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・ただ今
 洗濯物を乾かしている。先週から放置しているわけではない。


・肌荒れ
 目の周りが荒れていたのだが、野菜ジュースを飲んだら治った。不思議!


・弘法も筆の誤り
 広告で、医療ミスを暴く本をみかけた。
 そもそも何故医療ミスは隠されるのか? 少しだけ思いついてみた。
 病院という商売は命に関わる。客(患者)は当然、ちゃんとした病院を選びたがる。医療ミスの出た病院を避けたがるのは当然で、避けられるのはイヤだから、病院は医療ミスを隠す。
 しかし医者も人間である。ミスは起こりうる。患者はミスを攻撃する。これでは、病院も医療ミスを隠さざるを得ないというものだ。

 まあ、あんまりに初歩的なミスだとか、杜撰なシステムに原因があるだとか、そういったものには患者は怒らざるを得ないし、そして怒るべきだろう。


・道端にて
 何故か雪があった。このクソ夏くさい日に。何故に? 近所に麻耶雄嵩ファンでもいるのか?


・読書
「書きあぐねている人のための小説入門/保坂和志」読了。
 目から鱗。保坂の小説を面白く読める技術論者・ストーリィ重視派は一度目を通しておくと、新しい考えに出会えるかもしれない。
 小説だから、という枠に囚われないこと。そして、面白いとは何かを追求していくこと。それが重要。本来、小説には何を書いてもいい。既成の概念なんざ、いくら無視したっていい。ただし、面白いとは何かを追求しなければならない。そしてそのために必要なのは、きっと「感じる」ということで、つまり、感性というものの鋭敏化だ。
 森博嗣は「人間は考えるFになる」で「小説はいきあたりばったりで書けばいい。その場で面白いと思うことを書いていけばいい」といった感じのことを述べていたが、この言葉の真意はきっと、保坂の述べる面白いとは何かを追求する、ということに近いと思った。
 この本の影響で、もっと純文学に属する作品を読みたいと思い始めた。とりあえず、気になっていた島本理生を読もうと思い「ナラタージュ」を買った。

 現在は「羅生門・鼻・芋粥/芥川龍之介」を読んでいる。上の本を読了してから、何か読み方が変わり、少し面白くなってきた。何が面白いのかは、やっぱり明文化できないのだけど。
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無題
 保坂和志の小説本読みましたか。同じく読んだ時は鱗でした。確実に書き方が変わってきたし、今もどうにか参考にしながらがんばってるところです。
 この人の言っていることは普遍的というか、他の人が言っていることも言い方が違うだけで同じことを言っているなぁ、と思うことがよくあります。それぞれがそれぞれのやり方で考えた結果なのかな、と思うのです。
 おじゃましました。
名月 2007/07/22(Sun)22:18:14 編集
無題
先生。
それはいわゆるビタミン不足かと……。
無為 2007/07/23(Mon)02:01:38 編集
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