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・マゼッパ
 超絶技巧練習曲の四番である。今聞いているが、やはりLisztは恐ろしいな。


・混ぜてみた
「こんなとき、どういう顔をすればいいか分からないもの……」
「それは君の自由だ」


・男汁
 やばい。森見登美彦のblogが面白すぎる。
リンク>この門をくぐる者は一切の高望みを捨てよ
 纏めて読んだ結果、思考に影響を受けてしまい、小説の執筆が停滞した。恐ろしい。


・フィクション宣言
「FICTION ZERO/NARRATIVE ZERO」という文芸誌が発行されていた。古川日出男が執筆人のリーダっぽく扱われていたので気になり、少し読んでみた。
 巻頭にあったのが、古川日出男による「フィクション宣言」だった。その内容は、「小説だとか文学だとか、ライトだとかヘビィだとか、そんなくくりはどうだっていい。全部フィクションだ。フィクションというところから俺たちは一斉にスタートする。無差別級だ」みたいな感じだった。
 前田は古川日出男作品が好きだが、本質的に何が好きかといえば、恐らく、上記のフィクション宣言のような精神だと感じた。


・リアル
 さて、本題はここからである。恐らく、今後前田が小説を書く限りつき纏う問題だ。それが「リアリティとは?」。当blogでもたびたびこの題材を「読書」の項で取り上げている。岸部露伴は「リアリティこそが最高のエンタテイメントだ」といった。この言葉の意味を、作家は真剣に考えなければならないと、前田は感じている。
 まずは言葉を分解する。リアリティに似た音の単語に「リアル」がある。このリアルの意味を定義する。
「リアル=現実を再現すること」
 現実を定義しなければリアルの定義も成立しないので、ここでいう現実も定義しておく。
「現実=作品外の世界」
 ここでいう作品とは、その小説、その漫画、その映画、そのドラマ、ということ。通常は、現実とは、我々の世界である(なんとも抽象的だが、通じるだろうか? そもそも、現実という言葉は感覚的に捉えればいいと思うので、この定義にはあまり意味がないかもしれない)。
 つまり、リアルとは、どれだけ現実と同じかを表す形容詞として定義される。例えば、警察小説を書く際に警察機構のことを調べなければならないのは「リアルな警察」を書くためだ。資料漁りは、基本的に、このリアルを追求するために行われるものだと思う。
 このように定義すると、例えば次のようなことがいえるだろう。
「ファンタジィはリアルではない」「S.F.はリアルではない」「ホラーはリアルではない」
 このことから解るように、リアルさは、作品の面白さと直結しない。
(続く)
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