・日記
リンク>「文章ヘタ」でも「自分たちと同じキモチ」…ケータイ小説、女子中高生に超人気
実際、気になる作品群ではあったのだ。客観的な評価=売り上げの点から言えば間違いなく面白い小説であるから、主観的な評価はどのようなものだろうか、と。
リンク先には主観評価も書かれていた。びっくりするくらいマイナス評価ばかりである。
面白くない理由で目立っていたのは、やはり「文章が下手」「物語がベタ(ワンパターン)」。文章については実例が引用されており、なるほど、これは小説で書くような文章ではないなと思った。理由はリアリティの欠如。
物語がベタという点についてはどうだろうか。これについては読んでみない限り判断のしようがない。ただ、ベタならベタで、携帯小説を読む価値が生まれないとは言い切れない。
何故か。ベタな話というのも、物語作りにおいて十分に参考になるからだ。
そもそも何故ベタな話はベタなのか? 理由は簡単で、何度も同じ型の話が作られてきたからである。では、何故、何度も作られてきたのか? やはり答えは単純なことで、面白いからだ。しかしベタな話は歓迎されない。余りにも繰り返されすぎて、みんな飽きているからかもしれない。ある種の二律背反である。
読者が飽きているという問題をどのように回避すればいいのか? ここで作家の技量が問われる(場合もある)。
例えば「バガボンド/井上雄彦」の「武蔵-胤舜戦」。この話は非常にベタだと思うが、しかし、面白い(客観評価でも、主観評価でも)。これは画力、心理描写、対峙の緊迫感など、作者の技量によって強化されている部分があるからだと思う(細かな物語の構成も要因としてあるだろうか)。レベルの低い作家では、ああも面白い作品にならないだろう。
以上のことが正解だとするならば、作家に必要なことの一つは「ベタな話を面白くする能力」であり、つまりベタな話を知っていなければならない。こう考えると、携帯小説を読むのも一つの勉強になるかもしれない。
しかし冷静に考えれば、物語創作の指南書を読んだ方がいい気もする。
・創作
本文執筆開始。暫定タイトルは「彼は何処へ?」
さて、何日で書きあがるか……。
・購入録
「天才 創造のパトグラフィー/福島 章」
「13階段/高野和明」
「大東京三十五区 冥都七事件/物集高音」
「MISSING/本多孝好」
楽しみなのが「13階段」と「冥都七事件」。
前者は乱歩賞で、裏表紙のアオリからして面白かった。後者は以前に薦められた本で、この手の雰囲気は俺好み。ただ、文章が読みにくそうだった。苦戦するやも。
・読書
「鉄道員/浅田次郎」を読んでいるところ。映画化されていたこともあって、短編だとは思わなかった。現時点で「鉄道員」「ラブ・レター」「悪魔」を読了。
表題作「鉄道員」のポイントは、価値観の引き寄せだと思った。作中人物の価値観を出し、読者にもその価値観を与える。その上で主人公乙松に感情移入させるという方法。
自分の父の意見によると「鉄道員」は「仕事で女房子供を泣かせた身勝手な男の、ただの夢」にしかすぎない。そんな話が高い評価を受けているのは、やはり乙松への感情移入が巧いからではないだろうか。
他の作品についても面白いポイントを探していきたいが、さて。
リンク>「文章ヘタ」でも「自分たちと同じキモチ」…ケータイ小説、女子中高生に超人気
実際、気になる作品群ではあったのだ。客観的な評価=売り上げの点から言えば間違いなく面白い小説であるから、主観的な評価はどのようなものだろうか、と。
リンク先には主観評価も書かれていた。びっくりするくらいマイナス評価ばかりである。
面白くない理由で目立っていたのは、やはり「文章が下手」「物語がベタ(ワンパターン)」。文章については実例が引用されており、なるほど、これは小説で書くような文章ではないなと思った。理由はリアリティの欠如。
物語がベタという点についてはどうだろうか。これについては読んでみない限り判断のしようがない。ただ、ベタならベタで、携帯小説を読む価値が生まれないとは言い切れない。
何故か。ベタな話というのも、物語作りにおいて十分に参考になるからだ。
