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・日記
 本日もバドミントンをしてきた。
 先週も似たようなことを書いたが、やはりこの手の競技でものを言うのは頭脳だと思う。相手を操作するとかそんなレベルの話でなくても、もっと低いレベルでそう感じ取れる。
 例えば、1/1000秒でも早く先を予測することは重要だと思う。これは頭脳の成せる技だ。そして予測を立てるには、正確な情報収集が必要となる。これはつまり観察力であり、感性であるともいえないだろうか。
 フィジカルは、頭脳によって組み立てられる行動を実現し易くするためのものである。また、頭脳を長く使うには体力が必要になる。だから体力面でのトレーニングは非常に重要。
 作家というのも、似たようなものだと思う。スポーツ選手よりもフィジカルの重要性が低いだけ。


・購入録
 雑誌「ダヴィンチ」を購入。購入理由は伊坂幸太郎特集にある。
 本の魅力とは「これはすごい」「この考えは思いつかん」と思えるところにある、という意見に非常に納得し、そして自分の作品にそんなものはないなと思い、がっくり。
 ダヴィンチ編集部で小説の書き方本を出すらしい。発売は今月十六日。買おう。


・創作
 とても面白いとは思えない文章ができあがっていく。
 何故面白くないかといえば、リアリティがないから、と思える。視点保持者の上っ面を撫でているだけの文章に思えるからだ。
 さて、リアリティとは何だろうか。岸辺露伴曰く(荒木飛呂彦とは書かない)、リアリティこそがエンタテイメントであるからこのことを考えるのは重要であると思う。
 今のところ「事象の認識過程」と「人物の内面描写(せめて説明)」がリアリティのある文章に繋がると思っているが、さて……。


・読書
 相も変わらず「鉄道員/浅田次郎」。だんだん読むのが辛くなってきた。本日は「伽羅」「うらぼんえ」を読了。
「伽羅」は話に決着が付いていない気がする。ただ、人物の内面に入っていけた気がするし、描写も上手いと思えた。文章で楽しむ作品だろうか。分析していくのは創作の役に立つ予感がする。
「うらぼんえ」は昨日述べたような「仲間がいるのはいいなぁ」が見えた。ただし敵中に仲間がいるわけではないので「ピンポン/松本大洋」とはかなり異なる印象。
 今更気づいたが「バガボンド/井上雄彦」のおつうと城太郎も、敵中の味方じゃないじゃないか。
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・思考
 今日の前田は思考していないくさいので人間ではない模様。三日坊主という言葉が浮かんだ。

・創作
 本文書きの時期にあたっても、新作のプロットを考えなければと思う。
 コンディションはネガティブ。精神的な話。
 愚痴を「愚痴があるよ」で済ませられるのは、長所と見るべきか短所と見るべきか。

・読書(けっこうネタバレ)
「ピンポン/松本大洋」を最終巻の半分まで読んだ。
 ペコのおおまかなストーリィラインは「自分を強者だと思っている→強敵にボコボコにされ、挫折する→周囲の助けにより復帰→修業→かつて自分を負かした相手に勝利」。
 スマイルのおおまかなストーリィラインは「強者の影に隠れて、闘志がない→理解者からの影響で闘志を燃やす→強者となり、周囲からは孤立する」
 全部読んだわけではないが、大体、こんな感じだと思う。
 さて、何が面白いのだろうかと考えた場合、どうも前田はストーリィライン以外の部分に目が行ってしまう(ストーリィ自体はベタっぽいから、別にいいとは思うのだが……)。
 一番良かったのが、スマイルがチームメイトから孤立していく中で、唯一理解を示してくれる大木の存在だ。勝利を目指すスポーツ漫画(特訓と試合、競技に関する挫折と栄光を描いている)であるから、最高の価値観の一つは「勝利」である。
 スマイルはひたすらにこれを目指すが、ついていけない部員達はスマイルに反感を持つ。読者は部員達に(極端な二元論で言う)悪の印象を持ち、スマイルに善の印象を持つ。そんな中、悪であるはずの部員内に善であるスマイルに共感し、応援するものがいるというのは非常に気分の良いものではないだろうか。読者の「善を応援したい」という願いが、作中で叶えられるわけである。大木は初めの方でイヤなキャラだっただけに効果が大きそうだ(イヤな態度をとっていた理由も、スマイルを応援する理由に重なる。これがキャラ造形の一側面だろうか)。
「バガボンド/井上雄彦」でいうと、大木の位置はおつうと城太郎になる気がする。ただし武蔵の場合はもともと一人だ。この点が大きく違う(バガボンドは一人でも問題ないが、ピンポンの舞台は部活であり仲間も大切であるから、読者は孤立がまずいと感じる)。バガボンドの武蔵−おつうの関係は、ピンポンだと風間−佐久間の関係の方が近いか?

