忍者ブログ
[142] [141] [140] [139] [138] [137] [136] [135] [134] [133] [132]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

・購入録
「言葉・狂気・エロス/丸山圭三郎」
「境界の発生/赤坂憲雄」
「谷川俊太郎詩集/谷川俊太郎」
「4TEEN/石田衣良」
「ハリウッド脚本術/ニール・D・ヒックス」
「犬の行動学/E・トルムラー」
 結構な出費であった。


・気づいたこと
 最近、村上春樹とあだち充の面白さは同じものなのではないかと思い始めた。どちらも恋愛感情に対しての距離感があると、ただ、そう感じただけのことだけど。そしてそのアプローチとして、あだち充は空だけのコマを描いているのではないかと、そんな風に思う。果たして。


・読書
「一億三千万人のための小説教室/高橋源一郎」を読んでいる。友人から借りた。保坂和志のものと同じく、小説とは何かを考えるところから始める技術・理論書。
 かなり勉強になる予感がする。読んだ範囲で特に興味深かったのが「小説が書かれる前の状態を楽しむ」ということ。書こうと思っているけど書き出せない、そんな中で考えるということ。伊藤たかみがどこかで言っていたのだが(確か、芥川賞を取ったころだと思う)、「登場人物が全く個人的な事情(登場人物にとっての個人的な事情)でどこかに行ってしまったので、当初考えていたものと、冒頭が全く変わってしまった」ということがあるらしい。高橋源一郎の言う「小説が書き出される前を楽しむ」ということと、何だか繋がっているように思える。
 他には「独特の角度で世界を見るということ」「変な世界も楽しむ」ということ。特に前者に感銘を受けたような気がする。またもや伊藤たかみであるが、氏の作品で「この砂を触ったら不老不死になることにしようぜ」というアオリのものがあった気がする(ドライブイン蒲生だっけ?)。そんなアオリを生み出す方法がつまり「独特の角度で世界を見る」ということなのだという実感があった。
 では、どうすれば変な角度で世界を見ることができるのか。簡単に思い浮かぶのが自殺である。死を体験した人は生きてはいないのだから、死ねば世界を違った角度で見ることができるはずだ(これが本当だとしたら、自殺した文学者は少なからず上記のようなことを考えていたのかもしれない、とか思う)。けれど前田は死にたくないので、他の方法を探すわけである。日常ではしないことをするとか、物の間違った使い方とか。そういうことが、小説に繋がってくるだろう、たぶん。
 と、いうことで、今から夜の大学のグラウンドに行って、本を投擲してきます。
PR
この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
この記事へのトラックバック
この記事にトラックバックする:
忍者ブログ [PR]