そもそも何故ベタな話はベタなのか? 理由は簡単で、何度も同じ型の話が作られてきたからである。では、何故、何度も作られてきたのか? やはり答えは単純なことで、面白いからだ。しかしベタな話は歓迎されない。余りにも繰り返されすぎて、みんな飽きているからかもしれない。ある種の二律背反である。
読者が飽きているという問題をどのように回避すればいいのか? ここで作家の技量が問われる(場合もある)。
例えば「バガボンド/井上雄彦」の「武蔵-胤舜戦」。この話は非常にベタだと思うが、しかし、面白い(客観評価でも、主観評価でも)。これは画力、心理描写、対峙の緊迫感など、作者の技量によって強化されている部分があるからだと思う(細かな物語の構成も要因としてあるだろうか)。レベルの低い作家では、ああも面白い作品にならないだろう。
以上のことが正解だとするならば、作家に必要なことの一つは「ベタな話を面白くする能力」であり、つまりベタな話を知っていなければならない。こう考えると、携帯小説を読むのも一つの勉強になるかもしれない。
しかし冷静に考えれば、物語創作の指南書を読んだ方がいい気もする。
・創作
本文執筆開始。暫定タイトルは「彼は何処へ?」
さて、何日で書きあがるか……。
・購入録
「天才 創造のパトグラフィー/福島 章」
「13階段/高野和明」
「大東京三十五区 冥都七事件/物集高音」
「MISSING/本多孝好」
楽しみなのが「13階段」と「冥都七事件」。
前者は乱歩賞で、裏表紙のアオリからして面白かった。後者は以前に薦められた本で、この手の雰囲気は俺好み。ただ、文章が読みにくそうだった。苦戦するやも。
・読書
「鉄道員/浅田次郎」を読んでいるところ。映画化されていたこともあって、短編だとは思わなかった。現時点で「鉄道員」「ラブ・レター」「悪魔」を読了。
表題作「鉄道員」のポイントは、価値観の引き寄せだと思った。作中人物の価値観を出し、読者にもその価値観を与える。その上で主人公乙松に感情移入させるという方法。
自分の父の意見によると「鉄道員」は「仕事で女房子供を泣かせた身勝手な男の、ただの夢」にしかすぎない。そんな話が高い評価を受けているのは、やはり乙松への感情移入が巧いからではないだろうか。
他の作品についても面白いポイントを探していきたいが、さて。
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・コメント返信
>kisaさん
この場合は、時間をお金に例えるというよりも、お金で時間を買うことができる、という風な意味合いでございます。
自分の場合は、車内で本が読めるし、俺の所持金はもともと親のもの、という理由から、鈍行を選択しました。
・思考
kisaさんのコメントに関連して、少々考えてみた。ここもコメント返信の一部? お金と時間、どちらに価値があるか、という話。
まず、現在の労働とは、労働者の時間を金銭に交換するというものである。時給、日給、月給という言葉に表れている。しかし、この給料というものは同じ時間だけ働いた労働者全員が同じ額ではない。何故かといえば、雇い主は労働者の時間だけを買っているわけではないからだろう。労働者の技能も買っている。高い技能を持つ方が、時間辺りの給料が上がるという、簡単な話。
このことはこう解釈できる。「技能が高まれば時間の価値が上がり、技能がなければ時間の価値は低い」。労働という観点については時間にこのような価値が付くと考えられる。対外的な時間の価値、とでも言おうか。
この「対外的な時間の価値」は時間の価値の一側面でしかない。時間の消費方法は労働だけではないからである。他に個人が趣味に使ったり何なりと、個人の持つ時間の価値が加わる。「対外的な時間の価値」がつまり金銭のことに相当するから「時間の価値=金銭の価値+個人的な時間の価値」となり、従って、時間の価値は金銭のそれよりも高いと考えられる。
