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・コメント返信
>emptyさん
 自分はジョン・ケージの著作を読んだことがありませんでした。他の分野の芸術論をかじるのは面白そうです。

>Rufuさん
 今の自分の持っている問題というのはまさにそこでして、つまり「弄ばれるように読むって何だろう?」

>kisaさん
 つーことで機会を貰いました。感謝。


・郷愁
 中学~高校時代には周りの人間は当時の音楽を聴いていた様子だが、前田は反発して当時の音楽を聴かなかった。しかし音楽自体はよく聴いて、何を聴いていたかといえばビートルズである。父親のレコードプレイヤを借りて、レコードで聴いていた。Abbey Roadも聴いたことがある。


・読書(重力ピエロにも少し言及)
「ゴールデン・スランバー/伊坂幸太郎」読了。
 伊坂作品にしては会話が大人しい気がする。「おお」と声を上げてしまうような巧い台詞がなかった。単に前田のセンサが鈍いだけかも。代わりに「物語を積み重ねた末にとても重みを持つ言葉」があって、強く印象に残っている。一行どころか五文字で済んでしまう言葉だが、それを凄いと痛感できる。小説の醍醐味のひとつだ。「重力ピエロ」にも「積み重ねた末の言葉」があって、それよりも強烈だった。これだけで「重力ピエロ」以上の作品だと思ってしまう。
 テーマを一語に押し込めてしまえば「時間」となるのだろうか。題名、構成、伏線の張り方にそのテーマを感じた。んで、その伏線についてなのだが、どうも二種類に大別できる気がする。
 ひとつが既に登場したobject(人やもの)が再度登場する場合。もうひとつが既に言及されていた人の状態が現在に活きる場合。後者は、登場人物の或る性格や癖が発揮されるというような伏線だ。今作ではこの伏線に郷愁が付加されている。どうやって付加させているかは明らかだろう。大抵の小説が物語を使って登場人物に大切さを付加しているのに対して、この作品では、小さなエピソードを使って登場人物の小さな癖に大切さを付加している、そのような印象を受けた。このような伏線は、寡聞ながら、前田の今まで読んだミステリにはなかったもので、面白かった。
 作品全体としては伊坂の構成の妙ががっちり発揮されているようで、凄いの一言だ。しかし、題名、構成、伏線を貫く分り易いテーマのお陰か、決して「信じ難い」作品ではなかった。傲慢な言い方になるが、これなら前田の考えている小説制作の論法でいずれ到達できると思ったのだ(距離はともかくとして)。もちろん小説はそれだけで出来ているものではないのだから、いずれ伊坂幸太郎並の作品を書けるとは思っていないが、まだ。
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・コメント返信
>kisaさん
 ミステリと見せないミステリ作家なんかな、近藤史恵。「サクリファイス」では冒頭からそういう印象は受けなかったけれど。


・オーケストラの感想
 指揮者というのは非常に重要な役目だとは知っていたが、重要だと実感したのは実際にコンサートを注意深く聞いてからのことだ。その実感はコンサートでなければ得られないものだっただろう。というのは「生演奏には生演奏にしかない‘空気’があるから」という抽象的な理由ではない。指揮者や演奏家の動作が見えるからというのが理由である。鳴っている音がきちんと人間の動きに対応しているという統一感が面白く、ここに指揮者の重要性があるのだろうと思った。だから指揮者の重要さが実感できたとはいっても、演奏者としての実感ではないので、本当はもっと別の意味で重要なのかもしれない。
 そのような統一感というのは小説を書く上でも恐らく大切なことで、何故かといえば、小説の情報というのはパラレルに伝達されるものではないからだ。「放課後の音符/山田詠美」で前田が感動した一文に「全ては同時に起きている」というものがある。この文章にある感動は、小説(文章)がシリアルなものであるということを前提としている。統一感というのもパラレルな情報に由来したものだ。
 現実がパラレルだから小説もパラレルを目指すべきとは言わないが、少なくともその差について考えながら小説を書くことには意味があるはずだ。
 差分について考えるということをもう少し拡張すると「言葉は現実を何一つ伝達できない」ということに至る。上記の前田の感想・実感だってそうだ。読者は前田と同一の実感を持つことはできないだろう。前田は理由と結論を書いているだけで、前田のコンサートでの体験というのは、このblogの読者は得ることができない。
 小説だと、作品の目指すリアリティにも依るとは思うが、言葉で現実を伝達するために、言葉を費やすことになる(費やすというのは沢山の言葉を使うということだけには留まらないだろう)。

