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・webマンガ
「みかこさん/今日マチ子」が面白い。
リンク>みかこさん
 今日マチ子のマンガ以外に、これほど魅力的な、直接的な言葉を使わない感情表現を、前田は寡読にして知らない。


・立教大学
 旧江戸川乱歩邸があるということを知る。行ってきます。


・読書
「厭魅の如き憑くもの/三津田信三」読了。刀城言耶シリーズ。このシリーズのタイトルは前田の好みである。
 ホラーなのかミステリなのか判然としない、というような評価をどこかで聞いたが、納得。ホラー的・民俗学的な要素でデコレーションされて、ミステリ小説らしさを感じられない、という印象を受けた。
 自分の感覚としてはかなり読みにくい小説だった。物語の動かなさ、過剰に感じられるほどの民俗学の話と状況描写がその原因だろう。文章も下手に思える点が多かった(リアリティとしては「読書を小説世界に連れ込む」タイプではないように思える)。しかしこれら「読みにくさ」は単なる欠点ではなく、意味のあるものとしても機能している。欠点を逆手に取っている、というようなものか。
 この「欠点を逆手に取る」ような小説は面白くなる、と前田は今まで考えていたが、必ずしもそうではないようだ(当然といえば当然のことなのだけど)。いや、この作品は実際に高い評価を受けているらしいが、前田にとってはあまり面白くなかったということ(面白くなかった理由は、保坂和志の挙げるストーリーの欠点にあるだろうと思った)。前田も「欠点を逆手に取った」小説のアイデアを得たときは、アイデアに浮かれて肝心の面白さを疎かにしないよう、注意しなければならない。

 あと、どうにも前田は頭が固いような気がした。これが京極堂シリーズならきっと楽しめただろうと思ったからだ。前田には憑き物落としが必要なのか?
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・キャスト
 キャラ萌えという考えが小説の分野にある。これに対して、キャスト萌えというのはないように思えた。テレビドラマや映画だと当たり前になっているだろう。○○が主演だから観る、という具合である。
 小説でこのキャスト萌えを狙うことは可能かどうか。可能だと思うのだが……。


・読書
「ルート350/古川日出男」読了。
「鴨川ホルモー/万城目学」読了。
「僕たちは歩かない/古川日出男」読了。
・感想を言うだけ
 最近「9mm Parabellum Bullet」を聴き始めた。「凛として時雨」みたいに強烈な声をしている、というわけでは全然ないのだけど、何だか気に入った。曲とか演奏面が良かったのだろうか。
 ライブ映像を見ているとメンバが実に楽しんでいるように見えて、こちらも楽しくなってくる。


・読書だが新書
「フォト・ジャーナリストの眼/長倉洋海」を読んだ。著者はフォト・ジャーナリストで、内紛の起きている国に行って人々の写真を撮っているようだ。
 以前にも「マクロとミクロ」云々の話をこのblogに書いたが、この手の本を読んでもやはり同様のことを思ったりもする。全体を見たときと、個人個人を見た場合とは、やはり違うのだ。
 中東の紛争の問題は複雑だとよく言われるようだが、本書を読んで思ったのは、対立の原因は複雑だが先ず行うべき対処はシンプルなはずだ、ということ。問題なのは、弱い人たちが虐げられていることだけだと思うのだ。格差社会も凄まじい。
 ノンフィクションというジャンルの凄さというのはまさに「現実に起きていることを提示する」ということで、フィクションではこれを真似できないような気がする。


・読書
「さようなら、ギャングたち/高橋源一郎」読了。またもや高橋源一郎。
「ジョン・レノン対火星人」の元になった小説が「こんなの長編小説じゃない」という評価を受けて、今作で高橋源一郎は群像新人賞を取った。ということらしいが、パッと読んだ限り、今作の方が長編小説に見えない。詩と言われた方がとっつきやすいくらいだった。
 毎度のことながら訳が分からない!というのではなく、今回は少し思うところがあった。高橋源一郎を読むときの混乱の元は、前田の場合、何かの暗喩としか思えない登場人物(?)にある。例えば今作なら「名前」が出てきたりする。登場人物には名前があるということじゃなくて「名前」が登場するのである。
 そんな登場人物(?)を比喩と捉えずに読んでいくと、小説全体は何を表していることになるのか? 今まで高橋源一郎の小説はその点が難しかったが、今作はひとつの回答を見つけた気がする。
 つまり、この小説は「小説を書いていく過程」そのものなのではないか? 小説を書いている作者の状態を追ったものなのではないか?
 もしそうだとすれば、今作の内容をトレースしていくようにして小説を書けるはずである。ということで、いずれ試してみたいと思った。
・コメント返信
>emptyさん
 確かに神林長平はまだ二冊しか読んでません。もっと言えば、SFを読むのが珍しいわけですが。
「今更」だと感じるときは、前田はその程度の書き手でしかない、と認識するのが正解でしょう。