ところで人間の生き方というのは、自分の時間の価値を向上させることに費やされるものなのではないか、と思った。対外的な時間の価値を向上させたり、個人的な時間の価値を向上させたり。殆どの人間が生きるために金銭を必要とすることを考えると、対外的な時間の価値を向上させればその分色んなことに使える時間が増えるので、個人的な時間の価値を向上させることに繋がると思う。
何だか、非常に当たり前のことを長々と書いただけな気がしてきた。しかし記事にする。
・創作
前回、本文にとりかかれると書いたが、止めた。プロットをもっと詰めようと思う。
理由は、現時点のプロットで面白くなるとは思えないから。本格ミステリの味を少なくとも出す必要があると思うのだ。そのための論理を構築しなければならない。しかしできる自信はない。
あと、眠すぎる中、論理を構築するもんじゃないと思った。
・読書
「バガボンド24/井上雄彦」読了。
話は全然進んでいないように思えたが、面白かった。絵は偉大である。小説でいうと文章に相当する部分。
漫画では、まず絵が合わないと読まれない。どんなにストーリィが良くても、まず絵で選別するわけである(ジョジョが良い例だと思う)。小説の文章は漫画の絵ほど瞬時に判別されないが、やはりある程度の水準にないと読んでもらえないだろう。文章だけで読ませるのは、実に難易度の高い技術。
ここまでバガボンドを読んできたが、やはり又八は「大多数の読者の姿」であると思う。自分は凄いと勘違いし、過去の栄光にすがり、いざというときに逃げ、強者の影に隠れる。武蔵から遥か遠い位置にいる人物。勝負していない人物。
恐らく、多数の人間は又八でしかない。
今回の巻で、読者と又八の位置は殆ど変わらないということが、今までの巻よりも直接的に示されていると思う。
こういうのをアフォリズムというのだろうか。
「ライン/村上 龍」も読了。
面白かったけど、何が面白いのか良く分からない(いつものことだが)。前回の記事で書いたこと以上を掴めていないと思う。
ただ、ユウコはやはり特殊な位置に置かれている。物語のつなぎとかではなく、多数の登場人物の中で、この人物だけが苦痛に大して超然としているように思えた。
ラストの章タイトルは上手いと思った。そら、最後ならそういうタイトルになるわな。
>kisaさん
この場合は、時間をお金に例えるというよりも、お金で時間を買うことができる、という風な意味合いでございます。
自分の場合は、車内で本が読めるし、俺の所持金はもともと親のもの、という理由から、鈍行を選択しました。
・思考
kisaさんのコメントに関連して、少々考えてみた。ここもコメント返信の一部? お金と時間、どちらに価値があるか、という話。
まず、現在の労働とは、労働者の時間を金銭に交換するというものである。時給、日給、月給という言葉に表れている。しかし、この給料というものは同じ時間だけ働いた労働者全員が同じ額ではない。何故かといえば、雇い主は労働者の時間だけを買っているわけではないからだろう。労働者の技能も買っている。高い技能を持つ方が、時間辺りの給料が上がるという、簡単な話。
このことはこう解釈できる。「技能が高まれば時間の価値が上がり、技能がなければ時間の価値は低い」。労働という観点については時間にこのような価値が付くと考えられる。対外的な時間の価値、とでも言おうか。
この「対外的な時間の価値」は時間の価値の一側面でしかない。時間の消費方法は労働だけではないからである。他に個人が趣味に使ったり何なりと、個人の持つ時間の価値が加わる。「対外的な時間の価値」がつまり金銭のことに相当するから「時間の価値=金銭の価値+個人的な時間の価値」となり、従って、時間の価値は金銭のそれよりも高いと考えられる。
ところで人間の生き方というのは、自分の時間の価値を向上させることに費やされるものなのではないか、と思った。対外的な時間の価値を向上させたり、個人的な時間の価値を向上させたり。殆どの人間が生きるために金銭を必要とすることを考えると、対外的な時間の価値を向上させればその分色んなことに使える時間が増えるので、個人的な時間の価値を向上させることに繋がると思う。
何だか、非常に当たり前のことを長々と書いただけな気がしてきた。しかし記事にする。
・創作
