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・コメント返信
>しも
 チームを組んで犯人のプロファイルをやりまくるだとか、交渉は基本電話だとか……他にはなんかな……。大体「犯罪交渉人峰岸英太郎/紀伊 孝」での解説通りらしい。とはいえ、アメリカと日本じゃ、事情が違うからなぁ。日本の方が、強行突入が圧倒的に多いようだ。
 立て篭もり事件が起きているとは噂には聞いているが、ニュースでは殆ど見たことない。今日も世間から取り残されるぜ!


・解の無い方程式
 ネタを考えつかず以前にあまり考えておらず、更新できない。


・PCいじり
 処理速度だとか安定性だとかを上げようとしたら、むしろ環境が悪くなったようにも思える今日この頃。改善を模索してはいるが難しい。レジストリのバックアップを取っとけば良かったという、初歩的すぎる後悔。


・思考
 出力するのが凄くめんどい時期です。更新が鈍くなっているのはコレのせい。


・読書(バレ注意)
「続巷説百物語/京極夏彦」を読んでいるところ。現時点で「野鉄砲」「孤者異」「飛縁魔」「船幽霊」を読了。なんとも、静的な物語である。
 共通した話の流れ(これをコードというのだろうか)は読み易い。本格ミステリに一味付け足した、というような印象を受けた。しかし、どうにも盛り上がりが小さい気がする。何故かといえば、怪異の場面の描写が、どうも、粗いように思える。イメージを浮かべにくい。このために、怪異を怪異としてしか読めない。アンフェアに感じた(しかし一方で、怪異として描かれている故に盛り上がる箇所になっている、という解釈も可能だ)。単に前田の読解力の問題だろうか?
 しかし「野鉄砲」と「孤者異」については、直接に怪異を描かない場面がある。これは上述のアンフェアに該当すると思う。
 また「船幽霊」は怪異に至るまでの会話と説明が長すぎる気がする。

 そういえば「孤者異」は映画化された気がするが……。出来はどうだったのだろう(ダメだっただろうという予想をしている)。


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・where
 個人が何らかの意見を主張したいとき、場所について選択肢がある。誰か知り合いに話す、道端で演説をする、blogの記事にする、などだ。これがwhereの概念である。当然、意見の内容によって、適切なwhereというのが存在するだろう。


・読書
「犯罪交渉人/毛利元貞」読了。犯罪交渉を題材とした作品を書きたいので、そのための資料本として購入したもの。中身はノンフィクション、というべきか?
 犯人の主張、現場の主張、警察上層部の主張、交渉人の主張。色んな主張が入り乱れ、せめぎ合う、という事件の数々が面白かった。人間ドラマ? 実際、交渉人はプロファイリングなんかも使うし。
 この本で、多少、犯罪交渉の面白さは掴めた、かもしれない。ミステリのアイデア(になり得るもの)も多少は浮かんだ。
 他に必要なのは、警察機構に関する資料、もっと具体的な犯罪交渉の資料、交渉術の資料、といったところだろうか? 引き続き、色々と漁ってみなければ。
・三島由紀夫賞
 佐藤友哉! おめでとうございます!
 クリスマステロルの最終章を読んだトコだったから、余計に嬉しく感じてしまう。きっと物凄く努力して、とてつもなく苦しんできたのだろうと思うと、もう。


・山本周五郎賞
 森見登美彦! てめえ強えよ!


・日本推理作家協会賞
 桜庭一樹! おめえも強えよ!


・5打数5安打
 イチロー! 流石だ!


・まとめ
 他人の功績に関するニュースを見ると、おおまかに言って、二通りの反応がある。喜ぶか、反発するか、だ。では、その反応の違いは何に由来するのだろう?
・ランチャ
 導入してみた。良い感じに設定することに成功。便利な予感。


・メモリクリーナ
 ついでに導入してみた。効果のほどは知らん。


・コンビーフ
 なかなか旨かったが、間違いなくカロリー高いよね。


・出版
 今更といえば今更な話かもしれない。「FLCL/ウエダハジメ」が講談社BOXで発売されていた。まさかノベライズ!?と思ったが、違った。マンガである。
 何だか、やりたい放題だなぁ……という感想。誰がって、太田編集長が。


・物理
 宇宙定数は時間に対して変化しないのではない。かつて、これがとても大きな時期があった。それはいつか? インフレーションの時である。フリードマン方程式を見れば解る。
 という話を研究室のセミナで少しした。観測と論理の浪漫。
・おひさしぶりです
 小林賢太郎風に。


・PCいじり
 某サイトで紹介されていた、windowsの設定いじりをやってみた。高速化・安定化の方法である。現在、効果は体感していない。
 あと、ランチャとメモリクリーナを導入したくなった。けど多分、導入しても大して使わないだろうという予想がある。意味無し。実際に手に入れてしまったら、使用しなくなるというものは、案外多いのではないだろうか。積み本とか良い例だと思う。書店に居るときは金を出すほど欲しいのに、買ったあとは本棚へ。
 や。そのうち読むんだけど。


・絵文字
 PC、携帯電話の普及によって、随分と一般に浸透したようだ。そして、そのような電子書類以外の場所でも見かけるようになった。看板などに手書きの絵文字が書かれているのだ。
 文字というのは、書くのが容易であるという意味で、非常に優れたデザインだと思う(識字率100%である日本だから言える意見か?)。この文字の組み合わせで持って絵を書くのだから、絵文字もまた同様の意味で優れたデザインだろう。普及する原因の一つが、このデザイン性にあると思う。
 では、普及するとどうなるか?
 工夫のない消費が増えるのではないだろうか。つまり「絵文字を用いて表現する」ということにとらわれ、「何を表現するか」がおろそかになる。媒体を用いること自体が面白いと勘違いされて、面白くないものが多量に横行するわけだ。
 blogもこの例である。簡単にweb上に情報を発信できるようになったが、その情報の内容がつまらない。blogは単なる媒体であって、これを用いれば、面白くなるというわけではない。テレビもそうだ。画質を幾ら上げても、番組そのものが面白くなければ、観ようとは思わない。
 そして以上のような話は森博嗣が何度もしているということに気づき、自己矛盾。


・読書
「島田荘司読本/島田荘司責任編集」をちょこちょこと。
 島田荘司自身のものは冒頭の短編小説と、巻末の評論で、あとは、他の作家による作品解説とエッセィだった。創作の役に立つ……のか? 評論はなかなか面白かったが。
 あと先輩に借りた「シュルレアリスム宣言/アンドレ・ブルトン」を読み始めた。訳は巖谷国士。
 すごく単純に書けてしまうことを、無闇矢鱈に文章を長くして書いているような印象。この長さには何か意味があるのだろうか……。読みづらいというか、何だかもう、よく解りません!
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