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・写真
リンク>http://www.sigure.jp/diary/2009/08/20090817_68.html

 凛として時雨のドラマーの日記である。本文に対しては「ただのオタクの日記じゃないか。音楽の話とかしてくださいよ」と思ってしまったが、上2枚の写真にびっくりした。
 特に2枚目の写真で思いついたのだけど、このような写真を取るにあたって重力は結構重要な要素に思える。写真の中で重力が表現されている云々という話ではなくて、人間は普段の生活の中で重力を感じているという事実のことだ。この事実があればこそ、斜めになった視点というのが異化されるのではないか?
 当たり前のことだが、表現というのはそれを作り出す・受け取る人間の環境によって評価が変わる。地球に生まれたというだけで表現にはある制約がかかると言い換えてもいいかもしれない。「火星人の書いた小説は面白い」という言葉は、表現と環境の問題についても言及されているのかもしれない。


・音楽
 最近はRADWIMPSとストレイテナーがブームになりつつある。
 RADは曲ごとの好き嫌いが結構分かれる。前田は特に軽いと感じられる曲が好きなようだ。あと、歌詞の展開が面白いと感じられるものが好きである。曲の前半と最後の方で、言っていること、言及している領域が全く違うように感じられるものがある。聴いていると「あれ、いつの間にこんな話に?」という印象を受ける。これが面白いく、いわゆる「流れ」というものを考えるひとつのきっかけになるような気がした。
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・コメント返信
>kisaさん
 ファッションブランドのガルシア・マルケスを始めて知った。
 日本ではブランドの方が知名度高いだろうか。


・読書
「名人/川端康成」読了。囲碁の第二十一世本因坊秀策名人の最後の対局を描いたもの。完全なフィクションではないようだ。だから小説というよりも、ドキュメンタリーに近いような気がした。
 視点保持者は秀策名人でも対局相手でもなく、観戦記をつける川端康成である(名前は変えているが)。対局にある棋士の気迫や勝負の緊迫感を魅せるものではなかった。川端康成のあの鮮烈な文章はなく、淡々と起きていることを記述しているように見えた。碁のルールが分からなければ、用語とか盤面の状況も分からない。
 だから、この作品は……何なのだろうと思う。正体が分からない。ただ、かつて半年かけて打たれた対局があり、そのような碁を打った名人がいたのだなという感慨が残る。不思議な作品だ。
・コメント返信
>simo
 ネットの匿名性云々は真面目に哲学すれば大学の卒論書けそうな話になるみたいだ。「2ちゃんには俺とお前とひろゆきしかいない」コピペとか興味深い。
 俺はもしかしたら前田ではなくルパンかもしれない。


・状況
 帰省完了。まだ学生の身分であるが、夏休みとはいえない長さの休暇となった。あと文学界が近所の本屋になくて困った。


・読書
「テースト・オブ・苦虫3/町田 康」読了。エッセイ……と見せかけた何かだ、これは。虚実入り混ぜすぎ、というか虚だらけではないのか。町田康の作品はまだ殆ど読んでいないが、読んだ作品が全てふざけている。けど、ふざけて書くのって思いの外難しいんじゃないか? そんな気がする。
 内容は素直に笑いながら読んだ。面白い。気になったのは文章で、長い一文がけっこうある。そしてその長い中に、長い時間が押し込まれているように見えるのだ。例えば
「なかなか来ないのでもう一度練習、おかげですらすら淀みなく弁述できてよかったが、小さなミスも幾つかあったので、取材の人が帰った後、反省の意味を込めてもう一度連取をしたから就褥。」
という文章。この手の文章が散見される。前田はガルシア・マルケスの一文目と同じような印象を受けて実は名文なのではないかと疑うが、町田康の言っていること自体は非常にアホウっぽいので笑うだけ笑って就寝。
・虚言
 久々にエッセイの類を買って読んだので、唐突にエッセイを書いてみようと思った次第であるが、この場合は唐突でも何でもなエッセイを読んだという契機があるので、前田はいきなり嘘をついている。嘘がばれた暁には、読者はきっと「このウソツキめ」「狼小僧め」「もう小僧という年齢ではあるまい」「虚を以って世を混沌に陥れんとする悪魔め」「貸した金を返せ」などと様々の悪口雑言でコメント欄を埋め尽くそうとするに違いない。口は災いの元という諺は真実であった。
 いや、読者諸氏にはコメント欄に憤怒を書き込む前にひとつ思いとどまってもらいたい。そしてこう考えて頂きたい。「果たして今までこのblogに事実が書かれたことがあったか?」
 そうなのである。このblogの記事全てが真実を述べたものだという証拠は存在しない。全てが前田の虚言・妄言であるという可能性は、全て真実の描写であるという可能性と同じほどに存在するのである。
 ならば矢張り前田が嘘を弄し続けたように見えるということになり、コメント欄には怨嗟の文言が書き込まれ続けることになり、従って切腹。
 最早「切腹」で閉めるのも古いこの頃である。
・コメント返信
>無為さん
 忌野清志郎だね。この人の死もきっと、その人自身を表すようなカッコよさだったのではないかと想像します。前田は残念ながら、殆ど音楽に触れたことはなかったのだけど(ミッシェルもそうだけど)。
 軽い曲一つ作るのに膨大な思考を注ぎこめるっていうのは、やはりカッコいいですな。


・読書
「その街の今は/柴崎友香」読了。
 前回の感想のまま最後まで読んでしまうかと思ったけど、そうはならなかった。この小説は過去だけでなく、未来も描いている。
 描かれている時間を■、描かれていない時間を□で表すと、前田の中で本書は次のようになる。

未来■■■■■■■■■現在■□□□□□□■過去■

 もちろん未来での様々な出来事をエピソードとして描いているわけではないのだけど、主人公の未来に対する思考が、上のような図にさせる。
 これら時間の描き方が非常に面白かった。
 こんな文学を四百円足らずで読めるというのは、実に有り難いと思うのです。
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