忍者ブログ
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

今年初めて曲を買った(レンタルした)バンドを振り返る。
バンド名をクリックするとyoutubeの検索結果かmyspaceに飛ぶ。

WHITE ASH
white white sisters
pasteur
LITE
sgt.
夢中夢
0.8秒と衝撃。
matryoshka
about tess
PR
・言葉と音楽
 バンド「te'」のライブに行ってきた。ツアーの名前は「敢えて理解を望み縺れ尽く音声や文字の枠外での『約束』を。」Release tour。長えよ! けど、te'にしては短い方である。
 te'のライブ自体はこれで二回目だが、やっぱりドラムがすごい。技術的な点は前田には全く分からないのだが、音がとにかくものすごい。
 エフェクタを付けているのだろうか、ときおりホール全体に反響するような音を出していた。だだっぴろい何もない静かなホールで一発だけ音を鳴らしたときに聞こえてきそうな、そういう音だ。
 爆音で聴けるというのが最も単純なライブの良さのひとつだと思うが、前田が今回聴いたドラムの響きはその単純さそのもので、すごく良い。思わず笑ってしまうほどかっこいい音だった(もちろん単音の良さだけではないけど)。



 ライブで聴いてきた感覚や、音楽自体を表現できれば面白いと思うのだが、残念ながら前田はそこまでできない。
 単純に描写の難易度が高いということもあるが、それに先んじてある問題は「曲を覚えていない」ということだ。すごかった、かっこよかった、ずっと続いてくれと思っていたことは憶えているが、音楽を聴いている最中の自分の感覚の状態を覚えていない。
(ファンの中では少数派なのかもしれないが)前田はまずte'の曲をよく憶えていない。これは聴きこみの量と質の問題であるとは思う。しかしその他の問題の可能性を指摘することも可能だ。つまりインストバンドであるということと、曲タイトルが非常に長いということの二点。
 例えば「言葉を用いて奏でる者は才能に在らず、ただの記憶に『過』ぎぬ。」という曲名がある。この長さはte'にとって普通で、というか、曲タイトルはすべて29文字に統一されている。
 一曲二曲ならいいが、アルバム全部とか、そういう単位になると全曲のタイトルを略さずに憶えるのは根気がいるし難しい。
 加えて曲がボーカルなし。歌詞の不在。声の入っている曲もあるが、それは歌ではなく声であって、やはり言葉ではない。
 思考が言語型の人間にとっては、曲を非常に憶えにくいのではないだろうか。そしてこの「憶えにくさ」というのは「曲の中の言葉のなさ」であって、te'の音楽を考えるにあたって重要なキーワードなんではないか、と想像する。
「言葉を用いて~」が収録されているアルバムには「美しき旋律も音を語る言を持たずしては心に『留』めがたし。」という曲もある。この2タイトルは対比は演奏する側と聴く側の差や音楽に対するある種の感覚を表現しているようで、なんとも面白い。

リンク>te' official myspace
・初雑誌
 雑誌「ROCKIN' ON JAPAN」を生まれて初めて購入した。理由は「凛として時雨」特集だったから。
 インタビューなんかは面白いと思ったのだけど、それはともかくとして、曲の評論はつまらなかった。
 他のバンドの曲の評論なんかも読んでみたのだけど、大抵つまらない。
 例えば本誌ではこんな感じで時雨が表現されている。

---引用開始---
耳をつんざくようなハイトーン男女ツインヴォーカル、土砂降りの雨のようなシャープでヘヴィーなアンサンブル、暴力的なまでに振り切れた展開、(以下略)
---引用終了---

 ハイトーン、ツインヴォーカル云々は事実だからわかる。「耳をつんざく――」は単なる強調表現だろう。
 その次がわからない。「土砂降りの雨のようなシャープでヘヴィーな」って、どんなんだ? 前田が知らないだけで音楽業界では「土砂降りの雨」「シャープ」「ヘヴィー」は具体的な対象のある言葉として使われているのだろうか。
 展開については、まだ分かると思う。
 また、新作のアルバムについての評論には次のような文章があった。

---引用開始---
時雨の音楽は、消せない記憶の中で磔にされている自分を映す鏡のようだ。そんな自分を殺してしまいたくて、激しくその鏡に拳を打ちつけて粉々に砕いても、記憶は余計に鮮明になるばかり。その鮮やかすぎる記憶が苦しいなら、その粉々になった鏡の破片を手に取って腕に突き刺せばいい。流れた心の血だけが苦痛を快楽に変えてくれる――。アルバムを出す度に、そんな歪んだ麻薬性は増し続け、虜になる人が増え続けている。
---引用終了---

