・執筆
現在取り掛かっている作品がものすげえ難産。あまりの進まなさ具合のために、誰かに言いたくなったのでここで「難産だぁ!」ということを言っておく。だけど面白いはずなんだ……。
・本屋大賞
ノミネート作品が発表されてた。
リンク>http://www.hontai.jp/
本屋大賞に挙がる作品は大抵が面白く、人に勧めやすい。しかし、mixiにてある人がこんな意見を述べていた。
「本屋が売りたい本じゃなくて、本屋がたくさん売った本にあげる賞になってしまっているじゃないか」
上のノミネート作品を見ても、確かになぁ、と思ってしまう。商売だから仕方がないといえば仕方ないのだけど、長期的に見たら「売れるべき作品なのに!」って作品が挙がってくれる方が良いのではなかろうか。既に売れている作品ばかりだと、そこから読者層が広がりにくいのでは? 新たな読者層を獲得するのは、まだ日の目を見ていない、しかし読書好きが選ぶような作品だと思うのだ。
個人的なことを言えば、古川日出男がノミネートされてほしい。「聖家族」は読んでる途中だけど、すげえぞ、あれ。
・読書
「GO/金城一紀」読了。
何故だろう。あまり感想が浮かばない。「大衆と個人を混同してはならない」ということを訓示のように思ったけど、それは小説の読みではない気がするし……。
とはいえ「大衆と個人が混同して扱われる」、つまり偏見というものを扱うのは「個人の事情」「現実の人間はワイドショーで扱われるような単純なものではない」ということを描くのに使われるひとつの技術だろう、とは思った。
現在取り掛かっている作品がものすげえ難産。あまりの進まなさ具合のために、誰かに言いたくなったのでここで「難産だぁ!」ということを言っておく。だけど面白いはずなんだ……。
・本屋大賞
ノミネート作品が発表されてた。
リンク>http://www.hontai.jp/
本屋大賞に挙がる作品は大抵が面白く、人に勧めやすい。しかし、mixiにてある人がこんな意見を述べていた。
「本屋が売りたい本じゃなくて、本屋がたくさん売った本にあげる賞になってしまっているじゃないか」
上のノミネート作品を見ても、確かになぁ、と思ってしまう。商売だから仕方がないといえば仕方ないのだけど、長期的に見たら「売れるべき作品なのに!」って作品が挙がってくれる方が良いのではなかろうか。既に売れている作品ばかりだと、そこから読者層が広がりにくいのでは? 新たな読者層を獲得するのは、まだ日の目を見ていない、しかし読書好きが選ぶような作品だと思うのだ。
個人的なことを言えば、古川日出男がノミネートされてほしい。「聖家族」は読んでる途中だけど、すげえぞ、あれ。
・読書
「GO/金城一紀」読了。
何故だろう。あまり感想が浮かばない。「大衆と個人を混同してはならない」ということを訓示のように思ったけど、それは小説の読みではない気がするし……。
とはいえ「大衆と個人が混同して扱われる」、つまり偏見というものを扱うのは「個人の事情」「現実の人間はワイドショーで扱われるような単純なものではない」ということを描くのに使われるひとつの技術だろう、とは思った。
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無題
難産か!無事生まれますように、なむなむ!
古川も、「ベルカ…」は入っていたんだね(昔)。本屋大賞は、本屋が、本が売れないといわれる今の時代に、「売りたい!」「薦めたい!」「面白かった!」本に賞を、そして売れる本を、というので選んでるから、なんともかんとも。まず本屋自身が読むかどうかだよね。そして上位十作品が選ばれて初めて、何が十作品に選ばれたかわかるから、「聖家族」も入っていたかもしれないけど、十作品には入ってなかった、というだけかもしれないし。うむ。
今回のノミネート作品を、残念ながら自分は読んでないのですが。
個人と大衆は、ミクロとマクロ? 同時には見えない(顕微鏡と裸眼の意味で)。ただ、個人であることと、何らかの団体やレッテルでひとくくりにされることに違和感を覚えたりはします。そういうことに気づいて、うまく折り合いをつけられない人は、きっと息苦しいのだろうなとも思います。
古川も、「ベルカ…」は入っていたんだね(昔)。本屋大賞は、本屋が、本が売れないといわれる今の時代に、「売りたい!」「薦めたい!」「面白かった!」本に賞を、そして売れる本を、というので選んでるから、なんともかんとも。まず本屋自身が読むかどうかだよね。そして上位十作品が選ばれて初めて、何が十作品に選ばれたかわかるから、「聖家族」も入っていたかもしれないけど、十作品には入ってなかった、というだけかもしれないし。うむ。
今回のノミネート作品を、残念ながら自分は読んでないのですが。
個人と大衆は、ミクロとマクロ? 同時には見えない(顕微鏡と裸眼の意味で)。ただ、個人であることと、何らかの団体やレッテルでひとくくりにされることに違和感を覚えたりはします。そういうことに気づいて、うまく折り合いをつけられない人は、きっと息苦しいのだろうなとも思います。