忍者ブログ
[16] [17] [18] [19] [20] [21] [22] [23] [24] [25] [26]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

・コメント返信
>kisaさん
 こちらこそ誘ってくれて感謝。きっと創作の役に立つと思う。


・読書
「大東京三十五区 夭都七事件/物集高音」読了。同シリーズの 「冥都七事件」が面白かったので、続編であるこちらも読んでみた。昭和初期の東京を舞台にし、奇ッ怪な事件の絵解きをしていくという連作短編。解説によると、一編書くのに、相当に文献を漁らないとならないのだとか。それくらい時代考証がしっかりしているということだろう。
 文体の面白さが凄い。しかしそれは前作と同様であって、残念ながら自分は、文体以外の面白さを見つけることができなかった。これはトリックの出来を評価できない、というのが大きいのだと思う。前田はミステリを好んで読みはするが、トリックに面白さの焦点を殆ど当てない。だから連作短編ミステリの同シリーズを幾つも読むと飽きてしまうのだろう。今作も、その飽きが来てしまった。

 もうひとつ「サクリファイス/近藤史恵」読了。自転車ロードレースを題材にした作品。ミステリ作品であるということが宣伝文句に使われていたと思う。
 ロードレースを題材にしているということで、レースをどうやって小説で描写するのか、この辺りに期待したのだが、外れてしまった。ロードレースのルールや、順位なんかの状況は分かる(書いている)のだけど、レースにおける感覚のようなもの、つまり「読者がレースを体験しているように感じられる」というリアリティを目指す文章ではなかった。良い悪いではなくて、前田の期待した方向の作品ではなかったということ。
 ただ、心理描写からテーマの達成にいたるプロセスは丁寧で、お手本のような印象を受けた。タイトルも上手い。
 総じて、前田の感想としては、佳作。伏線の張り方が一部あからさまだと思うが、さして問題ではないだろう。
PR
・日記
 明日、帰省の予定である。


・オーケストラ
 大学の交響楽団の定期演奏会を聴きに行った。クラシックのコンサートに行ったのは初めてではないが、初めて気づいたのは、文学を考えることができる、ということ。前田だけの話かも知れないし、実際には文学ではなくて、文学に繋がる何らかを考えているだけかもしれない。指揮者の価値とか、人数の多さとか、そのあたり前田にとって考察の余地が十分にあった。
 しかし考察といいつつも、まだちゃんとした考察になっていないので、後日改めて書くことにする。そのときに、見る目のある人から見て「ちゃんとしている」かどうかは不明だが。


・読書
「老人と海/E.Hemingway」読了。孤独と死が全面に出ているような作品だった。似た印象を持つ作品としては「スカイ・クロラ/森 博嗣」が真っ先に浮かんだ。
 最近、ようやく海外文学に手を出すようになった前田である。「スタンド・バイ・ミー/スティーブン・キング」もそうだったが、この二作に共通する人間の造形というのは「外部から与えられるもの」のように思えた。「老人と海」では、主人公は海と魚から人間性を与えられ、「スタンド・バイ・ミー」の主人公は仲間や住んでいる環境に人間性を与えられている、そんな印象が強い。問題は、人間性とは何か、だ。
・日記
 良い子のみんなは筋トレ直後に包丁を扱ってはいけないぞ!
 と、玉ねぎを切りながら思った。前田は無傷です。


・出版
「夜は短し歩けよ乙女/森見登美彦」が今月の25日に文庫落ちする模様。かなり早かったなと思ったが、実際には単行本から二年が経過している。


・読書
「ベッドタイムアイズ」読了。山田詠美デビュー作にして芥川候補。
 最近「放課後の音符」も読み直していたのだが、前田にとって山田詠美作品は凄く文学だ。前田の思考が及びもつかない方向・領域を書いてくる。今作もそうだった。
 感想としては「どうにもならないということ」「どうすることもできないということ」を描いた作品に思えた。主人公の思い通りになるのは肉体だけということ。
 そしてその肉体の描写がかなり強烈に感じた。性的だが、グロテスク。食物として比喩することが多いのが、グロテスクに感じる理由かもしれない。グロいということも「どうにもならないということ」と関連しそうな気がした。

