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・コメント返信
>kisaさん
 しかし実際には、共同研究者の人がBrainで、俺自身は手足に過ぎなかったりする。


・磯崎憲一郎
 今期の芥川賞である。氏が始めて小説を書いたのは六年前。デビューは今から二年前。すごい。
 最近、目につく小説家が影響を受けた小説家としてガルシア・マルケスと小島信夫の名が多いような気がしている前田であった。


・ミッシェル
 thee michelle gun elephantのギタリスト、アベフトシが亡くなった。
 前田はファンではなく、音楽も聴いたことがなかったが、michelle gun elephantというバンドの名だけは知っていて、名前だけでも知られているという事実からとてもすごいバンドだったのだろうと想像する。
 死に方ではなく、何かをなして沢山の人の記憶に残った人の死というのは、怖くなるくらいカッコいいと前田は思うのだ。そしてその死のカッコよさは紛れも泣く当人のカッコよさである。身体感覚を伴う何か、ロックミュージシャンであるならばライブ映像、そういうものが残っているとなおさらである。
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・新劇場版エヴァのネタバレ
 スタッフロールにKEKがあってビビった。
(KEKとは、高エネルギー加速器研究機構というつくばにある物理学の研究所である! 高エネルギー物理学、加速器研究について日本を代表する研究所であり、ノーベル物理学賞を受賞した小林誠氏はKEKの名誉教授である! 前田も修士の研究で非常にお世話になっている! 何度も出張した! エヴァの作製にあたってどう関わったのかは全く分からない!)
 あと、筑波大学の人文学類の准教授もいた。


・空想生物
 スカイ・クロラもそうだけど、エースコンバットとか、戦闘機/戦闘機乗りがカッコいいと思う。だけど実際に戦闘機がこの世にあることはいいことなのかといったらそんなことはないわけで、けどフィクションでのカッコよさを考えるとないというのもそれはそれで残念なものがある。
 戦闘機に限らず戦争に関わるもの、命のやりとりをする闘争に関わるもののカッコよさというのは、できればフィクションの中だけであって欲しく、そのような意味で「(例えば)戦闘機が生きていていいのはフィクションの中だけだ」。そんな戦闘機がフィクションに登場してカッコいいかどうかという問題は置いておく。
 純愛に対するコメントがこんなに多いのは何故なんだ……?

・コメント返信
>紫苑
 綺麗な恋愛と限らないというのは、確かにそんな気がする。綺麗という言葉の意味することにも拠るだろうけど、当人たち以外に波及しない恋愛ってのもあまりなさそうだし。
 客観・主観の違いというのは面白いな。自分自身の感情に「純粋」なんてきれいな形容詞をつけるのも、何か気持ち悪いしなぁ。
「穢れや汚れを知らない」云々、つまり全ての純愛はいずれ恋愛になるということでOK?

 ところで敬称をどうすりゃいいか悩んだ結果、略してみたぜ。

>theetaさん
 なんと美しい解釈……! つまり「金のみが目当て」の場合も純愛ですね?(論理の穴を突いたところで議論は発展しないという好例のようなレスである)
 泣かせる作品、というのは確かに印象としてありますな。純愛で「みんなハッピー!」は想像し難いというか。


・純愛に対抗できるのはこの分野しかないのか?
 女医さんがミニスカだった。


・読書
「その街の今は/柴崎友香」を読んでいる。小説を読むのは久々ではないだろうか。そして、久々の当たり。
 前田は文学を読むとき、その作品の中から面白さを「掘り出して」楽しむことが多かった。しかしこの作品の場合は、すぐに面白さを見つけられた。がんばって掘り出さなくてもよかったのだ。この感覚が実に久々だった。文学はやっぱり娯楽なのだという実感を持てる。
 もちろん今前田が見つけている面白さがこの小説の肝かどうかは不明だけれど。不明だが、恐らく違うのではないかと予想する。というのも、前田が今作に見た面白さを一言で表すと「時間」になってしまうからだ(最近の前田の興味が時間にあるために、作品を読む度時間に着目してしまう云々と、以前の記事で書いた記憶がある)。
 今作は特に「過去」に着目していて、それが文章ひとつひとつにまで浸透している。前田は「過去」を扱う作品として「聖家族/古川日出男」や「みみをすます/谷川俊太郎」などを過去の記事で挙げた記憶がある。だが今作は(当たり前といえば当たり前のことだが)そのいずれとも印象が違う。もっとずっと「過去」が軽い。印象として「軽いもの」に感じられる。これはきっと、描かれる時間の厚みを原因のひとつとしている。「聖家族」も「みみをすます」もそこにある「過去」は時間の集積(時間の圧縮)を伴って描かれ、とても重いものだった。今作では時間の集積がないために(ありはするが積もる速度が小さいため)、薄く、軽く感じる。
 そうやって生まれる薄さ、軽さが、実に心地よい。この居心地の良さ、前田にとっては「プレーンソング/保坂和志」よりも好きだ。
 前評判も聞かずにテキトーに手にとった小説だったけど、買ってよかった。
・読書
「文学なんかこわくない/高橋源一郎」を読んで文学がこわくなった。どうしてくれる。(答え:どうもしません)
 あと2009年夏季号の文藝に載ってる穂村弘と谷川俊太郎の対談を読んで、やっぱりこわくなった。どうしてくれる。(答え:どうもしません)
 両者に共通すること、前田のこわくなったポイントは「正しい/正しくない」ということ。文学の正しさ。詩の正しさ。
 正しいってなにさ。正しい、正しくないということが文芸にもあるのか? あるのだろう。この正しさ、科学と同じ正しさではなく、政治の場の正しさと同じような気配がする。それがこわい。ギャー!

 ところで今期の文藝の目次を見ると、書評に「世紀の発見/磯崎憲一郎」が取り上げられていた。書評の著者は……佐々木中。保坂和志のwebサイトの掲示板を覗いている自分としては、強烈な組み合わせであった。
・妄言の類
 なんか無駄なこと書きてえ。とはいえ、実際に何か書くことがあるわけでもなく、こうして無駄にバイト数を消費するのみで、なるほど、これが無駄か。とか思う。本当に無駄になるなのは容量ではなく時間である。
 例えば今日の記事タイトルに鯖という単語を入れているが、これに意味はない。理由はよく分からないが、前田にとって鯖というのは意味がないことを象徴する言葉であるような気がするのだ。


・読書
「夜戦と永遠/佐々木中」を読み始めた。購入に協力してくれた後輩に感謝。
 保坂和志が自身の掲示板で「すごいすごい」と言っていたので、中身もよく知らないまま買ってみた。どうやら哲学、精神分析に関する本、らしい。副題にラカン、フーコー、ルジャンドルとあるから、そうなのだろう(しかしフーコーもルジャンドルも物理でよく聞く名前である。無論、この本で述べられている人とは別人だ)まだ良く分からないが。
 とりあえず序文を読んだが、ここだけでもう見事なことが書いてあった。何かというと「書くことの効果」とでも言うべきか。「最初から書かれるべきことが完全に頭の中に合ってそれを出力するだけならば、書く意味はない」というような感じのことが書かれていた。この辺りも、保坂和志が薦めている理由の一端なのかもしれない。
 さて、前田はいつになったらこの本を読み終わるのか。かなり苦戦する予感。
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