態で電子レンジにかけるとどうなるかやってみたい。
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・日記
 相変わらず友人宅の回線を使用させてもらっている。自宅のネットも申し込みはした。開通はいつになるのか。不明。

 小説全般について聞かれる意見の一つだが、最近の小説は昔に比べて面白くなくなっているという。何故だろうか。
 理由の一つとして、出版技術の向上が挙げられる気がする。正確には、出版が容易になったということ。
 昔と違い、現代は文章を簡単にデータで取り扱うことができ、印刷も簡単に行える。そのために出版に関する苦労が小さくなり、出版されるものも増えた。増えるということは、出版に値するとみなされる作品が増えたということ。
 この「出版に値する作品が増える」という現象の原因としては二つ考えられ、一つは作家全体のレベルか向上したというもの。もう一つは、出版できる基準のレベルが下がったというもの。小説が面白くなくなっている、という意見を汲むならば、原因は後者だろう。粗製乱造だ。
 とまあ、書いてみたが、前田は出版の歴史をとんと知らない。思いついたままに書いただけである。
 粗製乱造の原因には、出版市場が成長したため、というのもありそうである。


・本棚
 なかなか素晴らしい収納能力を持った本棚が部屋に設置された。スライド式で、奥の方にハードカバーが収まる。これだけでテンションが上がった。
 持っている本を全て並べてみると、思いのほか少ないことに気づく。総重量に騙されてはいけない。或いは、本は冊数の割に重いという結論になる。


・森 鴎外
「森鴎外良くね? チョーカッケーんだけど。ヤバくねぇ? 舞姫とかマジキテるし」
 そんな若者の会話を友人が想定している。この場合、日本の未来に期待しても良いのか? 不明。


・読書
「ニューロマンサー/William Gibson」に再挑戦。
・日記
 引越しを完了した。これはつまり、前田がstand aloneになったことを意味する(前田は電脳を搭載しているという意味ではない。complexもない。不便なだけだ)。従ってblogもwebサイトも更新が停滞するということだ。本日は、友人宅の回線を使用させてもらっている。

 残る作業は、住所変更の届け出と、ネット回線の申し込み。あと机と本棚の導入か。

 ニュースは色んな情報をごちゃ混ぜにして報道する。明るいニュースも暗いニュースも、同じ番組内だ。
 そんな中、訃報を流すのは不謹慎か否か。冥福を祈った直後、犬のかわいさに微笑むのである。
 不謹慎だというつもりはない。考える余地があると感じただけだ。しかし思考の基準、つまり不謹慎というのはどういうことかを明確に決めることができていないので、分からない。


・読書
「13階段/高野和明」読了。面白かった。タイムリミットの存在はあまり強く感じられなかったが、主人公達の動機、最後のどんでん返し、アナロジィによる予感などにより、存分に作中世界に入り込めた。ただし後味は最悪であった。初期条件に必然性があるのは良いのだけど、その必然性の内容が……。
 エピソードのダブルミーニングをきちんとこなすのは、良い小説の条件だろうか。或るエピソードの意味として「それまでの話の流れを受けてのもの」と「伏線」の二つがある、ということ。これによって「伏線を伏線として悟らせない」ことが可能になると思う。再読に耐えることのできる作品とは何か?という問いに対する、一つの答えかもしれない。
・日記
 本棚を購入。一万五千円ちょい。実を言うと、引越しの一番の楽しみは、大きくて使いやすい本棚の導入であったりする。来月からは、本を前後に並べなくても済むのだ。何と素晴らしいことか。
 ただし引越しの準備は完了していない。
 あと、引越し予定日に雨が降る確率が大きくて、ガックシしておる。

 引越しの際には、物品の取捨選択が行われる。何を持っていって、何を捨てようかということだ。これを全て自分で行うのは気持ち良いものだと思った。
 現在住んでいる部屋への引越しの際は、親の手伝いがあったため、取捨選択を一人で行わなかった。思いもよらない必要なものを持ってくることが可能であったが、反面、決して使わないようなものまで持ってきてしまった(つい最近、この類のものを多量に発見した)。
 そのような状態は良くないと感じる。自分の生活空間をきちんと自分で把握しておきたいからだ。
 感性についても、これと同様のことがいえないだろうか?
 感性というのは、物事の受け取り方である。例えば小説を読んで感想を持つとき「何のために、どのような理由から、どんなことを思ったのか」を明文化できると、自分が小説を書く場合に役立つであろう。
 特に感性の場合、あらゆる物事・事物について有効であるから、日々の生活で上記のような明文化の訓練を行うことができる。お得。

