純愛に対するコメントがこんなに多いのは何故なんだ……?
・コメント返信
>紫苑
綺麗な恋愛と限らないというのは、確かにそんな気がする。綺麗という言葉の意味することにも拠るだろうけど、当人たち以外に波及しない恋愛ってのもあまりなさそうだし。
客観・主観の違いというのは面白いな。自分自身の感情に「純粋」なんてきれいな形容詞をつけるのも、何か気持ち悪いしなぁ。
「穢れや汚れを知らない」云々、つまり全ての純愛はいずれ恋愛になるということでOK?
ところで敬称をどうすりゃいいか悩んだ結果、略してみたぜ。
>theetaさん
なんと美しい解釈……! つまり「金のみが目当て」の場合も純愛ですね?(論理の穴を突いたところで議論は発展しないという好例のようなレスである)
泣かせる作品、というのは確かに印象としてありますな。純愛で「みんなハッピー!」は想像し難いというか。
・純愛に対抗できるのはこの分野しかないのか?
女医さんがミニスカだった。
・読書
「その街の今は/柴崎友香」を読んでいる。小説を読むのは久々ではないだろうか。そして、久々の当たり。
前田は文学を読むとき、その作品の中から面白さを「掘り出して」楽しむことが多かった。しかしこの作品の場合は、すぐに面白さを見つけられた。がんばって掘り出さなくてもよかったのだ。この感覚が実に久々だった。文学はやっぱり娯楽なのだという実感を持てる。
もちろん今前田が見つけている面白さがこの小説の肝かどうかは不明だけれど。不明だが、恐らく違うのではないかと予想する。というのも、前田が今作に見た面白さを一言で表すと「時間」になってしまうからだ(最近の前田の興味が時間にあるために、作品を読む度時間に着目してしまう云々と、以前の記事で書いた記憶がある)。
今作は特に「過去」に着目していて、それが文章ひとつひとつにまで浸透している。前田は「過去」を扱う作品として「聖家族/古川日出男」や「みみをすます/谷川俊太郎」などを過去の記事で挙げた記憶がある。だが今作は(当たり前といえば当たり前のことだが)そのいずれとも印象が違う。もっとずっと「過去」が軽い。印象として「軽いもの」に感じられる。これはきっと、描かれる時間の厚みを原因のひとつとしている。「聖家族」も「みみをすます」もそこにある「過去」は時間の集積(時間の圧縮)を伴って描かれ、とても重いものだった。今作では時間の集積がないために(ありはするが積もる速度が小さいため)、薄く、軽く感じる。
そうやって生まれる薄さ、軽さが、実に心地よい。この居心地の良さ、前田にとっては「プレーンソング/保坂和志」よりも好きだ。
前評判も聞かずにテキトーに手にとった小説だったけど、買ってよかった。
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>紫苑
綺麗な恋愛と限らないというのは、確かにそんな気がする。綺麗という言葉の意味することにも拠るだろうけど、当人たち以外に波及しない恋愛ってのもあまりなさそうだし。
客観・主観の違いというのは面白いな。自分自身の感情に「純粋」なんてきれいな形容詞をつけるのも、何か気持ち悪いしなぁ。
「穢れや汚れを知らない」云々、つまり全ての純愛はいずれ恋愛になるということでOK?
ところで敬称をどうすりゃいいか悩んだ結果、略してみたぜ。
>theetaさん
なんと美しい解釈……! つまり「金のみが目当て」の場合も純愛ですね?(論理の穴を突いたところで議論は発展しないという好例のようなレスである)
泣かせる作品、というのは確かに印象としてありますな。純愛で「みんなハッピー!」は想像し難いというか。
・純愛に対抗できるのはこの分野しかないのか?
女医さんがミニスカだった。
・読書
「その街の今は/柴崎友香」を読んでいる。小説を読むのは久々ではないだろうか。そして、久々の当たり。
前田は文学を読むとき、その作品の中から面白さを「掘り出して」楽しむことが多かった。しかしこの作品の場合は、すぐに面白さを見つけられた。がんばって掘り出さなくてもよかったのだ。この感覚が実に久々だった。文学はやっぱり娯楽なのだという実感を持てる。
もちろん今前田が見つけている面白さがこの小説の肝かどうかは不明だけれど。不明だが、恐らく違うのではないかと予想する。というのも、前田が今作に見た面白さを一言で表すと「時間」になってしまうからだ(最近の前田の興味が時間にあるために、作品を読む度時間に着目してしまう云々と、以前の記事で書いた記憶がある)。
今作は特に「過去」に着目していて、それが文章ひとつひとつにまで浸透している。前田は「過去」を扱う作品として「聖家族/古川日出男」や「みみをすます/谷川俊太郎」などを過去の記事で挙げた記憶がある。だが今作は(当たり前といえば当たり前のことだが)そのいずれとも印象が違う。もっとずっと「過去」が軽い。印象として「軽いもの」に感じられる。これはきっと、描かれる時間の厚みを原因のひとつとしている。「聖家族」も「みみをすます」もそこにある「過去」は時間の集積(時間の圧縮)を伴って描かれ、とても重いものだった。今作では時間の集積がないために(ありはするが積もる速度が小さいため)、薄く、軽く感じる。
そうやって生まれる薄さ、軽さが、実に心地よい。この居心地の良さ、前田にとっては「プレーンソング/保坂和志」よりも好きだ。
前評判も聞かずにテキトーに手にとった小説だったけど、買ってよかった。
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