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・演技と演技でない状態
「三月の5日間」という舞台をDVDで観た。劇団チェルフィッチュ。作・演出は、あの岡田利規。小説版は既に読んでおり、そして非常に面白かったので演劇の方にも興味があった。
 それで観てみたのだが……何だこれ。岡田利規は何を考えているんだ?
 話としては「アメリカがイラクを空爆した2003年3月に、ライブハウスで出会った男女が渋谷のラブホテルで5日間セックスしまくり、ホテルを出た後はもう合わないと決める。戦争はまだ終わっていなかった」となる。
「戦争はまだ終わっていなかった」の辺りに何か思うことはあるのだが、観てみるとそんなものは吹っ飛ぶ(小説版もそうだった)。
 話どころではない、というか、"演劇どころではない"のだ。
 フィクションの楽しみ方として「ストーリーに着目する」「キャラクタに着目する」「テーマに着目する」といった方法があると思う。しかし「三月の5日間」はストーリーやキャラクタやテーマといった、フィクションであることを前提にした側面に着目できなくなる。つまり「演劇(フィクション)なのか演劇でない(ノンフィクション)のか」という側面に目が行ってしまう。

三月の5日間の一場面

「三月の5日間」では場面がころころ変わっていくのだけど、その場面転換の度に役者が解説をする。「今から○○っていう場面をやります」とか「あと十分後に休憩にします」とか、そういうことを言ってしまう。そしてその解説の口調・態度と何ら変わらない口調・態度で演技を始めてしまう。
 始める、と表現はしたけど、そもそもどこから演技が始まったのかよく分からない。となると、場面転換もどの時点であったのか分からない。シームレスすぎる!

リンク>チェルフィッチュ
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