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・コメント返信
>muiさん
 買わないか的に。


・非日常
 研究室にカニが届いた。蟹である。食う。


・やや遅いが
 今期の文藝で磯崎憲一郎と青山七恵の対談があって、読んだ。そこで語られている作家像なんかを読んでいくと自分と一致することとかもあって「よし、俺も」と思うのだが、実際には文藝を読んで同じ感想を持つ人間は腐るほどいるわけで、一致云々は何の根拠にもならない。
 今月末にある文学界の締め切りに何とか間に合わせたいと思った。その後は三月末に文藝賞の締め切りである。両方出せたら素晴らしい。とか思ったら、文藝賞の選考委員から保坂和志がぬけてしまった。Oh...と思ったが代わりに高橋源一郎になってた。oh!


・懐かしいヤツラ
 音楽は簡単にリピートできる(長い楽曲は別にして)ために何度も聴き返すというのが可能だ。繰り返すだけ記憶に残るし、何年経っても思い出せるようになる。この思い出せるということも音楽の評価の基準になり得る。全く客観的でない、実に主観的な評価軸だ。……というのを久しぶりにアンダーグラフ聴きながら思った。前田の音楽の趣味も随分変わったものだ。
 ところで、上のような評価軸は小説の場合、あるのだろうか? 前田は体験したことがない。


・読書
「友情・愛と死/武者小路実篤」読了。
「友情」と「愛と死」の二本の中編が収録されている。いずれも恋愛が絡み、結末も似ているのだが、内容としては相当に違う。そしていずれも恋愛小説には見えなかった。いや、「友情」は或る意味での恋愛小説か。恋愛そのものに主眼を置いているのではなく、恋愛感情が人間に働きかける効果を描いたものというか……。この意味で前田は「友情」の方が面白かった。「愛と死」は相手からの気持ちもかなり書かれているため、恋愛が主人公に及ぼす影響が見えにくかったように思える。
 相手からの気持ちというのは二作品を分ける面白い特徴だと思う。いずれも途中から結末が読めるのだが、読んでいる最中に感じる不幸の匂いは格段に「愛と死」が強い。というか「友情」の方には不幸の匂いが感じられない(この意味で「友情」の主人公は滑稽に思える)。

 武者小路実篤を読むのは(ほぼ)初めてだったが、文体が結構面白かった。上手く言えないのだが、乾燥していてどこかちぐはぐ、というな印象。「一億三千万人のための小説教室/高橋源一郎」の中にも実篤の文章は載っていたのだが、それよりもちぐはぐになっていなかった。何に由来しているのだろう? それはともかく、こういう明確な形を感じられる文体というのは、強い。川端康成もそうだ。
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 そうだ、うどん食べよう。

・コメント返信
>muiさん
 そういう事例を見ると、載せる順番というのも結構大切なことに思えてくるな。競合しないように……と、これは編集の仕事だ。

 文学フリマ、次の開催は5/23です。

>仮名太
 恐らく本好きだらけであり、あとメガネ率がけっこう高かったな。

「ううー、フリマフリマ」
 こうして歩いている俺は普通の大学院生。ちょっと違うところといえば、文学に興味があるってとこかなー。
(中略)
 なんとその男は、俺にむかって本を勧めて来たのだ!
(古川日出男インタビュー)
「買わないか」
 ホイホイ買いました。


・界遊
 文学フリマで買ってきた古川日出男インタビューを少し読んだが、すげえカッコいいこと言ってた。

リンク>界遊
・コメント返信
>muiさん
 ぼろぼろの駝鳥、なんか悲しくなるな。動物園の経営も人間が生きていく手段だから簡単に否定はできないのだけど、動物実験で安楽死させるように(例が悪いか。動物園と動物実験じゃ釣り合いが取れていない気もするし、動物実験といっても色々あるし)、何がしか動物に優しくできるといいと思う。……何だか偽善者っぽいな俺。

「生物と無生物~」が売れた理由は前田には分からないけどね。けど前田は小説の面白さを感じた。
 そして入試問題に答えられない前田。何だろう……。生物は安定ではない(エネルギーが最低の状態でない)から?


・実感というリアリティ
 何かを感じている、ということを強く感じるというのは大切だなぁと思った。例えば日常では、自分が生きているということを強く感じない。少なくとも前田はそうだ。「示談交渉人M/佐藤秀峰」にもこんな感じの台詞がある。「女は子どもを生める。そこに命を感じることができる。しかし男は生と死の狭間でしか命を感じられない」。
 生命とか、そんな大それたことではなくても、もっと、例えば「見る」という行為自体にもそういう「感じる」リアリティというものがあるはずで、小説はそういうように読者に感じさせることがなければならない、という気がしている。


・反省点
 文学フリマに行ってきた。
 反省点としては「ごはんをちゃんと食べておきましょう」「ちゃんと本を入れる鞄を持っていきましょう」。空腹で300サークル回るのは無理。
・コメント返信
>muiさん
 追いつけんと思う理由は仰る通り。同じかどうかは分からないけど、近い気はしている。

 まあ、書けている云々といっても客観的に評価すれば二人ともアマチュアだという話になるし、どっちが良いといっても仕方ない気がしてきました。


・妄言
「ぷるぷる。ぼくは悪いスライムじゃないよう。人間になりたいんだ」
「ぷるぷる。ぼくは悪いスライムなんだよう。人間を滅ぼしたいんだ」


・読書
「生物と無生物のあいだ/福岡伸一」読了。生物学、生物化学を専門的に書いているのではなく、科学史も書かれていたりして、研究者の人間くささもあったり、生物化学とかの知見を解り易く解説したり、そして小説すら含まれていた。というか、この本はある意味で小説だ。
 それを痛感したのはエピローグで、多分、ここには筆者の世界観が描かれている。正確には生命観かも知れないが。ともかくその感触、説得力、リアリティが凄い。そしてこの世界観の提示の前には、科学という言語で記述された生命がある。エピローグで使われている言語は科学ではなくて、だから科学という言語と科学でない言語を今作が橋渡ししているように思えた。いや、本当に橋渡しになっているかどうかは分からないけど、橋渡しになっている可能性はあるはずだ。
 多分、世界を書く、世界の感触を書くというのが小説で、この意味で研究も執筆も同じなのだと思う。そうにしても、まさかここまで小説だとは思ってもみなかった。ショックを受けてしまう。
 科学の方で特に面白かったのは、生物の時間について。物理学とは違う時間で、それが面白かった。

 参考というか、今作の対比として「カンバセイション・ピース/保坂和志」を挙げたい。どちらかがどちらかのアンチテーゼになっているというのではなくて、ふたつの世界観はどちらも同時に成立する。
・コメント返信
>muiさん
 そうはいっても、俺より君の方が書けてるように思えるけれど。


・習慣
「掌の小説/川端康成」から毎日一編二編を読んでいこうと思い立って、読んでいる。最近読了した川端は「名人」で、これは小説でないのだが「掌の小説」は小説で、作中の細かな描写がやはりすげえなぁ、と思ったりするのであった。石田衣良や山田詠美の文章は前田とまるっきり領域が違っていて「こいつは書けねえ」となるのだが、川端の場合は「追いつけねえ」という感想になってしまう。
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