 音楽の描写でも説明でもない。初っ端から比喩だしその比喩を前提にして文章が書かれていくから、端的に言って意味が分からない。
 一応、時雨の曲をある程度聴いていれば「消せない記憶」「自分を殺して」「鮮やか」「突き刺せば」といったキーワードを拾って時雨っぽいと思うことは可能だろうけど。
 この手の文章は時雨についての記事だけでなく、他にもあった。ライブのレポなど。紙幅の問題もあるのかもしれないが、全然音楽の表現、または描写になっていない。だからつまらない。一般投稿の文章の方がよほど面白く感じる。
・平日にて
 先週「te'」と「world's end girlfriend」というバンドのライブに行ってきた(オープニングアクトは蓮沼執太チームというバンドだった)。ポストロックやエレクトロニカというジャンルに分類されるらしい。らしい、というだけで前田にはよく分からない。
 非常に良かった。蓮沼執太チームの時点で身体を動かせたし、前田の目的だったte'が凄くかっこよかった。
 特にドラム。本当に音の感触がある。
 以前行った「凛として時雨」のライブでも音の感触があったたのだが、今回のte'はそれに加えて速度まで感じられた。バスドラムが鳴った瞬間、自分の前面に音が当たって即座に後へ突き抜けていく感じがあったのだ。
 具体的にいうとこの速度とは、音で自分の服がはためいた、という現象になるかと思う。物理的な現象で語ればこれだけのことかも知れないが、やっぱり前田は「速度」と表現したい。個人の感動を物理現象のみで表現するのは味気ない。
 もちろんドラムだけでなく、全体の演奏・音も良かった。音の凄さにびっくりして思わず天井を見てしまったのも初めてだ。

 te'の後にトリのworld's end girlfriend(WEG)であった。
 前田の気になっているバンドではあったが、ネット上で「ライブはよくなかった」みたいな評価も見たことがあったので、te'が主目的ということでもあったので「どんなもんだろう」ぐらいの気持ちだったのだが……想像以上過ぎた。
 CD音源と比べて曲がもう別物に思えるくらい凄くなっていた。つまりリズム隊……というか、ドラムが。ベース不在(だったと思う)でドラム2人。この辺りは蓮沼執太チームも同じだったのだが、WEGの方が強烈な音だった。te'よりも。
 リズム隊の強烈な音とギターとEWI(だと思う)の綺麗なメロディを聴いていると、「world's end」と「girlfriend」という言葉はそれぞれの音に対応しているのだろうか、と思う。殴るみたいな低音に綺麗だったり荘厳だったりする高音を乗せているからだ。
 しかしその高音というのも色々で、曲によっては酷くノイジィだったり、あるいは段々とノイジィになっていったりする。前田にはその音が音楽なのかどうかも分からないが、world's end girlfriendという言葉から受ける印象にとても合っていると感じた。
 荒々しい部分と美しい部分が同時にあるというのはte'とのひとつの差である気がする。te'は1つの曲の"展開として"荒々しさと美しさを鳴らしていたように思える。つまり同時ではない。WEGは同時にそれを鳴らす。

リンク>te' official MySpace
リンク>world's end girlfriend official MySpace
・I was musicだった
 修論の締め切り前であるのでblogの更新もしない日々が続いているが、「凛として時雨」のツアー「I was music」に行ってきた。
 内容は非常に満足である。ギタボのTKがアレンジ的にかなり叫んでくれたし、ライブで聴きたいと思っていた「傍観」もやってくれた。凛として時雨の音楽はCDで聴いても鋭いという印象を受けるが、ライブだともっと鋭く感じられる。鋭いどころか尖っている。刺さる。硬度が高い。こういう感触の表現を音楽に対して使うのはあながち間違っていなくて、どういうことかといえば、ライブ会場では本当に音に触れる。比喩的表現ではなく、音は空気の振動なのだから、音によって皮膚が振動していることを感じられるならばそれはやはり感触で以って表現可能だろう。ライブというのは音楽を聴くだけの場所ではなくて演奏者とそのアクトを観るものであるというのは周知の事実だと思うのだけど、それに加えて、音に触る場所でもあるのだ(音楽に触る他の方法といえば、自分で演奏する、だろうか)。
 新曲も披露されて、イントロから物凄く「凛として時雨」で、実にかっこよかった。しかし全く知らない曲のはずなのにちゃんとリズムに合わせて体を動かせたのは面白かった。これは何も凛として時雨だからというのではなくて、音楽というのはそういうものだということなのだろう。知らなくても先が分かる。その面白さ。この感触は初体験であった。
 それにしても、たった今書いた「実にかっこよかった」という感想の何と空虚なことか! いや、新曲をけなしているわけではない。問題は前田が新曲を全く覚えていないという点にある。聴いていた時間を全く自分の中で再現できない。にも関わらずかっこよかったと書ける、言えてしまうのは、その感想だけを言葉にした/その感想だけしか言葉にできなかったからだ。これが「言葉の持ち運び易さ」であり「音楽の持ち運び難さ」である。早くCD出ないかな。

 ライブ後の物販は完全に出遅れて敗退。
「バンドスコア取り扱ってないんですか?」
「売り切れました」
「じゃあ、七部袖のシャツを」
「売り切れました」
「じゃあ、Tシャツ……」
「売り切れました」
 物欲消化不良。悔しくてタワーレコード行ったらte'を発見したので買った。
忍者ブログ [PR]