前回、本文にとりかかれると書いたが、止めた。プロットをもっと詰めようと思う。
理由は、現時点のプロットで面白くなるとは思えないから。本格ミステリの味を少なくとも出す必要があると思うのだ。そのための論理を構築しなければならない。しかしできる自信はない。
あと、眠すぎる中、論理を構築するもんじゃないと思った。
・読書
「バガボンド24/井上雄彦」読了。
話は全然進んでいないように思えたが、面白かった。絵は偉大である。小説でいうと文章に相当する部分。
漫画では、まず絵が合わないと読まれない。どんなにストーリィが良くても、まず絵で選別するわけである(ジョジョが良い例だと思う)。小説の文章は漫画の絵ほど瞬時に判別されないが、やはりある程度の水準にないと読んでもらえないだろう。文章だけで読ませるのは、実に難易度の高い技術。
ここまでバガボンドを読んできたが、やはり又八は「大多数の読者の姿」であると思う。自分は凄いと勘違いし、過去の栄光にすがり、いざというときに逃げ、強者の影に隠れる。武蔵から遥か遠い位置にいる人物。勝負していない人物。
恐らく、多数の人間は又八でしかない。
今回の巻で、読者と又八の位置は殆ど変わらないということが、今までの巻よりも直接的に示されていると思う。
こういうのをアフォリズムというのだろうか。
「ライン/村上 龍」も読了。
面白かったけど、何が面白いのか良く分からない(いつものことだが)。前回の記事で書いたこと以上を掴めていないと思う。
ただ、ユウコはやはり特殊な位置に置かれている。物語のつなぎとかではなく、多数の登場人物の中で、この人物だけが苦痛に大して超然としているように思えた。
ラストの章タイトルは上手いと思った。そら、最後ならそういうタイトルになるわな。
・日記
今日のことでは全くないのだが、帰省してすぐにバドミントンをした(バトミントンではなくバドミントンである)。およそ一年ぶりくらい。やる前は「動きをすっかり忘れているだろう」と思っていたが、ガチガチではなかった。
普段、筋トレとマラソン(毎日ではないが)をやっていたお陰でもあるだろうが、感性の問題もあるのではと思った。自分の体の動きを、昔よりも把握できている気がするのだ。体をどう使っているかが分かれば、修正もしやすいし、どう動かせばいいかが分かりやすい。
感性とは、与えられる情報をどのように捉え、処理するかという能力である。自分の体の動きも「与えられる情報」であるから「感性の鋭敏化は、スポーツをやる際に有効」というのは、案外、間違いではない気もする。
木村拓哉主演ドラマ「華麗なる一族」の視聴率が松本潤主演ドラマ「花より男子2」のそれに負けたらしい。そして、このことでテレビ業界は騒然としたらしい。
何故騒然としたのか? 理由は「木村が今まで一位であったということ」「松本が木村の後輩であるということ」が挙げられるようだ。
首位は取るのも難しいが、維持するのも難しい。常に上を目指す余地は存在し、慢心の隙間は無い。そして、首位転落は周囲が騒然とする。
これが競争の世界である。肝に銘じておかねばならないことだ。その前に首位を取らなければならないわけだが。
なお、木村が慢心していたと言っているわけではない。
・創作
本文を書けるくらいには、プロットが進んだ。
今更気づいたが、トリックが「ゲームの国/森 博嗣」とほぼ同じである。作品としては全く別テイストであるから問題ないと思う。重要なのはトリックそのものではなく、そのトリックを使って何をやるか。だと思いたいところだ(占星術殺人事件/島田荘司」のような強烈なトリックなら話は変わってきそうだが)。
・読書
現在「ライン/村上 龍」を読んでいる。初村上(龍の方)である。
群像劇だろうか。このような作品は好みである。理由の一つとしては「収束点の不明さ」があるのではないだろうか。様々な人物が登場し、どんどん舞台が変わっていくため、何処に落ち着くのかが分からない(メインと思しき人物はあちこちに見えるが、常に見えているわけでもないし)。先の読めない展開というのは小説の魅力の一つであるが、そのような展開を構成する方法論として、群像劇のような構造が使えるのだろうか?
