・日記
電車に乗って十時間の移動はやはりダルい。車中では睡眠と読書しかしておらぬ。
ダ・ヴィンチ編集部による小説の書き方本が本屋を巡っても売られていない。注文しろということか? しかしとりあえず立ち読みで内容を確認したい。注文はためらう。
・文章練習「車窓」
どうせ電車の中じゃやることもない。窓枠に肘をついて、頬杖しながら外を眺めている。電車はあんまり揺れていなかったから、頬を押す手の甲は不快じゃない。
現れる端から消えていく近景。いつまでもある遠景。同時に追うと鋭くも鈍くもない痛みが眼の裏側に溜まる。電車が速ければなおさらだ。
だからいつも、呆っと遠くを見ることにしている。そうすれば線路に近い家や、道路を走る車や、あちこちに立つ電柱はすぐに消えていってくれる。声みたいなものだ。いくら叫んでも、一瞬たりとも残ってはくれない、声。
遠くの山の形はなかなか変わらない。雲の形は……どうだろう? 風があるからか、山よりも変わっていっている気がする。けれど光でできた陰影は止まっている気がする。白い雲。ちょっとだけ陰った雲。山に落ちた雲の陰。
青い空との境界が一番白い。晴れた日の雲だっていろいろあるんだと気づかされる。
最初に変わったのは、やっぱり近景だった。視界の中に縦線が入っては消え、入っては消えとしていることで、ああ、橋の上なんだな、と分かった。
下を見れば川だった。
止まって観れば、きっと水面が太陽の光をきらきらと流していただろう。そんなときにだけ、私は水が柔らかいことに感謝する。
けど私は今、動いている。ほとんど真下にある水は一瞬しか視界に入らない。その瞬間の光の煌きしか見ることができない。写真みたいに眼に焼きついた波はまるで、粘土みたいだった。
私は今、時速何キロで走っている?
・読書
「大東京三十五区 冥都七事件/物集高音」を読了。作者の名前が難読。もづめたかね。
想像していたのとまるで、それこそ反対というくらいに、雰囲気が違っていた。読み始めは「読みにくそう」「好みの雰囲気ではなさそう」と感じたが、いざ読み進めると面白い。解説でも触れられていることだが、文体のためだ。
今まで自分は、小説の理想形とは「読者が登場人物と同じ目線に立ち、作中人物であるように錯覚できるもの」であると考えていた。今作はこの考えを覆してくれた。冥都七事件は、この理想形を絶対に実現しないが、読者を小説の世界に引き込むリアリティがある。
そのリアリティというのが「物語を読んでいる(或いは聴いている)」というもの。読者を最初から物語の場から遠ざけて、語り手の話を聞かせるような文体。講談を聞いたことはないが、恐らく、そのような感覚だろう。
この文体のポイントとしては「擬音語・擬態語の使い方」「視点保持者の心理を長々と書かない」「言葉のリズム」といったところか? 真似るのは非常に難しいだろう。
電車に乗って十時間の移動はやはりダルい。車中では睡眠と読書しかしておらぬ。
ダ・ヴィンチ編集部による小説の書き方本が本屋を巡っても売られていない。注文しろということか? しかしとりあえず立ち読みで内容を確認したい。注文はためらう。
・文章練習「車窓」
どうせ電車の中じゃやることもない。窓枠に肘をついて、頬杖しながら外を眺めている。電車はあんまり揺れていなかったから、頬を押す手の甲は不快じゃない。
現れる端から消えていく近景。いつまでもある遠景。同時に追うと鋭くも鈍くもない痛みが眼の裏側に溜まる。電車が速ければなおさらだ。
だからいつも、呆っと遠くを見ることにしている。そうすれば線路に近い家や、道路を走る車や、あちこちに立つ電柱はすぐに消えていってくれる。声みたいなものだ。いくら叫んでも、一瞬たりとも残ってはくれない、声。
遠くの山の形はなかなか変わらない。雲の形は……どうだろう? 風があるからか、山よりも変わっていっている気がする。けれど光でできた陰影は止まっている気がする。白い雲。ちょっとだけ陰った雲。山に落ちた雲の陰。
青い空との境界が一番白い。晴れた日の雲だっていろいろあるんだと気づかされる。
最初に変わったのは、やっぱり近景だった。視界の中に縦線が入っては消え、入っては消えとしていることで、ああ、橋の上なんだな、と分かった。
下を見れば川だった。
止まって観れば、きっと水面が太陽の光をきらきらと流していただろう。そんなときにだけ、私は水が柔らかいことに感謝する。
けど私は今、動いている。ほとんど真下にある水は一瞬しか視界に入らない。その瞬間の光の煌きしか見ることができない。写真みたいに眼に焼きついた波はまるで、粘土みたいだった。
私は今、時速何キロで走っている?
・読書
「大東京三十五区 冥都七事件/物集高音」を読了。作者の名前が難読。もづめたかね。
想像していたのとまるで、それこそ反対というくらいに、雰囲気が違っていた。読み始めは「読みにくそう」「好みの雰囲気ではなさそう」と感じたが、いざ読み進めると面白い。解説でも触れられていることだが、文体のためだ。
今まで自分は、小説の理想形とは「読者が登場人物と同じ目線に立ち、作中人物であるように錯覚できるもの」であると考えていた。今作はこの考えを覆してくれた。冥都七事件は、この理想形を絶対に実現しないが、読者を小説の世界に引き込むリアリティがある。
そのリアリティというのが「物語を読んでいる(或いは聴いている)」というもの。読者を最初から物語の場から遠ざけて、語り手の話を聞かせるような文体。講談を聞いたことはないが、恐らく、そのような感覚だろう。
この文体のポイントとしては「擬音語・擬態語の使い方」「視点保持者の心理を長々と書かない」「言葉のリズム」といったところか? 真似るのは非常に難しいだろう。
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