忍者ブログ
[261] [260] [259] [258] [257] [256] [255] [254] [253] [252] [251]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

・プロとアマ
 まつきあゆむという音楽家が、何かやろうとしている。

リンク>ヘッドフォンリスナーズサイクリングクラブ

 何をやろうとしているかは、下のリンクの『「1億年レコード」発表とM.A.F設立のお知らせ』に書かれている。2009.12.01の記事。

リンク>News

 簡単にいうと「ミュージシャンはどこのレーベルにも属しません。リスナーに直接音楽を売ります。中間マージンなし」をやろうとしている。
 当然、このやり方は既存のベーシックなものではないわけで、障害も大きいだろう。しかし成功すればクリエイタが正当な報酬を受け取ることも、自分の信じる素晴らしい作品を自分の裁量で発信することも可能になる。
 もしこの商売のモデルで食っていくことが可能になったら?
 前田にはまつきあゆむの行動がとても凄いものに思える。小説でも同じことができるんじゃないか? 同じことをやらなければならないのではないか?
 文学フリマなどの即売会はまつきあゆむのやろうとしていることに近いのではないだろうか。そう思った。
 大塚英志は文学フリマ開催を呼びかける形で、次のような文章を発表している。

リンク>不良債権としての『文学』

 きっとどこかで、文学で食っていくためには、作家は出版社と決別した売り方をしないとならなくなると思う。これはプロとアマの境界があやふやになるということでもあり、作品を書いてから流通・販売させるまでに関わる人間が少なくなる=文学で食うということがもっと個人的な活動になるということでもあるだろう。そうなったとき、例えば芥川賞などは権威を持つ続けられるのか? 今の本の帯でたまにみかける「○○推薦!」の文章はどのような価値を持つようになるのか?
 そんな未来予想はともかくとして、恐らく最も重要なのは、全くの個人で文学を売れる時代に既になっているということなのだ。


・芥川賞
 今期の候補が発表された。舞城王太郎が久々のノミネート。今期の文藝賞を取った「ボーダー&レス」と「犬はいつも足元にいて」の両方がノミネート。
 ここに来てようやく気付いたのだが、純文学系列の新人賞を取ろうというのは、きっと芥川賞を目指すということとほぼイコールなのだ。
 このことをどう捉えるか?「芥川賞を取るなんて難易度が高すぎる!」とみるか「なんだ、芥川賞なんてその程度のものなのか」とみるか。
PR
この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
無題
おお、「不良債権としての~」ではないですか、懐かしい。講談社ノベルスと大塚さんの作品しか読まない、という中二病時代に拝見しました。いかにも物語消費論者的な考えですよね。

文学フリマに移行する際に結局事務局に委任しちゃったことをまた笙野さんに批判されてたりしましたね、懐かしい。

結局芥川賞とかは菊池寛が小説売れない期間に売る理由づけのために作ったものなのですから、すなわち一つの商法なのですから、淘汰されちゃってもそんなものかな、という気はします。
仮名太 2010/04/04(Sun)04:18:12 編集
この記事へのトラックバック
この記事にトラックバックする:
忍者ブログ [PR]