 んで、新潮文庫版は「ベッドタイムアイズ」「指の戯れ」「ジェシーの背骨」が一緒に収まっている。ベッドタイムアイズを読んだ後に指の戯れを読もうとしたのだが、読めなかった。
 理由は単純で、文章がキツい。山田詠美のこの手の文章を立て続けに長時間読むと、中毒を起こしそうな気がする。そのような意味でキツい。
 というわけで、エイミー姐さんはしばらく中断。他の作品を読むことにする。
・コメント返信
>無為さん
 サンキュー。しかしそのシングルは要予約っぽいのだ。
 頼むときには、別のアルバムを頼むであろう。


・国籍法
 宣言通り、国籍法について。法学部の教授を訪問して幾らか知識を得たので、暫定での自分の考えを書いておくことにする。
 題目をつけるならば「国籍法改正案は、不正な国籍取得の難易度を下げたかどうか」
 まず、国籍法とはどんなもの?ってとこから。民事局のwebサイトから引っ張ってきた、第三条を載せる。


改正前:第三条 父母の婚姻及びその認知により嫡出子たる身分を取得した子で二十歳
    未満のもの(日本国民であつた者を除く。)は、認知をした父又は母が子の
    出生の時に日本国民であつた場合において、その父又は母が現に日本国民で
    あるとき、又はその死亡の時に日本国民であつたときは、法務大臣に届け出
    ることによつて、日本の国籍を取得することができる。

 以上が改正前の国籍法第三条。
 次に、改正後の国籍法第三条。こちらは、衆議院webサイトにあった『国籍法(昭和二十五年法律第百四十七号)の一部を次のように改正する。第三条の見出し中「準正による」を「認知された子の」に改め、同条第一項中「父母の婚姻及びその認知により嫡出子たる身分を取得した」を「父又は母が認知した」に改める。』に従ったものである。

改正後:第三条 父又は母が認知した子で二十歳
    未満のもの(日本国民であつた者を除く。)は、認知をした父又は母が子の
    出生の時に日本国民であつた場合において、その父又は母が現に日本国民で
    あるとき、又はその死亡の時に日本国民であつたときは、法務大臣に届け出
    ることによつて、日本の国籍を取得することができる。

 婚姻の要件がなくなったのみである。何でなくなったかといえば、周知の通り、最高裁でその部分に違憲判決が出たから。
 立法した(改正案を出した)側としては、『最小限の改正に留めた』ようだ(雑誌「ジュリスト 2008.11.1」の記事にあった)。
 ちょっと方向を変えて、罰則の話。やはりジュリストの同号にあったのだが、「婚姻要件を廃止した分、偽装に対する予防として罰則を設けた」というのが立法した側の主張らしい。であるから、改正案反対派が主張する「罰則が軽すぎる」というのはきっと違っていて、むしろ重くなっていると見るのが妥当な気がする(偽装認知をした場合、それ以外にも罰則が付くし)。
 閑話休題。
 この「改正したことによる変化」が問題視されているわけだ。国籍法改正案WIKIによると「改正によって、不正な国籍取得の難易度が下がった」というのが改正反対派の主な主張のようである。
 つまり「婚姻の要件がなくなると、不正な国籍取得が容易になる」ということだろう。改正前は、外国人女性が、生物学的に日本人の子でない自分の子どもに国籍を不正に取得させようとする場合、「偽装結婚+偽装認知」の合わせ技を使う必要があった(正しく日本人と結婚する場合には偽装結婚は必要ないが)。改正後は「偽装認知」のみでよくなるわけだ。
 ということで、今回の「国籍法改正案が国籍の不正取得の難易度を下げるのか?」という問題のキモは、偽装結婚にあると考えた。
 結婚するのに必要な書類・手続きはどんなものだろう?
 ググると『婚姻届の書き方と婚姻届必要書類』サイトがあったのでそこを参考に書くと、