各舞台で描かれていることの共通点としては「人物を責める何か」と「都会の喧噪」な気がした。「都会の喧噪」が浮かんだ理由は「都会という舞台での、性や暴力が描かれているから」である。
今日のことでは全くないのだが、帰省してすぐにバドミントンをした(バトミントンではなくバドミントンである)。およそ一年ぶりくらい。やる前は「動きをすっかり忘れているだろう」と思っていたが、ガチガチではなかった。
普段、筋トレとマラソン(毎日ではないが)をやっていたお陰でもあるだろうが、感性の問題もあるのではと思った。自分の体の動きを、昔よりも把握できている気がするのだ。体をどう使っているかが分かれば、修正もしやすいし、どう動かせばいいかが分かりやすい。
感性とは、与えられる情報をどのように捉え、処理するかという能力である。自分の体の動きも「与えられる情報」であるから「感性の鋭敏化は、スポーツをやる際に有効」というのは、案外、間違いではない気もする。
木村拓哉主演ドラマ「華麗なる一族」の視聴率が松本潤主演ドラマ「花より男子2」のそれに負けたらしい。そして、このことでテレビ業界は騒然としたらしい。
何故騒然としたのか? 理由は「木村が今まで一位であったということ」「松本が木村の後輩であるということ」が挙げられるようだ。
首位は取るのも難しいが、維持するのも難しい。常に上を目指す余地は存在し、慢心の隙間は無い。そして、首位転落は周囲が騒然とする。
これが競争の世界である。肝に銘じておかねばならないことだ。その前に首位を取らなければならないわけだが。
なお、木村が慢心していたと言っているわけではない。
・創作
本文を書けるくらいには、プロットが進んだ。
今更気づいたが、トリックが「ゲームの国/森 博嗣」とほぼ同じである。作品としては全く別テイストであるから問題ないと思う。重要なのはトリックそのものではなく、そのトリックを使って何をやるか。だと思いたいところだ(占星術殺人事件/島田荘司」のような強烈なトリックなら話は変わってきそうだが)。
・読書
現在「ライン/村上 龍」を読んでいる。初村上(龍の方)である。
群像劇だろうか。このような作品は好みである。理由の一つとしては「収束点の不明さ」があるのではないだろうか。様々な人物が登場し、どんどん舞台が変わっていくため、何処に落ち着くのかが分からない(メインと思しき人物はあちこちに見えるが、常に見えているわけでもないし)。先の読めない展開というのは小説の魅力の一つであるが、そのような展開を構成する方法論として、群像劇のような構造が使えるのだろうか?
各舞台で描かれていることの共通点としては「人物を責める何か」と「都会の喧噪」な気がした。「都会の喧噪」が浮かんだ理由は「都会という舞台での、性や暴力が描かれているから」である。
・日記
帰省完了。青春18切符につき八千円と安い旅であったが、八時間ほど消費した。time is moneyの解りやすい例であろう。
電車内では、本を読むことと睡眠以外、していない。
実家にて「鉄道員/浅田次郎」と「ライン/村上 龍」を発見。いつの間にか親が買っていたらしい。読むチャンスができたので、読もうと思う。
現在、実家のPCが壊れている。修復予定は皆無。従って「解の無い方程式」の更新はしばらく停滞する予定である。
・読書
車中にて「人工憑霊蠱猫01 蠱猫/化野 燐」と「夏と花火と私の死体/乙一」と「夏のあらし/小林 尽」を読了。
「人工憑霊蠱猫」
どうやら続きを買えということらしい。そのような終わり方であった。しかし、あまり買う気は起きない。残念。全く面白くないわけではないが、俺は好みに合わなそう、ということ。
俺としては二章開始からその途中までが最も面白かった。理由は恐らく、舞台が大学の研究室だからだ。非常に自分と近い。俺の持論として「読者が登場人物であると錯覚できるほど、小説は面白くなる」というものがある。従って、登場人物と境遇が近いほど、小説は面白くなると考えられる。これが「読者層をしぼる・狙う」という言葉の意味ではなかろうか。
また、一章と同様、二章においても敵は明白であった。日常パートで嫌な性格と評される人物が該当している。このような「パターン」が同じだというのは先を読まれてしまう可能性が高いが、敵に関しては(意外な敵でない限り)、先を読まれてもいいのではないか? 嫌な性格のやつが敵というのも、勧善懲悪に近く、エンタテイメントとして俺は好みである。こちらが嫌な思いをせずにすむからだ。
「夏と花火と私の死体」
驚異の十六才、乙一のデビュー作。氏の登場からもう十年以上か。発表当時、週刊少年ジャンプで広告を見た記憶がある。それからずっと気になっていた(読むのを忘れていたともいう)。
