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・読書
「わたくし率イン歯ー、または世界/川上未映子」読了。噂の文学少女(前田が勝手に認定)、川上未映子の短編ふたつ。
 川上未映子の文章は大阪弁らしいけど、前田が想像するような大阪弁とは多少異なっている。一般的に言っても違っているのではなかろうか。
 柴崎友香も大阪弁を使う作家であったと思うが、両者の使う言葉は実際に違っている。川上未映子の文章はこの時点で面白い。読んでいて違和感が、それもポジティブなそれがあり、すらすらとは読めない。変わった言葉が出てくるごとにつっかえてしまう。これが文章の感触を作っているように思える。
 この大阪弁を差し引いても、文章で書くこと(what)が分散していて、これがまた面白い。思考が飛びまくっているといってもいいか。思わず笑ってしまうようなところもあった。
 上記のような複数の文章に渡る面白さだけではなく、単文を抜き出しても、その単文にある文章の感触が面白い。単文で表されようとしていることがその文章の中で変化していっているとでもいうのか。この変化の結果、表現が思いもよらぬ言葉に繋がって、その言葉に新たな様相が加わるという文学の王道の達成。
 
 川上未映子の作品は、エッセイの「そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります」でも多少思った気がするけど、個人の世界観がくっきりしているせいで人物が孤独に感じる。
「そら頭は~」では作者自身だし、「わたくし率~」は主人公、同時収録の「感じる専門家 採用試験」では登場人物のうちのふたり。
 個人の世界が確かだからこそコミュニケーション不全が発生する?

 今作で触れられていた、「雪国/川端康成」の最初の一文は他の言語に翻訳できないということにすごいものを感じた。有名な「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」の文章には主語がないので上手く訳せない、ということ。主語が電車でも雪でもトンネルでもないということ。
 前田は、この文章の主語は「その場」ではないかと予想する。そこの全体ということを明文化せずに、そこの全体を描いているのではないか? 小説という言葉を使う表現でありながら、言葉を使わずに表現しているのではないか?
 ああ、そうか。これが行間というものか。
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