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・コメント返信
>kisaさん
 しかし一体何が不条理なのか? その辺りを見極めることにします。

 もじりタイトル一覧を作れば、結構需要がありそうだ。


・悩み
 本棚が足りない。
 あと、掃除してたら学部の卒業式に撮った写真が出てきて、素晴らしくネクタイが曲がっていた。


・読書
「仮面の告白/三島由紀夫」読了。元ロシア大統領の誰かがこの作品を好きらしい。
 前の記事でも書いたが、どうも小説のように思えなかった。小説の定義は何だと問われたら前田には答えられないのだけど、ともかく、違うと感じた。これは小説ではなく「小説が立ち上がる以前」というのが、前田にとってしっくり来る表現になる。少なくとも、園子との仲が展開されていくまでは、そう感じる。
 この小説で語られているのは主に主人公の内面の告白だと思う。言い換えるなら、この作品を支えているのは主人公自身であって、主人公を取り巻く出来事や風景や人物ではないと思ってしまう。実際には出来事も風景も他の人物も描かれているのだが、常に主人公に戻ろうとしているような気がするのだ(前田は恐らく、出来事、風景、人物が小説に必要な要素だと考えているのだろう)。ひたすら主人公、主人公、主人公。そのような印象。そしてその主人公自身が面白い。ストーリーのような「展開していく」というような面白さではなく、「ただそうである」という面白さがある。
 この面白さは、設定に感じる面白さに近い、或いは同様なのではないか? キャラクタの持ち物とか武器とか職業とか、それだけを見て感じる面白さなのではないか? だから小説以前の印象を受ける。この「ただそうである」主人公が出来事、風景、人物によって展開されていくのが小説なのではないかと、そういうことだ(しかしこの仮面の告白により、前田の展開されていくという小説観を変えることが可能だ)。
 この小説以前であるということ自体の面白さで読み進めていたので、園子との仲が展開していく段になって、前田にとっては面白さが少なくなってしまった(途中、園子が余韻も残さず作品から退場したように見えるところがあって、そこは凄いと思ったのだが)。
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