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・マスコミ
リンク>「テレビが作る“民意”って何?大衆が誘導される今の時代」「報道の偏り…、胸くそが悪い」星野仙一氏が語る
 前田は政治については大衆なので、星野氏の主張は置いておく。
 思ったのが、付いているレス。批判的なものに、星野氏に対する批判が幾つも混じっている。主に、ダブルスタンダードとか何とか。しかしこの批評は意味がないというか、的が外れている。氏が過去に何を言っていようが、今回語った内容とは、何の関係もない。注目されているのは、今回提示された考えだからだ。
 批評・批判・意見の類は、「星野氏」にではなく「星野氏の記事」に対して述べるべきだと思う。そうでなければ、世の人間は反省が許されないことになってしまう。


・キャラクタ化
 んで、上記の項目繋がり。
 発言の内容に対して、発言者の過去にまで批評が及ぶという問題。ここに前田は「人物をキャラクタ化しようとする」動きが見えると感じた。
 キャラクタ化とはどういうことか?
 これは「価値を持った側面の肥大」を指す。つまりこういうこと。ある分野に於ける功績を持った人物に注目する際、注目する価値はその分野(側面)だけに限られているにも関わらず、他の分野(側面)に注目することである。上の星野氏の例でいえば「注目する価値のある側面=blogの記事」で「注目する価値のない側面=過去の発言」である。まあ、それ以前に、星野氏はキャラクタ化されているが。
 この「キャラクタ化」という現象は芸能人、スポーツ選手などの有名人全般に起きている。以前ここでも紹介したフィギュアスケート選手の飲酒運転もその類である。どうしてそんな部分に注目する必要があるのか? これが前田の持つマスコミに対する疑念の一つである。
 まあ、一概にキャラクタ化が悪いとは言えない部分もある。「よく考える人」の意見というのは、専門以外の分野でも鋭いものがあったりするからだ。だがあくまで「あったりする」という、可能性である。
 逆に最もダメなのは、専門分野に対して大したことのない意見しか言えない人間である。
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