 たった今、二つ隣の部屋に住んでいる友人からジュースの差し入れがあった。嬉しいものである。今年度で前田も友人も現在の部屋を出る。二年間の付き合いは意外と短いものだが面白かった。モノより思い出。
 卒業シーズンっぽいことを書いてみた。明らかに前田のガラではない。しかも前田はまだ卒業しない。


・読書
 引き続き「13階段/高野和明」を読んでいる。
 最初に提示された謎もなかなか面白いと思うが、それよりも、主人公達への感情移入がページを捲る動力源となっていると感じた。この感情移入を行うために、社会(正確には、死刑制度や刑法)への不満・反感というものが描かれている。これが主人公の動機であり、動機を理解できるが故に感情移入が起きる。
 真相開示で明らかになる動機ではなく、作品途上で描かれる人物の動機付けは、このような解りやすいものが良いようだ。
 ミステリで重要な位置を占めるのが動機である。書き方本などではしばしば「解りやすい動機を設定せよ」と書かれている。嫉妬や復讐などだ。
 この手の意見に自分は反対である。常人ならば考えられない理由から罪を犯す犯人というものが、自分は好きなのである。
・日記
 隣の芝生は青いという言葉を真とする。人の能力は環境に左右されることを考えると、他人の能力や才能に羨望しない状況というのはありえないことになってしまう。
 ただし、羨望の対象は空間的ではなく、時間的な隔たりの上での他人でも良い。例えば、過去の自分などである。
 と、そんなことを思いつつ、今の前田なら、高校に演劇部があったとして、入部してみたいと思っている。


・言い訳
 少々、具体的には二日ほど、blogの更新をサボった。言い訳とも言えぬ言い訳としては、他のことをしていたからだ(これだけの文章に、言の字が三つも! しかも言い訳になっていない)。
 既に身に染み付いた習慣を一時的に中断した場合、中断した時間にも依るだろうが、再開は非常に楽である。機会が与えられれば、以前と同じように続行できる。一方、習慣付けようとしていたことを中断した場合、再開するのには多少の苦痛を伴い、簡単に以前と同じように続行することは難しい。
 これは、以前に書いた思考の高低に由来するのではないかと思う。つまり、習慣化されたことは低い位置にあり、習慣化されていないことは高い位置にある、ということ。後者を習慣化するための過程は、自発的ではない化学反応に似ているだろう。縦軸にポテンシャルをとったとき、真ん中が大きな山となる、あのグラフである。
 習慣化されていない状態では、中くらいの高さである。これを習慣化しようとして、日々実行するようになると、高い山を登ることとなる。そして山の頂点を越えると段々低くなり、最初の状態よりも低い位置までくると、習慣となる。
 習慣化しようと日々実行している状態=山を登ろうとする状態で休止すると、低い位置に落ちてしまう。落下による差分は、時間に比例し、これが大きいほど、中断前の状態に持っていくのが困難となる。
 自然科学ならば、差分だけのポテンシャルが顕在化するが、これは習慣化に使われることはない。別のことに使われてしまう。

 そんな訳で本日は、文章練習を省略し、現在執筆中の作品を書こうと思う。


・読書
「人間は考えるFになる/森 博嗣|土屋賢二」読了。
 書き下ろしで「消えたボールペンの謎/土屋賢二」と「そこに論点があるか、あるいは何もないか/森 博嗣」が収録されていた。
 後者のトリックが途中で分かったこともあってか、自分は「消えた~」の方が面白かった。語り口とでも言うのか、笑いの詰め込まれた文章が非常に面白かった。
 土屋賢二の笑いの特徴はどういうものだろうか。
「A→B→Cという論理の流れに対して、Aに関して無意味に考え(トートロジィを使用するのは一つの手段)、突然Cの結論を導く」
「相手の思考を自分の都合の良いように予想し、直後、当人に完璧に否定される」
 少なくとも、この二つがあるのではないかと思った。

 森博嗣が自身の小説の書き方を解説していたが、天才でもない限り、この方法を採用すべきではないと思った。凡人である前田としては、プロット構築の手法として採用するのが適当ではないかと感じる。
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