やはりどうしても目がいってしまうのが、視点保持者である。小説の書き方本で確実に触れられることとして「視点保持者は一人にしぼれ」というものがある。これにはちゃんと理由があって(上記の俺の持論も含むだろうが)、視点があちこち移動すると読みにくくなるからだ(少なくとも俺はそう思っている)。例えば「六番目の小夜子/恩田 陸」では視点の移り変わりが激しく、読みにくかった(作品自体は面白かった)。
本作は視点の移り変わりが激しい(=神の視点)くせに、読みにくさは回避されている。理由はやはり「わたし」という殺された女の子が語る故であろう。誰の心の中でも覗くことができる「わたし」がいるのである。これが基軸となるため、視点がふらふらしているように見えず、従って、読みやすい。
このように色んな視点を持つことによるメリットもきちんと存在しているようだ。自分が思ったのは「サスペンスの効果を出す」ということ。迫る側と迫られる側の両方を書くことで、迫られる緊迫感が増加していると思う。
画期的な小説というのは、ルールを鮮やかに破ってこそ生まれる。やはりそう思う。難しいことだ。
同時収録作品は「優子」。乙一はよくこの手のミステリを扱っていると思う。読者に思わせない、というのは最大のミスリードではなかろうか。
最後の一文がとても良かった。理由は俺の中で明白になっている。問題なし。多分。
「夏のあらし」
「School Rumble」の小林 尽が書いているということで、駅内のキオスクで購入した。漫画の分析は難しい。
またもや俺の持論であるが「人物の書き分けを髪型だけじゃなく、目や口、鼻といったパーツできっちり行う漫画家は信頼できる」。小林 尽はこのあたりをきっちりやっているように思えるので、好きな漫画家である。School Rumbleでの漫画精神論・抽象論も納得できたし、画風もシーンに合わせて変えてくる。
帰省完了。青春18切符につき八千円と安い旅であったが、八時間ほど消費した。time is moneyの解りやすい例であろう。
電車内では、本を読むことと睡眠以外、していない。
実家にて「鉄道員/浅田次郎」と「ライン/村上 龍」を発見。いつの間にか親が買っていたらしい。読むチャンスができたので、読もうと思う。
現在、実家のPCが壊れている。修復予定は皆無。従って「解の無い方程式」の更新はしばらく停滞する予定である。
・読書
車中にて「人工憑霊蠱猫01 蠱猫/化野 燐」と「夏と花火と私の死体/乙一」と「夏のあらし/小林 尽」を読了。
「人工憑霊蠱猫」
どうやら続きを買えということらしい。そのような終わり方であった。しかし、あまり買う気は起きない。残念。全く面白くないわけではないが、俺は好みに合わなそう、ということ。
俺としては二章開始からその途中までが最も面白かった。理由は恐らく、舞台が大学の研究室だからだ。非常に自分と近い。俺の持論として「読者が登場人物であると錯覚できるほど、小説は面白くなる」というものがある。従って、登場人物と境遇が近いほど、小説は面白くなると考えられる。これが「読者層をしぼる・狙う」という言葉の意味ではなかろうか。
また、一章と同様、二章においても敵は明白であった。日常パートで嫌な性格と評される人物が該当している。このような「パターン」が同じだというのは先を読まれてしまう可能性が高いが、敵に関しては(意外な敵でない限り)、先を読まれてもいいのではないか? 嫌な性格のやつが敵というのも、勧善懲悪に近く、エンタテイメントとして俺は好みである。こちらが嫌な思いをせずにすむからだ。
「夏と花火と私の死体」
驚異の十六才、乙一のデビュー作。氏の登場からもう十年以上か。発表当時、週刊少年ジャンプで広告を見た記憶がある。それからずっと気になっていた(読むのを忘れていたともいう)。
やはりどうしても目がいってしまうのが、視点保持者である。小説の書き方本で確実に触れられることとして「視点保持者は一人にしぼれ」というものがある。これにはちゃんと理由があって(上記の俺の持論も含むだろうが)、視点があちこち移動すると読みにくくなるからだ(少なくとも俺はそう思っている)。例えば「六番目の小夜子/恩田 陸」では視点の移り変わりが激しく、読みにくかった(作品自体は面白かった)。
本作は視点の移り変わりが激しい(=神の視点)くせに、読みにくさは回避されている。理由はやはり「わたし」という殺された女の子が語る故であろう。誰の心の中でも覗くことができる「わたし」がいるのである。これが基軸となるため、視点がふらふらしているように見えず、従って、読みやすい。
このように色んな視点を持つことによるメリットもきちんと存在しているようだ。自分が思ったのは「サスペンスの効果を出す」ということ。迫る側と迫られる側の両方を書くことで、迫られる緊迫感が増加していると思う。
画期的な小説というのは、ルールを鮮やかに破ってこそ生まれる。やはりそう思う。難しいことだ。
