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・ついに!
 小説の執筆最中に「面白いとは一体何だ?」という疑問が、自分の中から湧いた。多分、初めてのことだ。記念にblogを更新する。
 尤も、この疑問を得たからといって執筆がスムーズになるわけではないし、作品が面白くなる保証もない。
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・リンク
 月迷風華を追加。
 追加するときになって、同じ忍blogだと気づいた。


・マッチング
 言語について考えるとき、コミュニケーションの道具としての側面を除くわけにはいかない。しかしコミュニケーションを成立させるのは言語だけではない。アイコンタクトに代表されるような方法だってある。
 コミュニケーションの道具としての側面、と書いたが、自分の使う言語というのはコミュニケーション以外の側面がないことに気づく。そこで逆に、コミュニケーション足りえるものを言語と定義すると、様々な行動が言語になり得る。
「動物、植物は行動そのものが思考だった。人間だけが言語によって思考と行動を別のものにしてしまった」というようなことを言っていた人がいるような気がしている。誰だったか……。
・読書
「小説の誕生/保坂和志」を読んでいる。小説論。
 この本に限らず保坂和志は「小説というのは読んでいる間にしかない」「小説で大切なのは現前性だ」ということ言っている。これを例えば保坂は「小説は五感を動因して読むものであり、読んでいない間はそういった五感の動きがない。だから小説は読んでいる間にしかない」といった言葉などで説明している。
 前田はこの現前性がどういうものなのか解っていなかったのだが、つい昨日、気づいた。
「小説の誕生」のあるページを読んだ後、同じページを‘読まずに見直す’と、そのページが記憶にあるものと違っている! このページ、さっきはこんな色をしていなかった!
 昨日何やら不具合がどうとか書いたが、直った。これが十月の力だ。だからといって更新頻度が上がるかといったらそういうわけでもないんだが……。

・音楽と言葉の意味
 これは前田の個人的な音楽の聞き方の歴史なのだが、昔は歌詞の意味が重要だった(bump of chickenを聞いていた)。それからしばらくして、BOCほどには歌詞を重視しなくなった(the pillowsを聞いていた)。その後、具体的でない、抽象的な歌詞を好むようになった(ACIDMANを聞いていた)。現在は歌詞の意味ではなくて言葉の音としての側面が重要になっている(凛として時雨を聞いている)。
 この「言葉のどの側面を重視するか?」の変遷が前田の小説の好みにも対応していくとしたら、これは面白いことだ。
謎の不具合により非常に更新し辛い状況になっているため更新は滞るのだ。
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