必要書類:婚姻届 両者の戸籍謄本 転入・転出届
手続き:書類を用意して、婚姻届を書いて、役所に出しましょう

 改正後は、偽装認知しようとする場合、以上が不用になるわけである。前回リンクを張った記事にあった通り、確かに大した手間ではないように思える。役所にいって紙をもらって記入して提出するだけだ。偽装結婚しようというなら、この手続きに至るまでにかかる手間の方がきっと大きいだろうと予想する(バレないように犯罪を行いたいわけだから)。
 比較として『認知届 手続き』でググると『離婚相談プラザ』なるサイトが見つかった。そこを見ると、

必要書類:認知届 父の戸籍謄本 その他必要に応じて承諾書など
 
 以上が認知に必要なようである。出生証明書とか母の戸籍謄本は要らないの?とか思ってしまうが。どうにも手続き上の手間については「偽装結婚+偽装認知」も「偽装認知」も大差ないようだ。この点において「国籍法改正案が国籍の不正取得の難易度を下げるのか?」という問いに対する回答は「いいえ」だと思う。

 しかし犯罪を犯そうというのであるから、手続きの手間だけが問題になるわけではあるまい。つまりリスクである。偽装結婚を行うリスクはどれほどのものなのか?「偽装認知だけ」と「偽装結婚+偽装認知」では、どちらがより発見されやすいのか?
 ここが現在の前田の解らない部分である。
 警察の人に直接話を聴いてきたのだが、偽装結婚を検挙するという場合、何を目的に偽装結婚をしたかによって捜査とかが変わってくるらしい。不法滞在目的とか、金を得るためとか。偽装認知も同じような感じなのだろうか?
 しかし、これはソースを失念してしまったのだが、偽装結婚と偽装認知の検挙数については、後者は前者に比べて少ない。50分の1くらいだった気がする。この統計は、「偽装認知の取り締まりは難しい」ということと矛盾しない(矛盾しないだけである。難しいと主張することはできない)。
 もし本当に難しければ、改正によって不正な国籍取得の難易度が下がることになると思う。

 以上、手続きとリスクの二点について、今回の問題に触れてみた。恐らく問題が「あるとすれば」リスクの点だろう。犯罪が増えるかどうかについてだから、時間をかけて施行するべきだと前田は思う。従って、前田の暫定の意見としては、
「偽装認知について、警察がきっちりしてくれ。改正案も施行するなら、いきなりするんじゃなくて、警察の具合をみて適当な時期にしてくれ」
である。
 改正反対派と同様に行動するか、ということについては、Noだ。違憲判決が出てる以上、国籍法は改正しなくちゃならない。しかもその改正は最小限のものに留まり、更に偽装に対する罰則を重くするという処置も取っている。前田は改正案に対して異論を持たない。拙速に気をつけて、というくらい。
 だから反対派がやるべきことは「改正に反対する」「改正案を廃案を推進する」ことではなく「偽装をきちんと取り締まれるようなシステムの導入を推進する」ことであると思う。それがつまり「DNA鑑定の導入」や「扶養事実の確認」を推進する動きになっているわけだが、ここでまた前田の疑問に思うことがある。
 というのは、改正前の国籍法に「不正防止」に言及した部分がない様子なのだ。もしかしたら、法律というものにそういった具体的方法を書くのは、何がしかの不都合があるのではないか? 調べていないので不明である。
 あと、DNA鑑定云々は平等の問題、血統主義・生地主義の問題があるし(problemという意味ではなく、議論の余地という意味)、扶養事実云々については、これは「婚姻要件」同様、違憲じゃないかと思うのだ(推測である。子どもの意思ではどうしようもない、という点が共通している)。