>Rufuさん
「はてしない物語」ですか。ミヒャエル・エンデはまだ手を付けていなかったことですし、今度読んで見ます。
 そして『箱男』。その視点人物はついぞ想像したことがありませんでした(二人称小説は知っていますが、その観点では捉えていませんでしたし)。「真実性を保証しなくてよい」テクストというのも。
 かなり興味深いです。こちらも読んでみることにします。前田のリアリティ考察にかなり役立ちそうな予感。感謝。


・古書店
 電車が来るまでの待ち時間に古書店によって本を漁ってたら、「ルート350/古川日出男」のハードカバーを発見。
 前田は生きている作家、特に気に入っている作家は可能な限り新品で買うことにしている。しかし手が伸びてしまうというもので、値段を確認しつつ冒頭だけ立ち読みしようとページを捲った。
 サイン入りでした。購入。


・読書
「優雅で感傷的な日本野球/高橋源一郎」読了。
 もう……何だこれは? 何なの?
 高橋源一郎は「パンク侍、斬られて候/町田 康」の解説で「何なんだこれは……。ふざけているのか?」と書いていたが、当人にも言いたい。
「何なんだこれは……。ふざけているのか?」
 もちろん著者はふざけているわけではないだろう。大真面目にこういう文学に挑戦しているに違いない。しかし前田には分からん。この作品の文学性って何だ? なんで三島賞を獲れたんだ? あとがきに作品の狙いが書かれてはいたが……その狙いが達成されているのかどうかも分からん。
 内容は、まあ確かに日本野球がよく出てくる。悩む選手も登場する。けどそれが何だというのか。野球と見せかけた、いや、見せかける気すらないくらい、野球以外の何かを描いている小説だ。しかしその何かが分からない。今の前田ではどのシーンを切り取ってきても「わけが分からん」という感想になってしまう。

 前田は、高橋源一郎の小説はまだ「ジョン・レノン対火星人」と「優雅で感傷的な日本野球」しか読んでいない。しかしこの二点に共通する事柄として「まるで演劇を観ているような印象を受ける小説である」ことが挙げられる(当たり前だがこれは前田の受け取った印象で、他の人はまた違った印象を受けることもあるだろう)。様々な舞台をころころ行き交う構成であるとか、会話文が多いことなどがその原因だろう。
・日記
 就活兼春休みにより帰省。


・読書
「永久帰還装置/神林長平」を読んでいる。途中だが「現実」云々という題材を扱っていて、なかなか興味深い。

 非常に当たり前のことなんだが、フィクションというのは嘘である。マンガだろうが演劇だろうが小説だろうが(基本的に)嘘だ。
 さて、その嘘の中で嘘をつくこともできる。作中作というやつだ。一昔前に流行った感のある仮想現実も、嘘の一種だろう。
 問題にしたいのは「虚構」についてである。虚構があれば対義語として「現実」も出てくる。現実であるということ、虚構であるということ。これを虚構であるフィクション内に登場させることの意味は何なのか?
「永久帰還装置」だと、前田の場合は、現実云々の題材が扱われることで、メタな視点に立たされた。「この物語の中で、前田が読んでいるこの小説が取り扱われているんじゃないか?」と思った、ということである。
 このように、メタな視点に立つということ。読者の小説に対する扱いが変わるということ。これは、以前に前田がこのblogで述べた「リアリティ」の問題に直結する(というか、同じである)。
 相変わらず前田は「リアリティの開発」が文学の目指す道だと考えているので(というか、前田がそういう文学を書きたいと思っているだけだが)、メタな視点に立たせるという「現実」は考察の対象として興味深い。
「虚構」「嘘」「作中作」も同様だ。これらは仕掛けや設定として簡単に扱うこともできるが、それ以上に重要な意味があるのではないかと思うわけである。

 もうひとつ、「永久帰還装置」の感想だが、「キャラ萌え」というのは言い換えれば「感情萌え」なのか、と思った。キャラというと直感的によく分からないが、感情というと直感的に分かる気がする。少なくとも前田にとっては。

 あと一般に「マンガとか小説にはリアリティが必要だ」ということが言われていると思うが(このリアリティというのは、上で前田の言っている「リアリティ」とは違う)、本当に必要なのはリアリティ=現実味ではなくて、説得力なんじゃないだろうか。リアリティも説得力も同じ意味だって言われたら「そうなんですか」と言うしかないけど。
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