・コメント返信
>Rufuさん
情報感謝であります。
wikiによるとマクルーハンは本業が英文学のようで。媒体云々については文明批評家としての仕事でしょうか。
・?
hatenaというやつである。これについての知識を前田は全くといっていいほど持ち合わせていないのだが、最近「はてな匿名ダイアリー」というものを見た。その名の通り、匿名で日記を書けるようである。そして書かれている日記に対して自分の匿名日記へリンクを張れるようである(トラックバックのようだ)。それで、前田はそのリンクを使って日記をサーフィンしていた(この表現は正しいのだろうか?)。
感想は「みんな口が悪いなぁ」であった。
元の日記をバカにするような日記、根拠も示さずに否定している日記が多数あるように見受けられた、ということである。
「はてな匿名ダイアリー」に限らず、そして匿名に限らず、上記のような発言というのはネット上に多量にある。根拠を示してはいるが、口調が悪いものなのどもある。議論すればいいのにと思うところを、否定し合い(否定試合?)にしているところもあるであろう(お互いに根拠を示しながら相手を否定し、口が悪いというパターンだ)。
どうして反対意見を出すのではなく、否定するのだろう?
前田が思いついた一つの答えは「相手に認知してもらいたいから」「相手に干渉したいから」。
というのも、否定という行為は、相手に印象を残すものだと前田は思うからだ。人間というのはバカにされたら頭にくるものだと思う。そして何に怒るかといえば、相手に対してだ(根拠がないなら尚更だろう)。怒るという行為は相手を認知しなければできない。つまり「バカにする」という行為は自分を認知させる行為、とも考えられるわけである。
では「否定」するというのはどういうことか?
相手の従来の考えを「ノー」というわけである。「お前の現状の考えはダメだ」ということだ。つまり「今の考えを捨てろ」とも取れる。これは相手への干渉だろう。
ところで「相手に認知してもらいたい」「相手に干渉したい」という関係というのは、何だろうか? 答えの一つとして「恋人関係」というのがあるのではないかと前田は思う。
以上の話を要約すると「ネット上の人々は互いに恋人関係になりたがっている」という結論に達する。そして「はてな匿名ダイアリー」に代表されるように「ネット上の人々」というのは匿名が多い。彼らは「誰か」という存在、つまり人間そのものと恋人になりたがっているのだ。人類愛というやつだ。
・好き嫌い
前田は上のような「小さなものごとを無駄にデカい概念と結びつける」という論理が好きである。飛躍とか必要条件・十分条件とかの問題はあるが、そこらへんは、まあ、いいや。
・創作文芸に関する幾つかの質問(残り)
幾つか前の記事で書いた「表情を如何にして書くか?」という質問に対する回答を。
表情を以って感情を表すということを考えてみる。この場合、表情だけでは不足だ。キャラの感情を書くならば、表情だけでなく他の動作なども必要になるというのが小説の定石である。「彼は笑顔を見せた」だけでは分からないと、そういうことだ。
その上で「表情のみを使って感情を表現するにはどうするか?」ということを考えてみる。これを目指す方法論の一つとして「表情の描写を強調する」というのが挙げられるのではないかと思う。具体的に言うならば「表情を写真に写したように描写するのではなく、顔の変化を書く」ということ。「彼は笑顔を見せた」だけではダメな理由というのは「複雑さの不足」と「印象に残らない」の二つがあるのではないだろうか、という予想から導いた方法論である。であるから、顔の動き・変化というものを書けば、その二つの理由を補えるのではないかと考えたわけだ。「彼女は涙を流した」と「彼女の眼に涙が溜まっていき、やがて、つぅ、と頬を流れた」の違いである。
>Rufuさん
情報感謝であります。
wikiによるとマクルーハンは本業が英文学のようで。媒体云々については文明批評家としての仕事でしょうか。
・?
hatenaというやつである。これについての知識を前田は全くといっていいほど持ち合わせていないのだが、最近「はてな匿名ダイアリー」というものを見た。その名の通り、匿名で日記を書けるようである。そして書かれている日記に対して自分の匿名日記へリンクを張れるようである(トラックバックのようだ)。それで、前田はそのリンクを使って日記をサーフィンしていた(この表現は正しいのだろうか?)。
感想は「みんな口が悪いなぁ」であった。
元の日記をバカにするような日記、根拠も示さずに否定している日記が多数あるように見受けられた、ということである。
「はてな匿名ダイアリー」に限らず、そして匿名に限らず、上記のような発言というのはネット上に多量にある。根拠を示してはいるが、口調が悪いものなのどもある。議論すればいいのにと思うところを、否定し合い(否定試合?)にしているところもあるであろう(お互いに根拠を示しながら相手を否定し、口が悪いというパターンだ)。
どうして反対意見を出すのではなく、否定するのだろう?
前田が思いついた一つの答えは「相手に認知してもらいたいから」「相手に干渉したいから」。
というのも、否定という行為は、相手に印象を残すものだと前田は思うからだ。人間というのはバカにされたら頭にくるものだと思う。そして何に怒るかといえば、相手に対してだ(根拠がないなら尚更だろう)。怒るという行為は相手を認知しなければできない。つまり「バカにする」という行為は自分を認知させる行為、とも考えられるわけである。
では「否定」するというのはどういうことか?
相手の従来の考えを「ノー」というわけである。「お前の現状の考えはダメだ」ということだ。つまり「今の考えを捨てろ」とも取れる。これは相手への干渉だろう。
ところで「相手に認知してもらいたい」「相手に干渉したい」という関係というのは、何だろうか? 答えの一つとして「恋人関係」というのがあるのではないかと前田は思う。
以上の話を要約すると「ネット上の人々は互いに恋人関係になりたがっている」という結論に達する。そして「はてな匿名ダイアリー」に代表されるように「ネット上の人々」というのは匿名が多い。彼らは「誰か」という存在、つまり人間そのものと恋人になりたがっているのだ。人類愛というやつだ。
・好き嫌い
前田は上のような「小さなものごとを無駄にデカい概念と結びつける」という論理が好きである。飛躍とか必要条件・十分条件とかの問題はあるが、そこらへんは、まあ、いいや。
・創作文芸に関する幾つかの質問(残り)
幾つか前の記事で書いた「表情を如何にして書くか?」という質問に対する回答を。
表情を以って感情を表すということを考えてみる。この場合、表情だけでは不足だ。キャラの感情を書くならば、表情だけでなく他の動作なども必要になるというのが小説の定石である。「彼は笑顔を見せた」だけでは分からないと、そういうことだ。
その上で「表情のみを使って感情を表現するにはどうするか?」ということを考えてみる。これを目指す方法論の一つとして「表情の描写を強調する」というのが挙げられるのではないかと思う。具体的に言うならば「表情を写真に写したように描写するのではなく、顔の変化を書く」ということ。「彼は笑顔を見せた」だけではダメな理由というのは「複雑さの不足」と「印象に残らない」の二つがあるのではないだろうか、という予想から導いた方法論である。であるから、顔の動き・変化というものを書けば、その二つの理由を補えるのではないかと考えたわけだ。「彼女は涙を流した」と「彼女の眼に涙が溜まっていき、やがて、つぅ、と頬を流れた」の違いである。
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