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・同時進行
 歌いながら文章を書くということをやってみた。曲は歌詞を全て憶えているもので、文章を書くというのは既存の文章を写し取るということである。個別にやれば難しくも何ともないが、同時にやるだけでかなり難易度が上がる。
 ポイントは、少なくとも前田は違うことを同時に思考できないという点。歌と文章を頭の中で細かく切り替えながらやっていくと、何とか、できないことはない(それでも歌詞をミスったり打ち間違いをしたりする)。
 普段しないような思考法だったので、なかなか面白かった。ギターボーカルの人は、要はこういうことをミスなしでやっているんだろう。恐るべし。


・読書
「百合/川端康成」読了。「掌の小説」に入っている掌編のひとつ。今作が衝撃的に面白かったので買った。
 この作品にも比喩でないということの面白さが詰まっている。最後の一文がそれで、比喩と捉えてしまうと面白さが半減してしまうような気がする。その意味で今作は非常に映像的だ(主人公の行為に視覚的な描写が多いのは伏線の一種なのか?)。
 非常に短いがストーリーとしてきっちり起承転結をつけているのも面白かった。ちゃんと起伏がある。
 あと、前回の記事と繋がってくる(気がする)ことがひとつ。「小説家になる!/中条省平」では感情の相対化が文学の基本だというように書かれていた。しかし今作は相対化されていないようだ。語り口こそ淡々とした三人称であるが、主人公からの視点しかなく、相対化はされていない。
 相対化されていないということが、それはそれで面白かった。しかし「比喩ではない」という面白さとやや競合しているようにも見える。つまり「主人公からの視点しかない」ことによって「比喩の可能性が生まれてしまう」のではないか? 非相対的ということと比喩でないということが個別に読むと面白いが、纏めて考えると面白さが減ってしまうという不思議。前田が同じような掌編を書くならば、この辺りを改善したい。
 ということで、書くことにする。
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