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・シガーキス
 本日、この名詞を知った。なるほど、非常に解り易い。


・犯罪
 日本の犯罪者の90%超は「A」を日常的に観ている。また、刑務所では「A」の観賞を制限している。つまり「A」が原因となって犯罪を起こしているのだと考えられる。よって、「A」は根絶されるべきである。
「A」とは何か? 答えはテレビのコンテンツ。
 この考えは明らかにおかしいよね。


・ジェネレータ
 某所の記事を受けて、考えてみた。
 製作法が簡単化されると、生み出されるものの質は落ちる。多分、これは本当の話だと思う。
 理由は「オリジナルの価値」にある。オリジナルの功績とは、最初にそれをやった(作った)ということである。目新しく(かつ面白い)となれば、多数の人間はこれに飛びつく。そして一部の人間が「模倣」を始める。「オリジナル」の何を採用するかということにもよるが、「模倣」も面白くなれる。「模倣」するにしても、それには工夫や試行錯誤が必要だ。つまり別のオリジナルを付加する必要がある。
 ところが、この「模倣」の方法論が非常に簡単化されるとどうなるか? 言い換えれば、誰でも「模倣」できるようになるとどうなるか? 答えは単純で、大量に作られる。みんな「オリジナル」を面白いと思っているから、自分の「模倣(コピィ)」も面白いと思ってしまうのだ。だから、作られる。しかし実際には、そこに「オリジナル」のような価値はない。多少の改変によってコピィした人間のオリジナルは付加されるが、それは非常に弱い(だから誰でも作れる)。従って、面白くない。
 このことに気づけない大衆は多量の「コピィ」を作り出す。すると「オリジナル」から生まれたジャンルにあるコンテンツが薄まる。面白い作品も存在するが、それよりもつまらない作品の方が圧倒的に多い、という状態になるということ。
 具体的な例で解り易いのが2chの「コピペ」やニコニコ動画の「歌ってみた」などだろう。どちらも最初にやった人(コンテンツ)が最も凄い。真似される殆どのものはつまらない。どちらも簡単に真似できるし、コピペは事実ジェネレータが存在するものもある。
 小説でもジェネレータに近いものは存在する。ロラン・バルトの「物語の構造分析」がその一つのようだ。
 以下はかなり憶測である。
 小説は多分に筆者のオリジナルが入り込み、誰にでも書けるというものではないから、このようなジェネレータで面白いものを書くことは可能だろう。しかしそのような小説は名作にカウントされないのではないだろうか? 一時期、日本のミステリ会では松本清張の登場により、社会派ミステリが大ブームとなった。多量の社会派ミステリが書かれたが、果たして、未だに読まれる社会派ミステリ作家は、清張以外に誰かいるのだろうか? 前田は謙遜でも何でもなく寡聞なので知らない。


・読書
「地球儀のスライス/森 博嗣」を読んでいる。短編集。何度目かは既に憶えていない。執筆に対する感覚が鈍ると、前田はこれを読むことにしている。
 そんなわけで「文鳥・夢十夜/夏目漱石」と「河童・或阿呆の一生/芥川龍之介」が途中で止まってしまった。
 理由は他にもあって、単純に、解らん。特に前者の「永日小品」が難しい。日常すぎる。保坂みたいにすらすらと気持ちよく読める文章でもないし。困った。
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逆から読めば?
「スキーがシ」

じゃなくて。
良いね、シガーキス。
今日の日記に書くかもしれない。
kisa 2007/08/26(Sun)18:54:51 編集
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