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・コメント返信
>Saki
 感情の反作用があって、それが石にも通じるのだとすれば、感情というのは人間だけのものではなくなる。「人間しか持ち得ない」という感情の神秘性が失われる。
 と、まあ、ものは言いようで、結局、神秘性はなくなるのであった!


・ざわ‥ざわ‥
 福本マンガは微塵も関係がない。最近、ネット上でもよく見る沢尻エリカの騒動である。前田はあまり興味がなかったのだが、とある記事を読んで少し面白かった(interestingの方である)。

リンク>巧言令色吉野仁 ここの「孤低のつぶやき」の10/5の記事。

 前田はこの騒動をみて「過剰反応ではないのか?」と思っていた。前田の持っている情報は「沢尻エリカが映画の舞台挨拶で、ファンを前にした場面で、あからさまに不機嫌な態度をとり、これに対し怒りをみせている人間がいる」ということである。
 確かに沢尻の態度はダメであっただろう。仕事上のミスである。責められてもしょうがない。しかし、どうして和田アキコや岡村隆史が怒るのだろう? 映画のスタッフが怒るなら分かる。舞台挨拶も彼らの仕事の結果の一部だろうから。あと、舞台挨拶の観客。
 マスコミや情報の消費者を含めてだが、関係ない人が怒りをみせているという辺りに、前田は上記リンクの記事にあったような「いじめ」をみる。
 ただ、マスコミ、消費者はともかく、和田や岡村が怒るのを一概に「いじめ」と判ずることはできないと思う。理由は単純で、この二者は沢尻よりも芸能人として先輩にあたるからだ。後輩のミスを先輩が叱るのは、どんな業界でも当たり前のことだろう。問題なのは叱る「動機」と「強度」ではないだろうか。
 まず動機。もし怒っている人が「沢尻は間違っている。だから怒ってもいい」というように考えているのならば、これはいじめになるのではないかと前田は思う。つまり、相手のミスにつけこみ、こき下ろして、自分を上にするという意味だ(上記のカッコ書きの文章が、普遍的にこのような真意を含むわけではない)。更に「上である自分カッコイイ!」が加わると、まあ、ひどいもんである。この場合が、学校であるいじめの一形態かもしれない。
 他にも「あいつが気に入らん」というのもいじめの範囲だろう。責める理由をみつけたから責める、という形である(アンチ沢尻の攻撃は、ほとんどこのパターンではないだろうか)。
 次に、強度。これは判定が難しいと思うが、まあ、芸能界という実力を求められる業界においては、相当に上げてもいじめにはならない気がする(もちろん、動機がいじめなら強度に関係なくいじめだろうけど)。それでも、限界というのはあるだろうけど(例の相撲部屋の事件は、この強度を間違えたのではないか、と思っているのだが)。
 一般的には、この強度の加減は業界と、個人によるものだと思う。プロスポーツなんかだと「辞めてしまうかもしれない」くらいの強度でも、間違いではないと思う。なにせ、実力がなければ生き残れない世界だ。下手にしがみついて年齢を重ねてしまえば、新しい人生を開くのが難しくなってしまう。ならばそうなる前に諦めさせるというのも、先輩としての仕事なのかもしれない。ただ、辞めさせるくらいの強度とはどれくらいだとか、その選手が生き残れない程度の才能しかないとどうやって判断するかだとか、そういう点が非常に難しい。これがつまり、教育の難しさの一つだろう。同じチームならば、素晴らしい才能を潰すのは望ましくないと考えることもできるし。


・映画化
「チーム・バチスタの栄光/海堂尊」が映画化されるらしい。主人公の田口(40代。男)が、何故か女性に。
 これはアレか。そういった地味な役柄は世間に受けないということなのか? ちょっと悲しいものがある。
 しかし白鳥役に阿部寛は見事な気がするぞ。


・読書
 引き続き「ハル、ハル、ハル/古川日出男」を読んでいる。「スローモーション」を読了。
 この作品は……何だ……? よく分からん。再読対象か。
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