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・媒体ほにゃらら
 某所の記事を受けて、媒体についてちょっと続ける。以前に似たような記事を書いたかどうかは記憶が曖昧である。

 物語の媒体として「小説」「ライトノベル」「マンガ」「映画」といったものが挙げられる。勿論他にもいろいろあるだろうけど、とりあえず四つ、文字の濃度順に並べた。小説は全て文字で書かれ、ライトノベルになると挿絵がつく。マンガだと絵に文字が入るというようになり、映画では文字がほとんど使われない。映像の濃度順だと逆になって、音楽の濃度となると映画以外は濃度ゼロだ。
 或る媒体AがAである由縁は、上記のような濃度にあると思う。メディアミックスという作業は、作品内にあるものの濃度を変更することであって、その際に「文字→絵」というような変換が必要になる。
 で、前田は「メディアミックスしにくい作品ほど完成度が高い」と思っている。つまり上記の変換が困難であるということ。出典が分からないのでよくないのだが、或る哲学者が「媒体を選ぶということ自体がメッセージだ」と言っていた。これは前田の考えを支持するものだと思う。また、例えを出すなら「簡単に言葉で伝えられてしまう絵画は、果たしていい絵画なのか?」。
 従って、創作に於いては「他の媒体では表現できないものを表現しようとする」という姿勢は重要であると思う。小説ならば「文字でしか書けないないものを書く」という意識。
 これは表現、つまり小説に於ける文章、マンガに於ける絵といったレベルだけでなく、演出やストーリィにも要求できることだろうと思う。代表例が叙述トリックだろう。これは映画では達成困難だと思う。そしてこのトリックが一つのジャンルにまでなっていることを考えると「変換が困難なもの」を発明するというのは、価値のあることだと思う。


・執筆
 卒論の中間発表前にして、執筆速度激減。しかし二葉亭四迷の「小説総論」で読んだことを(自分なりにでしかないが)解釈し、それを作品に反映することができたのは進歩だ。と思いたい。


・読書
「The Book/乙一」読了。面白かったが、トラックバックやってみようかなとか思い出したので、感想云々は後日。
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無題
「メディアはメッセージである」はマクルーハン理論だな。そして、マクルーハンは哲学者というよりは社会学者な気がする。メディア学の人だし。
Rufu 2007/12/16(Sun)01:10:30 編集
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