 余談になるが、ジョン・ケージの4:33は、上に書いたような統一感の面から聴いてみると、前田には凄い作品に感じられた。


・オーケストラの感想に必要なこと
 と、まあ、感想に書いたようなことを意識しつつ小説を書きたいと思う。


・読書
「壁/安部公房」読了。難易度高え。「これはどういう意味か」「これは何の暗喩か」といった読みが簡単にできてしまいそうな作品だった(恐らくそのような読みの方が難易度が低く、同時に文学の読みではないと前田は思っている)。そんなわけで感想さえまともに持てず。
 しかし石川淳の序文の方が面白かったとはどういうことだ。
・コメント返信
>kisaさん
 こちらこそ誘ってくれて感謝。きっと創作の役に立つと思う。


・読書
「大東京三十五区 夭都七事件/物集高音」読了。同シリーズの 「冥都七事件」が面白かったので、続編であるこちらも読んでみた。昭和初期の東京を舞台にし、奇ッ怪な事件の絵解きをしていくという連作短編。解説によると、一編書くのに、相当に文献を漁らないとならないのだとか。それくらい時代考証がしっかりしているということだろう。
 文体の面白さが凄い。しかしそれは前作と同様であって、残念ながら自分は、文体以外の面白さを見つけることができなかった。これはトリックの出来を評価できない、というのが大きいのだと思う。前田はミステリを好んで読みはするが、トリックに面白さの焦点を殆ど当てない。だから連作短編ミステリの同シリーズを幾つも読むと飽きてしまうのだろう。今作も、その飽きが来てしまった。

 もうひとつ「サクリファイス/近藤史恵」読了。自転車ロードレースを題材にした作品。ミステリ作品であるということが宣伝文句に使われていたと思う。
 ロードレースを題材にしているということで、レースをどうやって小説で描写するのか、この辺りに期待したのだが、外れてしまった。ロードレースのルールや、順位なんかの状況は分かる(書いている)のだけど、レースにおける感覚のようなもの、つまり「読者がレースを体験しているように感じられる」というリアリティを目指す文章ではなかった。良い悪いではなくて、前田の期待した方向の作品ではなかったということ。
 ただ、心理描写からテーマの達成にいたるプロセスは丁寧で、お手本のような印象を受けた。タイトルも上手い。
 総じて、前田の感想としては、佳作。伏線の張り方が一部あからさまだと思うが、さして問題ではないだろう。
・日記
 明日、帰省の予定である。


・オーケストラ
 大学の交響楽団の定期演奏会を聴きに行った。クラシックのコンサートに行ったのは初めてではないが、初めて気づいたのは、文学を考えることができる、ということ。前田だけの話かも知れないし、実際には文学ではなくて、文学に繋がる何らかを考えているだけかもしれない。指揮者の価値とか、人数の多さとか、そのあたり前田にとって考察の余地が十分にあった。
 しかし考察といいつつも、まだちゃんとした考察になっていないので、後日改めて書くことにする。そのときに、見る目のある人から見て「ちゃんとしている」かどうかは不明だが。


・読書
「老人と海/E.Hemingway」読了。孤独と死が全面に出ているような作品だった。似た印象を持つ作品としては「スカイ・クロラ/森 博嗣」が真っ先に浮かんだ。
 最近、ようやく海外文学に手を出すようになった前田である。「スタンド・バイ・ミー/スティーブン・キング」もそうだったが、この二作に共通する人間の造形というのは「外部から与えられるもの」のように思えた。「老人と海」では、主人公は海と魚から人間性を与えられ、「スタンド・バイ・ミー」の主人公は仲間や住んでいる環境に人間性を与えられている、そんな印象が強い。問題は、人間性とは何か、だ。
・日記
 良い子のみんなは筋トレ直後に包丁を扱ってはいけないぞ!
 と、玉ねぎを切りながら思った。前田は無傷です。


・出版
「夜は短し歩けよ乙女/森見登美彦」が今月の25日に文庫落ちする模様。かなり早かったなと思ったが、実際には単行本から二年が経過している。


・読書
「ベッドタイムアイズ」読了。山田詠美デビュー作にして芥川候補。
 最近「放課後の音符」も読み直していたのだが、前田にとって山田詠美作品は凄く文学だ。前田の思考が及びもつかない方向・領域を書いてくる。今作もそうだった。
 感想としては「どうにもならないということ」「どうすることもできないということ」を描いた作品に思えた。主人公の思い通りになるのは肉体だけということ。
 そしてその肉体の描写がかなり強烈に感じた。性的だが、グロテスク。食物として比喩することが多いのが、グロテスクに感じる理由かもしれない。グロいということも「どうにもならないということ」と関連しそうな気がした。

 んで、新潮文庫版は「ベッドタイムアイズ」「指の戯れ」「ジェシーの背骨」が一緒に収まっている。ベッドタイムアイズを読んだ後に指の戯れを読もうとしたのだが、読めなかった。
 理由は単純で、文章がキツい。山田詠美のこの手の文章を立て続けに長時間読むと、中毒を起こしそうな気がする。そのような意味でキツい。
 というわけで、エイミー姐さんはしばらく中断。他の作品を読むことにする。
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