 今日のタイトルはスマイルが佐久間に言った台詞。キツいことをさらりと言ってしまえるキャラクタに魅力を感じるか反感を覚えるかは人それぞれか? 前田はスマイルのマシーンっぷりが結構好きである。
・コメント返信
>無為さん
 長編を映画にすると削らなければならない部分があり、それがよろしくないと、そういうことですかね。なるほど、それは同意です(姑獲鳥の夏の悲劇)。
 かといって、短編を一時間半以上で映画化するのも疑問。それだけ保つとは思えないし、余計なものが足されているのではないかと疑ってしまうので。
 映画化というのはつまり表現技法の変化で、原作が完成されているほど困難ではないかと思うのです。


・思考
 格言、名言というものがある。これらは一見、真理をついているようなものもあり、発言者が偉大であるほど感銘を受けやすいと思う。例えば前田は小説家に憧れを持っているため、作家の述べる創作の精神論を大事にしたがる。
 しかし感銘を受けるということと、その言葉が自身にとって必要なのかどうかは別問題だろう。場合によっては「格言に合っていない」という理由で行動を中止するという、逃げの口実になる可能性がある。このような逃げは状況に合わせているとはいえず、恐らく、危険性が高い。
 前田が思う「良い格言」とは、その格言を思い浮かべるだけで感情を操作することができるような言葉だ。格言だけで暗い気持ちを明るくできたり、無気力をやる気満々にできたりするような言葉。そんな格言がその人にとっての真理の一つであり、従って、格言・名言は個人によって違ってくる。
 人間は成長するに従って大きな社会に進出することを余儀なくされる。同時に、周囲との軋轢・齟齬も生まれてくる。そんな時に自分の感情をコントロールできる格言を持っているのは、心強い武器になると思う。


・創作
 本文を書き始めたが、非常に自分の文章が気持ち悪い。原因はリアリティが欠けている気がするからだ。冒頭から説明になっているので、文章にがっつりと気を遣うべきだとは思うのだが……。
 行き詰まるとやる気がごっそり削がれるのは前田の悪い癖である。格言が欲しい。


・読書
 引き続き「鉄道員/浅田次郎」を読んでいる。今日はあまり進まず「角筈にて」のみを読了。
・日記
リンク>「文章ヘタ」でも「自分たちと同じキモチ」…ケータイ小説、女子中高生に超人気

 実際、気になる作品群ではあったのだ。客観的な評価=売り上げの点から言えば間違いなく面白い小説であるから、主観的な評価はどのようなものだろうか、と。
 リンク先には主観評価も書かれていた。びっくりするくらいマイナス評価ばかりである。
 面白くない理由で目立っていたのは、やはり「文章が下手」「物語がベタ(ワンパターン)」。文章については実例が引用されており、なるほど、これは小説で書くような文章ではないなと思った。理由はリアリティの欠如。
 物語がベタという点についてはどうだろうか。これについては読んでみない限り判断のしようがない。ただ、ベタならベタで、携帯小説を読む価値が生まれないとは言い切れない。
 何故か。ベタな話というのも、物語作りにおいて十分に参考になるからだ。
 そもそも何故ベタな話はベタなのか? 理由は簡単で、何度も同じ型の話が作られてきたからである。では、何故、何度も作られてきたのか? やはり答えは単純なことで、面白いからだ。しかしベタな話は歓迎されない。余りにも繰り返されすぎて、みんな飽きているからかもしれない。ある種の二律背反である。
 読者が飽きているという問題をどのように回避すればいいのか? ここで作家の技量が問われる(場合もある)。
 例えば「バガボンド/井上雄彦」の「武蔵-胤舜戦」。この話は非常にベタだと思うが、しかし、面白い(客観評価でも、主観評価でも)。これは画力、心理描写、対峙の緊迫感など、作者の技量によって強化されている部分があるからだと思う(細かな物語の構成も要因としてあるだろうか)。レベルの低い作家では、ああも面白い作品にならないだろう。
 以上のことが正解だとするならば、作家に必要なことの一つは「ベタな話を面白くする能力」であり、つまりベタな話を知っていなければならない。こう考えると、携帯小説を読むのも一つの勉強になるかもしれない。
 しかし冷静に考えれば、物語創作の指南書を読んだ方がいい気もする。


・創作
 本文執筆開始。暫定タイトルは「彼は何処へ?」
 さて、何日で書きあがるか……。


・購入録
「天才 創造のパトグラフィー/福島 章」
「13階段/高野和明」
「大東京三十五区 冥都七事件/物集高音」
「MISSING/本多孝好」

 楽しみなのが「13階段」と「冥都七事件」。
 前者は乱歩賞で、裏表紙のアオリからして面白かった。後者は以前に薦められた本で、この手の雰囲気は俺好み。ただ、文章が読みにくそうだった。苦戦するやも。


