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 レメディオスの精神はゼロ歳の頃に戻っている。そう、ゼロ歳。あの年だ。あの1989年。レメディオスはあの1989年にゼロ歳だった。誕生した。母親の膣から頭を出して、臍の尾に捉えられていた。分娩台の上、熱した空気、巨大な扇を振る男。レメディオス、レメディオスは知りはしないが、その男は父親だ。レメディオスの身体は、いや、違う。身体ではない。レメディオスを構成するDNAの半分は、その男のものだ。だがレメディオスはそんなことを知りはしない。彼女が16歳になってDNAという概念を得るまで、自分の身体の、いたるところに父親の痕跡が確実に存在しているということ、この事実を知りはしない。
 だが、そのようなことは、どうでもいい。
 重要なのは別の場所にある。ゼロ歳のレメディオス、その肉体。そこではなく。もっと外側だ。この熱された空気の中にある。湿気を帯びた、レメディオスを取り巻いている様々な大人たちの皮膚に汗が浮かび、瞼に疲れが見え、それでも頬を上記させている大人たちを取り巻いている、この空気の中に。
 それは音と呼ばれている。
 レメディオス、レメディオス自身は知りはしないが、理解はしている。自分と世界の境界さえ分からない彼女でも、理解が可能だ。音いうもの。つまり空気の振動というもの。これに肌で触れて、彼女は理解に至っている。音とは何か? 耳以外の器官で、それから耳で受容したとしても、聴覚を除いた感覚で理解できるのだ。それは耳の奥、鼓膜を震わせる。だが、聴覚以外の感覚は聴覚の数よりも多い。そうだろう。視覚があり嗅覚があり味覚があり触覚がある。1対4の比率……多勢に無勢の感覚があるから、レメディオスにとって音とは聴覚と結ばれない。いや、結ばれにくい。
 例えば触覚で聞く。音は空気の振動だ。そうだろう? そこに圧力がある。圧縮された空気と希薄になった空気、その連続した分布が移動していく……これが振動だ。縦波と呼ばれる現象だ。それが、皮膚に、触れる。レメディオスの皮膚に。
 大人たちの皮膚にも触れる。触れてはいる。だが、誰も気づいていない。みんな鈍感だ。レメディオス、レメディオスの父親も、お前に名前を与えるために馳せ参じた神父も、ただの野次馬でしかない大人たちも、産婆も、それから、お前の名前を記録するために役所から派遣された役人、誰にも分からないレメディオスの未来を予言しようとする占い師。その誰もが、言葉を操ることに習熟した大人たちの誰もが、レメディオス、レメディオスと同じように音を感じない。彼らにとって音は耳から受容するものだ。
 しかし例外はいる。完全ではないが、しかし、似ている。ゼロ歳のレメディオスに。
 レベーカ。
 レベーカは四歳。レメディオスの四年前に生まれ、ゼロ歳のレメディオスと同じように臍の尾に捉えられながら、同じような熱気の、つまり、ゼロ歳のレメディオスの触れているものとは異なる空気の中で産まれた。レベーカもここにいる。ゼロ歳のレメディオスが産まれた瞬間を見ている。
 話を戻そう。振動だ。
 そうだ、レメディオスは産まれた。熱気の中で、それから、音を聞いた。聴いている。盛大な、まさに母親の腹の中では知りえなかった音が全身を包んでいる。
 違う。この表現は嘘だ。包んでいるのではない。
 泣いているのはレメディオスだ。
 レメディオス自身が音源になっている。音は彼女を包んでいる、これは確かだが、それだけではないのだ。喉の奥の奥の奥の奥の奥で泣き声が生じて、レメディオスの身体の中を駆け巡りながら口から飛び出している。だから包んではいない。そうだろう、レメディオスを、レメディオスの身体を内外問わず叩き続けるのが、音だ。空気の振動の形をして、レメディオスの五感全てをびりびりと刺す。刺して、レメディオスは泣く。泣けばいい。部屋の空気全てが泣き声になる。熱気は全て泣き声の吸収される。熱とは空気分子の振動だ。振動なのだ。
 思い出すか、レベーカ。ゼロ歳の頃の精神、産まれた直後の時間、それらを思い出すか、いや、甦らせるのか、レベーカ。まだ四歳で、言葉が獲得されてはいても習熟はしていない子ども、レベーカ。そうやって、感覚が思い出される。かつて自分が感じていたものだ。今はレメディオスが泣いている。そのときに泣いていたのはレベーカだ。
 レベーカは区別がつけられない。自分の感覚は、今、どこにいるのか?
 レベーカは泣いていない。しかし自分の中に感じられるものがある。思い切り泣いたときの内臓の振動がある。これは錯覚だ。しかし嘘ではない。フィクションとしてレベーカが泣いているのではなく、現実として彼女は泣いている。それと同じ状態にある。
 空気の振動がレベーカをゼロ歳に戻し、レメディオスがこの世に産まれた証拠としてレメディオス自身の中に振動の痕跡を刻む。五感は完全に動員されている。レベーカとレメディオスの全感覚は末端から核から末端まで全て同じものを感じている。
 赤ん坊の泣き声。
 大人たちは感じない。彼らはこう思っている。「赤ん坊が泣いている」。そう、泣いているには違いない。だが、大人たちにとっては泣いているだけに過ぎないのだ。静かに聞けば分かる。分かるだろう? 少し前の時間を思い出せば勘付けるはずだろう? さっきまで、レメディオスがこの世界に触れるほんの少し前まで、この部屋は暑かった。完全で完璧な夏の気温で、閉じられた部屋の湿気は空気中の水分をつまめそうなほどに飽和して、ノウトウゴ地方特有の土とクレソンとアルコールの混じった臭気があった。
 それが全て押し流されている。レメディオスの泣き声、その振動、圧力。熱気も湿気も臭気も、物凄い数の振動ととてつもなく高い圧力に押し流されている。この部屋を支配するのは泣き声なのだ。それ以外にない。
 感じ取れないか? ならば君はレメディオスではない。レベーカではない。
 しかしレベーカは感じ取れる。レメディオスは、さらに、もっと。
 レベーカの眼に涙が溜まり始める。泣くのだ。彼女もまた泣くのだ。ここの空気、窒素分子の集合体、酸素分子の集合体、二酸化炭素分子の集合体、その他諸々の希ガス原子の集合体に押されて……つまり五感を突き動かされて、悲しみなどという言葉とは全く無縁のものによってレベーカは眼に涙を溜めた挙句に零し、泣く。泣き喚く。彼女の中に、つまり肉体的な喉の奥の奥の奥の奥の奥の奥の奥に、泣き声が発生して、全身、つまり内外の肉全てを震わせながら泣く。泣き声はふたつになる。いよいよ空気の振動が部屋全体を支配する。レメディオスにとっての世界全てを支配した。
 レメディオスはゼロ歳で、この世界に産まれた。母親の腹の中は世界以前で、レベーカにとっても世界以前で、しかし、大人たちにとって胎内という概念だった。
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