 もう少し書く。国籍法に対する違憲判決について。
 反対派の動きとしては、違憲判決を出した裁判官を罷免しようとしている。この動きは間違いである気がする。
 wikiで調べた限りだが、弾劾裁判の開かれた理由として「その裁判官の判決には問題がある」というものはなかった。しかし今回の罷免理由は、そのようなものなのだ。つまり「裁判官は立法行為を行ったので、罷免されるべきである」。これは国籍法改正案まとめwikiの「弾劾裁判訴追請求等」の項目にある。
 しかし「ジュリスト 2008.11.1」によると、立法行為である云々は既に議論されている。司法側としては、上の理由については決着しているのではなかろうか。従って、前田は上記の理由で裁判官を罷免するのは間違いだと思う。
 そもそも裁判官というのは法のプロで、民衆というのは法のズブの素人だ。そのズブの素人が法に関して裁判官に文句を言うというのは、簡単にできることではないだろう。
 問題となっている裁判官が例えば公明党から賄賂を受け取ったとかだったらもう話は丸っきり変わるが。けどそんな事実は出てきていないだろう。

 最後に。
 改正案反対派は改正反対にエネルギーを使うのではなく、もっと酷いことをしているやつらに向けてエネルギーを使うべきではなかろうか。偏向報道するマスコミ、政教分離できていないとしか思えない公明党、1000万人移民政策、重国籍問題、外国人参政権、国会図書館の問題、その他、日本の不利益になるとしか思えない行動をしている政治屋、など。

 さて、前田は以上の意見を反対派の何処に放り込めばいいのか。考え中である。
・コメント返信
>しも
 虚偽申請が横行するよなぁ。
 と思っていたのだが、どうやらちょっと違うかもしれない。というのが今日の記事である。
 まあ、それでも安住淳のその記事は嫌いだが。


・国籍法
 というわけで、国籍法改正案について。

リンク>国籍法改正に賛成する!
リンク>国籍法改正に賛成する!2

 この記事の筆者は、正確には「賛成している」わけではないようだが。
 記事の内容としては、要するに「国籍法改正案によって、虚偽の認知は増えない。何故なら、改正前と改正後で、虚偽申請を通す難易度が変化していないからだ」ということだと思う。前田はそう読んだ。
 問題なのは「改正案」にではなく「改正に関わらず虚偽対策がなっていない国籍法」であって、改正案を廃案にするという主張は意味がない、ということ。
 上記リンクの記事が事実なら、今の改正案反対運動の成果が出た場合、むしろマイナスになってしまう可能性が出てくるのではないだろうか。そうなれば、安住淳の「ネットの負の部分」というのは、その通りだ(つまり、噂によって多数が動いてしまうということ。ネットの情報の信頼性のなさという負の部分である)。
 実際、反対派の中では、違憲判決を行った裁判官を罷免する云々という話にもなっている。

 ということで、無闇に反対運動に参加するのもマズイなあ、と思い始めた前田であった。しかし前田には法律についてはズブの素人もいいところなので、大学の法学部の教授に話を聞いてくることにする。水曜日の夜に、教授から得た話をこのblogで書く予定。
 前田の国籍法改正に対するスタンス及び行動は、教授の話を聴いてから決めることにする。民主・公明が先導してるとか、朝日がほとんどスルーしてきたとか、そのあたりに胡散臭いものを感じたりするし(このあたりは非論理的な根拠か)。


・俺個人の話
 最近「凛として時雨」が良すぎる。バンドの名前である。スリーピースのツインボーカル。
 歌詞の点では椎名林檎やACIDMANの方が前田の好みであるが、演奏の面では凛として時雨の方が好きかもしれない。「鋭い」という評価にも違和感を覚えず。激しくてカッコいいという印象を持つ。
 CDの値段も、アルバムで2000円と、良心的。3枚購入したが、非常に良い買い物だったと思う。欠点としては、マイナなためか、小さいCDショップでは置かれてない点だ。カラオケでも、ジョイは3曲しかない。無念。
 んで、もうじきシングルが発売される。
 3000円。1曲のみ。16分超。完全生産限定版。
 なにそれ。バカか。買ってしまうかもしれん。
忍者ブログ [PR]