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・コメント返信
>紫苑
 確かに計算は合ってる! 合ってるのが怖い!
 3巻が2012年とか、本当にありそうだしな。

>kisaさん
 ありがとう。あとは書くだけだ(ここが一番難しいんだが)。


・ついに!続編
 現在、言葉であるとか他人との言葉のやり取りであるとか他人とか時間とか空間とか肉体とか精神とか記憶とかについて考えながら小説を書こうとしていて、書いている。んでその中で閃いたのだけど(閃きというくらいだから、発想のプロセスを思い出せない。ない、ということはないだろうかど、とにかく明文化できない)、言葉とフィクションというのは同じものなのではないか? 同じとはいわないまでも、何か強固な関係性があるのではないか?
 そう思っていると「小説の誕生/保坂和志」の中にフィクションについて触れている部分があって、その文章の「フィクション」はそっくりそのまま「言葉」に代えても成立してしまった(しかしこの本の中のどこにその文章があるのか分からず、引用もできないのだけど)。
 もちろんその文章内の単語の入れ替えだけで「言葉とはフィクションだ」みたいに思うのは間違っている。しかし言葉とフィクションが気持ちの上だけでも繋がったというのは小説を考える上で意味のあることだと思う。

 某所で先輩に言われたのだけど、小説の執筆日記みたいなものを付けておくのは面白いかも知れない。一方で作業量が多くなって大変だなぁ、と思ったりしてしまう。本文の執筆、書いている最中のメモ、日記。


・読書
「わしらは怪しい雑魚釣り隊/椎名誠」読了。エッセイというか日記というか。
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・コメント返信
>simo
 サンキュー。また読んでくれ。その前に俺が書き上げないとならんが。


・文芸五誌の一角!
 文学界の締め切りが12月31日である。さすがにこれには出したい。
 群像は今月末である。こっちはムリだ!


・これはどういうことなんですか、先生。
「ACONY/冬目 景」の1巻を購入。
 おまけマンガを読んで、まさかと思う。奥付を確認する。ショックを受ける。単行本の初版が2009年で、第一話の初出が2003年てどういうことですか……。単行本に掲載されている最後の話が発表されたのが2006年てどういうことですか……。
 こういうところで2巻を買うべきかどうか悩むから冬目景は困る。


・tag
 某所での後輩の発言を聞いての発想なのだが、自分の作品にニコニコ動画のようなタグをつける、という手法はとても有用である気がする。目的は、作品にどのような側面があるかということを把握するため。
・ついに!
 小説の執筆最中に「面白いとは一体何だ?」という疑問が、自分の中から湧いた。多分、初めてのことだ。記念にblogを更新する。
 尤も、この疑問を得たからといって執筆がスムーズになるわけではないし、作品が面白くなる保証もない。
・リンク
 月迷風華を追加。
 追加するときになって、同じ忍blogだと気づいた。


・マッチング
 言語について考えるとき、コミュニケーションの道具としての側面を除くわけにはいかない。しかしコミュニケーションを成立させるのは言語だけではない。アイコンタクトに代表されるような方法だってある。
 コミュニケーションの道具としての側面、と書いたが、自分の使う言語というのはコミュニケーション以外の側面がないことに気づく。そこで逆に、コミュニケーション足りえるものを言語と定義すると、様々な行動が言語になり得る。
「動物、植物は行動そのものが思考だった。人間だけが言語によって思考と行動を別のものにしてしまった」というようなことを言っていた人がいるような気がしている。誰だったか……。
・読書
「小説の誕生/保坂和志」を読んでいる。小説論。
 この本に限らず保坂和志は「小説というのは読んでいる間にしかない」「小説で大切なのは現前性だ」ということ言っている。これを例えば保坂は「小説は五感を動因して読むものであり、読んでいない間はそういった五感の動きがない。だから小説は読んでいる間にしかない」といった言葉などで説明している。
 前田はこの現前性がどういうものなのか解っていなかったのだが、つい昨日、気づいた。
「小説の誕生」のあるページを読んだ後、同じページを‘読まずに見直す’と、そのページが記憶にあるものと違っている! このページ、さっきはこんな色をしていなかった!
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