忍者ブログ
[207] [206] [205] [204] [203] [202] [201] [200] [199] [198] [197]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

・workshop
 今月の17日から物理学の研究会に参加している。結構大きな規模の研究会で、使う施設もでかい。
 んで、そこでの発表を聞いていて(聞くっていっても、本当に音が耳を通るだけ、ってレベルなんだが)思ったことがひとつ。
「俺、この部屋の中で間違いなく一番頭悪い」
 一部屋で五十人くらいはいるだろうか。更に、他の部屋でもやってるから、要は今回集まった人間の中で、俺が一番頭が悪いのだ。
 周りにいるのは物理で飯を食っている人たちばかりだから、まあ間違いなく事実だろう。学生もいるけれど、ドクタだったり。院生もいたが、話をしてみるとやっぱり向こうの方が物理を考えてる。
 で、この事実が俺を凹ませたか、というとそうではなくて、寧ろ少し面白かった。何せ、ある程度の規模の集団に属したとき、自分がその中で(良い悪い関係なく)一番だと確信できるような事態には、そうそうならない。
 この、自分が一番であるという確信が、なかなか面白かった。


・読書
「箱男/安倍公房」読了。
 今の前田は「細部の文章が面白かった」としかいえない。
 で、何故細部の文章が面白かったのか。答えは「小説の自由/保坂和志」を読んでいるから。保坂和志による小説論。前田はこれが四冊目になるんだっけな。
 読んだ範囲でも最も印象に残っている文句は「小説は読んでいる時間の中にしかない」。この言葉自体は今までも保坂和志が書いているのを何度も眼にしたことがあるが、その内容については今作「小説の自由」を読んで初めて知った。つまり、
「小説の肝は読者の五感や思考を動かすことにあって、その動きというのは読んでいる最中にしか起こらない。小説は言葉で書かれたものだから、例えばストーリーなどを、要約して言葉で他人に伝えることは可能だが、言葉という抽象化された情報による五感・思考の動きは、伝えられない。言うなれば、絵画や音楽と同じである」
 ということ(括弧の中は引用ではなく、前田による解釈である)。ここから小説の朗読について思考を伸ばすことができるはずだ。
PR
この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
この記事へのトラックバック
この記事にトラックバックする:
忍者ブログ [PR]