同時収録作品は「優子」。乙一はよくこの手のミステリを扱っていると思う。読者に思わせない、というのは最大のミスリードではなかろうか。
最後の一文がとても良かった。理由は俺の中で明白になっている。問題なし。多分。
「夏のあらし」
「School Rumble」の小林 尽が書いているということで、駅内のキオスクで購入した。漫画の分析は難しい。
またもや俺の持論であるが「人物の書き分けを髪型だけじゃなく、目や口、鼻といったパーツできっちり行う漫画家は信頼できる」。小林 尽はこのあたりをきっちりやっているように思えるので、好きな漫画家である。School Rumbleでの漫画精神論・抽象論も納得できたし、画風もシーンに合わせて変えてくる。
・日記
本日、帰省の予定である。荷物は本とノートくらいなので楽だ。
しかしながら、帰省先から帰ってきたらすぐに引越しである。こちらは現時点で全く何も準備ができていない。せめて本くらいはまとめておきたいところだ。あと、オーディオ関連が多いので、この辺りも早めにどうにかするべきだろう。
・小説の執筆
まだプロット段階。下書きは終わり。現在、清書に入っている。
現時点での問題は、事件解決のためのヒント。トリックを見破るためのヒントである。伏線としては張っているが、どうもその伏線だけから解決にもっていくのは、強引な気がしている。決定打に欠けるといったところか。
さて、どうするか……。
探偵がトリックを見破らなくても話を収束させることは可能であるが、それよりは、見破る方が面白いはずだ。よってヒント作りは続行。
しかし、相変わらずの筆の遅さ、集中力の無さである。本当に俺は作家失格だと思える。作家じゃないけど。
・思考
考えたことはある。しかし、あっさり忘れているのも事実。メモを取ればいいものを、取っていない。
何故メモを取らないのだろうか。
至極シンプルな答えとして「面倒臭い」がある。自分はどちらかといえば筆不精なので、この理由はおよそ正しいと考えられる。また、メモを取りたいときに取れないという原因もあるだろう。自分は普段、移動するのに自転車を使う。できるだけこのときに何かを考えようとしているので、メモを取れないというわけである。
前者はともかく、後者は具体的な解決策が一つ考えられる。
「メモを取れる状態になるまで、その一つの事柄を考え続けろ」
こうすれば忘れることもないし、その考えをより深く突き詰めることができる。また、一つの事柄について思考を持続するというのは、つまり、集中力の養成にも繋がりそうである。一石三鳥。
・読書
「人工憑霊蠱猫01 蠱猫/化野 燐」を引き続き。現在150P。半分は過ぎた。
なかなか面白くならない。「先を読もうと思わせる原動力」が不足している気がする。何故だろうか。
話の内容をメモしていき、多少なりとも分析できないか試みたい。
本日、帰省の予定である。荷物は本とノートくらいなので楽だ。
しかしながら、帰省先から帰ってきたらすぐに引越しである。こちらは現時点で全く何も準備ができていない。せめて本くらいはまとめておきたいところだ。あと、オーディオ関連が多いので、この辺りも早めにどうにかするべきだろう。
・小説の執筆
まだプロット段階。下書きは終わり。現在、清書に入っている。
現時点での問題は、事件解決のためのヒント。トリックを見破るためのヒントである。伏線としては張っているが、どうもその伏線だけから解決にもっていくのは、強引な気がしている。決定打に欠けるといったところか。
さて、どうするか……。
探偵がトリックを見破らなくても話を収束させることは可能であるが、それよりは、見破る方が面白いはずだ。よってヒント作りは続行。
しかし、相変わらずの筆の遅さ、集中力の無さである。本当に俺は作家失格だと思える。作家じゃないけど。
・思考
考えたことはある。しかし、あっさり忘れているのも事実。メモを取ればいいものを、取っていない。
何故メモを取らないのだろうか。
至極シンプルな答えとして「面倒臭い」がある。自分はどちらかといえば筆不精なので、この理由はおよそ正しいと考えられる。また、メモを取りたいときに取れないという原因もあるだろう。自分は普段、移動するのに自転車を使う。できるだけこのときに何かを考えようとしているので、メモを取れないというわけである。
前者はともかく、後者は具体的な解決策が一つ考えられる。
「メモを取れる状態になるまで、その一つの事柄を考え続けろ」
こうすれば忘れることもないし、その考えをより深く突き詰めることができる。また、一つの事柄について思考を持続するというのは、つまり、集中力の養成にも繋がりそうである。一石三鳥。
・読書
「人工憑霊蠱猫01 蠱猫/化野 燐」を引き続き。現在150P。半分は過ぎた。
なかなか面白くならない。「先を読もうと思わせる原動力」が不足している気がする。何故だろうか。
話の内容をメモしていき、多少なりとも分析できないか試みたい。