・読書
「鉄道員/浅田次郎」を読んでいるところ。映画化されていたこともあって、短編だとは思わなかった。現時点で「鉄道員」「ラブ・レター」「悪魔」を読了。
 表題作「鉄道員」のポイントは、価値観の引き寄せだと思った。作中人物の価値観を出し、読者にもその価値観を与える。その上で主人公乙松に感情移入させるという方法。
 自分の父の意見によると「鉄道員」は「仕事で女房子供を泣かせた身勝手な男の、ただの夢」にしかすぎない。そんな話が高い評価を受けているのは、やはり乙松への感情移入が巧いからではないだろうか。
 他の作品についても面白いポイントを探していきたいが、さて。
・コメント返信
>kisaさん
 この場合は、時間をお金に例えるというよりも、お金で時間を買うことができる、という風な意味合いでございます。
 自分の場合は、車内で本が読めるし、俺の所持金はもともと親のもの、という理由から、鈍行を選択しました。


・思考
 kisaさんのコメントに関連して、少々考えてみた。ここもコメント返信の一部? お金と時間、どちらに価値があるか、という話。
 まず、現在の労働とは、労働者の時間を金銭に交換するというものである。時給、日給、月給という言葉に表れている。しかし、この給料というものは同じ時間だけ働いた労働者全員が同じ額ではない。何故かといえば、雇い主は労働者の時間だけを買っているわけではないからだろう。労働者の技能も買っている。高い技能を持つ方が、時間辺りの給料が上がるという、簡単な話。
 このことはこう解釈できる。「技能が高まれば時間の価値が上がり、技能がなければ時間の価値は低い」。労働という観点については時間にこのような価値が付くと考えられる。対外的な時間の価値、とでも言おうか。
 この「対外的な時間の価値」は時間の価値の一側面でしかない。時間の消費方法は労働だけではないからである。他に個人が趣味に使ったり何なりと、個人の持つ時間の価値が加わる。「対外的な時間の価値」がつまり金銭のことに相当するから「時間の価値=金銭の価値+個人的な時間の価値」となり、従って、時間の価値は金銭のそれよりも高いと考えられる。

 ところで人間の生き方というのは、自分の時間の価値を向上させることに費やされるものなのではないか、と思った。対外的な時間の価値を向上させたり、個人的な時間の価値を向上させたり。殆どの人間が生きるために金銭を必要とすることを考えると、対外的な時間の価値を向上させればその分色んなことに使える時間が増えるので、個人的な時間の価値を向上させることに繋がると思う。

 何だか、非常に当たり前のことを長々と書いただけな気がしてきた。しかし記事にする。


・創作
 前回、本文にとりかかれると書いたが、止めた。プロットをもっと詰めようと思う。
 理由は、現時点のプロットで面白くなるとは思えないから。本格ミステリの味を少なくとも出す必要があると思うのだ。そのための論理を構築しなければならない。しかしできる自信はない。
 あと、眠すぎる中、論理を構築するもんじゃないと思った。


・読書
「バガボンド24/井上雄彦」読了。
 話は全然進んでいないように思えたが、面白かった。絵は偉大である。小説でいうと文章に相当する部分。
 漫画では、まず絵が合わないと読まれない。どんなにストーリィが良くても、まず絵で選別するわけである(ジョジョが良い例だと思う)。小説の文章は漫画の絵ほど瞬時に判別されないが、やはりある程度の水準にないと読んでもらえないだろう。文章だけで読ませるのは、実に難易度の高い技術。

 ここまでバガボンドを読んできたが、やはり又八は「大多数の読者の姿」であると思う。自分は凄いと勘違いし、過去の栄光にすがり、いざというときに逃げ、強者の影に隠れる。武蔵から遥か遠い位置にいる人物。勝負していない人物。
 恐らく、多数の人間は又八でしかない。
 今回の巻で、読者と又八の位置は殆ど変わらないということが、今までの巻よりも直接的に示されていると思う。
 こういうのをアフォリズムというのだろうか。

「ライン/村上 龍」も読了。
 面白かったけど、何が面白いのか良く分からない(いつものことだが)。前回の記事で書いたこと以上を掴めていないと思う。
 ただ、ユウコはやはり特殊な位置に置かれている。物語のつなぎとかではなく、多数の登場人物の中で、この人物だけが苦痛に大して超然としているように思えた。
 ラストの章タイトルは上手いと思った。そら、最後ならそういうタイトルになるわな。
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